第六話 籠鳥(一)


 とんでもないことに巻き込まれてしまった。


 皓皓コウコウは宮の周囲をぐるっとなぞるように歩きながら、これからのことを考える。

宮殿に閉じ込められて、四日目のことだ。


 ランの言う通り宮の裏手は高い壁で囲まれており、取っ掛かりのないつるりとした壁面は、山歩きに慣れ親しんだ皓皓でも、乗り越えられそうにはなかった。

 しばらく散策してみても、猫が通れる隙間もない。

 壁沿いにいくつか倉庫が建てられていたが、その屋根の上までよじ登っても、まだ壁の上には到底手が届かない。

 歩き続けると、例の深い谷に突き当たった。宮殿を囲んで半円状に壁があり、その両端は谷によって切り取られている。そういう構造のようだ。

 悪意すら感じるほど、徹底された包囲網だった。


 最初の夜に泊まった部屋がそのまま居室きょしつとされ、皓皓のいない間に誰かがあれこれ整えてくれているらしい。

 外から戻ると、湯が張られた桶と、新しい着物が置かれていた。


「いたれりつくせりだな」


 呟きながら、桶に添えられた手拭いを濡らし、汗ばんだ肌を拭う。

 里で一番に高級な宿だってここまで気が利いてはいない。泊まったことはないけれど。


 ふわりと食欲をそそる香りがする。扉を開けて廊下を除くと、料理の皿が乗った手車てぐるまが置かれていた。

 朝昼晩、大体決まった時間になると、こうして必ず食事が運ばれて来る。

 首を伸ばして見渡して見ても、長い廊下には人影がない。

 豪勢な食事からはまだ湯気が漂っていた。異様な光景だ。

 初めの一、二回は気後れしていたが、空腹に負けて手を付けて以来、誰の許可を取らずとも勝手に食べてしまうことにしている。

 どうせ、呼び掛けたところで答えはないのだと、もう皓皓も学んでいた。

 料理に残る熱からして、給仕を行なった誰かが近くにいるはずなのに、だ。

 一人食事を始める。料理はどれもとても美味で、味気なかった。




 これは、本当に家に帰らせてはもらえないのだ。

 悟ったのは割合早い段階でのことだ。

 そのうち誰か「こんなことは馬鹿らしい」と言って外に出してくれるのではないか、という期待を脆くも打ち砕かれたのは、この宮の異常に気付いた時。

 宮の中、外、何処を歩いても、誰にも会わない。

 妙だ。

 着物や食事の用意、それ以外も、皓皓が此処で過ごす上で困ることのないような気配りはそこかしこに施されているのに、誰かがそれをしている姿が一切見えない。

 まるで隠れんぼでもしているかのように、おそらくはこの宮の使用人たちであろう誰かは、皓皓の前に姿を現さなかった。


「誰かいるなら出てきてもらえませんか?」


 何度か呼び掛けたみた。応えはなく、気配も感じられない。

 それでも、部屋に戻れば水差しと、籠いっぱいの果物が用意されていたりする。


 居心地の悪さに耐え兼ね、意地でも誰かを見付けてやろうと歩き回った結果、廊下で遭遇したのは藍だった。

 藍の気持ちの切り替えは皓皓より早く、彼は彼が招いたわけではない客を徹底して気にしない、という構えを決め込んでいたらしい。

 が、皓皓に縋り付かれて渋々足を止める。


「その、食事や着替えのことなのですけれど」

「何か不満か?」

「そうじゃなくて……誰が用意してくれているのかなって」

忌子いみこの皇子にも使用人くらいはいる」

「でも、姿が見えません」

「ここの奴らには、俺の前には姿を見せないように命じてある。

 おまえも同じように扱われているのだろう」

「どうしてそんなこと……」

「うるさいのが嫌いなんだ」


 暗に話し掛けるな、と言われてしまった。


 皓皓としては見えない誰かに世話をさている方が落ち着かず、出来れば止めてもらいたい。

 一応そう呟いてはみたのだが、その時その場には誰もいなかったのか、聞こえた上で希望を受け入れてもらえなかったのか。

 その後もいるはずの使用人たちと出会うことはなかった。




 それから更に、二日が経った。

 着物が汚れるのを気にしたのは一瞬。日向を選んで地面に寝そべれば、皓皓にとっては懐かしい草と土の香りがして、大きく息を吸い込む。

 前庭の草地で両手足を広げ、晴れた空を見上げた。


「困ったな……」


 一人ぼやく。

 困ったことに、此処での暮らしには何の不便もない。

 それに困っていた。


 衣食住は十二分に保障され、こうして外に出れば慣れ親しんだ草木と土に触れられる。限られた範囲の中とは言え、窮屈を感じるほど狭くはない。

 人と会わないのだって、山奥で一人ひっそりと暮らしていた皓皓にとっては普通で、孤独なんて養父ちちが他界して一年も経たないうちに手放してしまった感情だ。


 藍の見立てによれば、


「次に様子を見に来た時にきっぱりと断りさえすれば、エンも諦めるだろう。

 それでも無理強いするほど、あいつ愚かな奴じゃない」


 とのことなので、ならばひと月の辛抱だ。そう思うと何も困ったことはない。


 手慰みに千切った草の青い匂いで肺を満たす。

 ネツサマシの草だ。

 庭に生えた下草に何故か薬草が多く混じっていることには、最初に散策して回った時から気付いていた。しかも土が良いのか育ちがいい。

 他にも、血止めの塗り薬や、胃腸の調子を整える薬になる薬草も生えている。

 そうして草を摘み集めていればさして退屈することもなく、無為に時間を過ごす罪悪感にあっと言う間に慣れてしまった。

 気掛かりがあるとすれば、鷺学ロガクに頼まれた薬と薬草を届け損ねていること。

 これだけ沢山のネツサマシが集まればきっと喜ぶのに。

 今思っても詮無いことを思いながら、体に染み付いた癖のように、皓皓は草を摘み集め始める。


 藍はこの宮を鳥籠だと言い、自分を籠鳥ろうちょうだと言った。

 こうして閉じ込められているにも関わらず、何の不自由も感じられない、皓皓自身はどうだろう?

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