第三話 弟皇子(一)


 兄皇けいおう弟皇ていおう

 鳳凰之国ほうおうのくには二人一対のおうによって治められている。


 現在の兄皇は麒麟之国きりんのくにから皇后を迎え、二人の間には第一皇子皇女の双子と、第二皇女の双子があった。

 皇都おうとから遠く離れた片田舎に住む皓皓コウコウは、皇家御目見えの機会に恵まれたことはない。それでも、第一皇子皇女についての噂、とくに、特徴的な赤みがかった金の髪と、きわ立って美しい容姿については聞き及んでいる。

 まさか、こんな形で見えることになろうとは、夢にも思わなかったけれど。




 鳳凰之国は北を狼狽之国ろうばいのくにと接しており、その国境は長く険しく繋がる連山に沿って引かれている。

 その一角、一際高くそびえ立っているのが紅榴山こうりゅうさんだ。

 この国では、高い場所ほど神の加護を受けやすい神聖な地である、と言われ、北部随一の高さを誇る紅榴山は、聖域として皇家の所有地となっていた。民間人の立ち入りは禁止されている。


 車輿しゃよすだれを少し持ち上げて外を眺めていた皓皓は、険しい山中に突如現れた宮殿の姿に驚いた。

 里で一番大きな領主様の館の倍は高く、三倍は広い。

 白壁に濃紺の屋根。昔、貸本屋に読み聞かせてもらった絵本で、お姫様が住んでいた城みたいだ。

 ただし、エンの話の通りであるなら、宮の主はお姫様ではなく、皇子様の筈だが。


 建物にばかり注意を向けていた皓皓は、目前に大きな谷が迫っているのに気付き、ぎょっとする。

 進路に対して垂直に、行く手をばっさり断ち切るように、長く深く伸びる谷。

まるで、地面をあちらとこちらの二つに割ろうとした、傷跡のようだ。

 此処まではなんとか細く続いていた道が、其処でぷっつりと途切れている。

 底の見えない深い谷には、見渡す限り橋もない。


(こんな所、どうやって渡るんだ?)


 一瞬浮かんだ疑念は、すぐさま杞憂きゆうだと気が付いた。

 我ながら間抜けなことだ。

 空を飛んでいるのだから、眼下がんかの道が坂だろうが谷だろうが、関係ない。

 この輿車を運んでいるのは、鳥の姿に変化した兵士たちなのだ。


 鳳凰之国の民が変化すると、大きな鳥の姿になる。

 鷲や鳶よりはるかに大きな、そう、丁度、人間が二人重なり合った程の、巨大な鳥に。


 地上を行く時は牛馬に引かせる車輿も、こうして鳥の姿に変化した人間が運ぶことで空を行くことができる。

 鳳凰之国ならではの手段と言えるだろう。


 空飛ぶ車輿は難なく谷を飛び越えて、宮の前の平地にゆっくりと着地する。

 外から簾が持ち上げられ、車輿を降りると、足がふらついた。人に運ばれるというのは、どうにも落ち着かない。

 前庭という表現では足りない、草原と言って差し支えない広さがある敷地の終わりは、あの亀裂のような谷だった。

 上空から見下ろした時にはわからなかったが、谷の両側を繋ぐ跳ね橋もきちんと備えられていた。今は必要ないからか、向こう側に折り畳まれているだけのようだ。

 ふと、違和感を覚える。が、その正体を掴む前に、遅れて到着した別の車輿から、宛が降りて来た。


「僕はこの車輿というのが好きではないよ。自分で飛ぶ方が気持ち良い」


 後ろに控える鷹順ヨウジュンが、こっそり溜息を吐いた。

 奔放な主人を持った彼の苦労が偲ばれる。


 間近で見ると、宮はいよいよ大きい。

 正面の扉は両開きで、片側だけで皓皓の背丈より高く、両腕を伸ばしたより幅があり、左右に一羽ずつ一対、鳥の彫刻で飾られていた。

 一行が近付くと、両側に立つ門番が宛に黙礼し、重々しい動作で扉を開く。


「ようこそ、紅榴山へ。と言っても、僕の宮ではないのだけれどね」


 宮の中は、およそ外観から予測出来る通りの広さがあった。

 入ってすぐの広間は円形で、弧を描く壁には細工が施された窓枠が等間隔で並んでいる。あとは最奥に大きな階段があるだけの、ただ広いだけの部屋。

 何のためにこれだけの空間を空けているのか、皓皓にはよくわからない。

 床には乳白色にゅうはくしょくの石が敷き詰められており、姿を写せるのではないかと思うほど、つるりと磨き抜かれていた。


「宛!」


 そんながらんどうの部屋に、声が響き渡った。


 階段から慌ただしく駆け下りて来る人の姿。

 閃く黒色。


 宛が気安い仕草で片手を上げる。


「やぁ」

「やぁ、じゃない! また騒ぎを起こしたらしいな。おまえはどうしていつもそう勝手な行動ばかり取るんだ。立場を弁えろと言っているだろう?」

「おいおい。久し振りの従兄の訪問だぞ? いきなりお説教とは、随分な歓迎じゃないか」

「説教されるようなことをするのが悪い」

「僕に説教を垂れるなんて、君くらいなものだけどな」

「俺以外に出来る奴がいないから、俺が説教するしかないんだ」


 顔を合わせるや否や繰り広げられる言葉の応酬に、皓皓は目を白黒させて二人を見遣った。

 ひどい言われようにも気分を害すことなく、宛は笑いながら相手を示す。


「紹介するよ。これが噂の僕の従弟いとこ。弟皇様の第一皇子。ランという」

「えっ……」


(この人が、弟皇様の皇子様?)


 存在自体を怪しまれつつあった人物の登場に、皓皓は戸惑った。

 藍皇子が不機嫌そうに眉を寄せ 切れ長の目を向けてくる。


 青みを帯びた黒い両眼に、心臓が跳ねた。


 綺麗な人だ、と思った。

 宛の美しさを春の日差しに例えるとすれば、藍は月が浮かんだ泉のような、冴えざえとした静かな美しさを秘めている。

 血の繋がった従兄弟いとこ同士であるはずなのに、受ける印象は真逆に近い。

 烏の濡れ羽色とはこのことか。艶やかな長い黒髪は、緋色の飾り紐を編み込んだ一房だけ胸の前へ垂らし、残りは首の後ろで束ねている。

 すらりとした細身に、普通、喪服でしか着ない黒一色の長衣ちょういが妙にしっくり似合っている。髪の色と馴染んでいるからだろうか。


 目が合ったのは一瞬だけで、藍はすぐに顔を背けた。


「こいつはなんだ?」

「麓の里の大市で会ったんだ。名前は……皓皓、でよかったかな?」


 尋ねられて初めて、皓皓は今まで名乗りもしていなかった無作法に思い至った。


「皓皓は渾名です。性はジャク、名はコウと申します。渾名で呼ぶ人の方が多いですが」

「なら、僕たちもそう呼ばせてもらおう。なぁ、皓皓」


 自国の皇子から親しげに呼びかけられ、顔が熱くなる。


「おまえ、大市なんかに寄り道していたのか」

「民の暮らしぶりを自らの目で確かめるのは、僕らにとっては有意義なことだろう?」

「おまえの場合、単なる好奇心だろう」

「否定はしないよ」


 ふふっ、と笑う宛に、藍が溜息を吐く。


「それで、どうしてそいつを此処へ連れて来る必要があった?」


 藍の口調はきつい。が、物ともせずに宛は言う。


「ちょっとした騒ぎがあってね。僕が彼の店を駄目にしてしまったんだ。お詫びがしたいんだよ」

「すぐに金を包ませる。持たせて帰らせろ」

「また君はそうやって。もてなしてあげてくれよ」

「おまえ、此処の主は一応俺だということ、忘れているんじゃないだろうな?」


 見るからに歓迎されていない雰囲気に、皓皓は居た堪れなくなってきた。

 帰してもらえるのならば、今すぐにでも帰りたい。

 こちらのそんな気まずい心の内など知る由もなく、宛の手で藍の前に押し出される。


「彼はね、片羽かたはねなんだ。君と同じ」


 その場の空気が凍り付いた。


「……たちの悪い冗談はよせ」

「本当のことさ。だろう?」


 同意を求められた皓皓は、それどころではなかった。


 ――片羽なんだ。君と同じ。


 宛の言葉を反芻する。

 それは、つまり。


「弟皇子様が片羽だっていう、あの噂……」

「まぁ、大筋のところでは真実というわけさ」


 藍は苦虫を噛み潰したような顔をしながらも、否定はしない。


 この国の皇子の一人が片羽? 本当に?


 にわかには信じられない。


「まぁ、どうせ元から、皆、俺よりおまえの言うことの方をよく聞くようになっているんだ。謝礼でも、もてなしでも、勝手に指示すればいい」


 そう言うと、藍は長衣の裾を翻し、逃げるように、階段の上へ戻って行ってしまった。

 ついに、皓皓とは一言も交わそうとしないまま。


「相変わらず愛想のないやつだな」


 宛が苦笑する。


「気を悪くしたかい? すまないね。僕が心配を掛けたから怒っているだけだよ。

 同じ片羽同士、分かち合える話があるかと思ったのだけれど」


 皓皓は黙って首を振った。

 こんな辺境で隠棲しているといっても、相手は一国の皇子。

 皓皓のような庶民を、まともに取り合ってくれるはずがない。宛が気さく過ぎるだけだ。


「さて。というわけだから、僕があいつに代わって君をもてなそう」


 宛が手を叩くと、何処に控えていたのか、女官たちが雲のように湧いて出る。

 そこで初めて、気が付いた。

 いつのまにか、ここまで付き従っていた宛の臣下たち、鷹順を含めた彼ら姿が見えない。

 宮の外で待機しているのだろうか? 何故?


「彼に、休める部屋と、新しい着物を。それから食事の用意を頼む」

「かしこまりました」

「え、あ、あの?」

「それじゃぁ、また後で」


 ひらひらと手を振る宛に見送られ、あれよあれよと女官たちに囲まれた皓皓は、宮の奥へと連れて行かれてしまう。

 完全に辞するきっかけを失くしてしまった。

 どうやら簡単には帰してもらえそうにない。


 一層のこと、藍というあの皇子が、頑として追い出してくれればよかったのに。


 後に、皓皓は心の底からそう思うことになる。

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