第七話 籠鳥(二)
物思いに耽っていた
丁度獣を捉える罠のように、落ちてきた布が皓皓を包み込む。
何事か? と、慌て、もがき、なんとかそれを払いのけた時、開けた視界に、顔を蒼白にした少女たちが立っていた。
年の頃はまだ十にも満たないような幼い子で、瓜二つの顔立ちにお下げ髪、着物までお揃いで、一目で双子の姉妹だとわかる。
ちょこん、と並んで立つ姿は飾り人形のような愛らしさだ。
皓皓を襲った布は
二人の顔に「しまった」と書いてあるのと、抱えられた大きな籠に着物が詰まっているのを合わせて、洗濯物の回収中に飛ばしてしまった敷布がたまたま皓皓の上に被さってきたのだ、と状況を察する。
二人が同時に地面に両手両膝を付き、額までくっつきそうになるほど頭を下げてひれ伏した。
「ああ、そんな。大丈夫だから、気にしないで。
君たちはこの宮の
二人は押し黙ったまま。
まさか口が利けないのか? と思い、すぐに考え直す。
「僕までに気を遣う必要はないよ。ただの一庶民なんだから」
二人がそろそろと皓皓の顔色を窺う。
遠慮がちに、小さな口が開かれる。
「……でも、」
「……皓皓様は藍様と対になられるお方なのでしょう?」
「様付けはやめて。それに、その話は
少女たちは困惑した様子で顔を見合わせた。
「名前を聞いてもいい?」
「……
「……
「いつも着替えを用意してくれているのは君たち?」
二人揃って小さく頷く。
「そうか。小翡。小翠。ありがとう」
「とんでもございません」
「わたしどもの仕事ですから」
ぶんぶんと首を振る二人に笑みが溢れる。
冷たい空気しか感じられなかった宮の中で、こんなに愛らしい子供たちが働いていたのか。
つい、もっと喋りたくなってしまう。
「ついでと言ったらなんだけど、お願いをしてもいい?」
「何なりと」
良く似た声が重なった。
「此処から出して欲しい」
それは、と言葉を詰まらせてしまった二人の絶望的な表情を見て、申し訳ない気持ちになる。
「ごめんなさい。わかってる。出来ないんだよね」
「申し訳ございません」
少女たちを慌てて宥め、再び平伏しようとするのを押し留めた。
「籠か風呂敷か、何か容れ物を貸して貰えないかな? あれを運びたいんだ」
地面にこんもりと山になった薬草たちを指す。無意識に摘んでいるうちに、こんなに集まってしまっていた。
このまま放置してただ枯らせてしまうのは勿体ないので、折角だから保存出来るように処理しておこうと思い至ったのだ。
不思議そうな顔をする少女たちに苦笑いする。
それはそうだ。知らない人間からしたら何に使うかわからないに違いない。
「薬草なんだ。つい癖で集めちゃって」
「御意に」
二人が深々と礼をする。
「あの、そんなに
僕は藍皇子みたいに、うるさいなんて言わないから」
「藍様を悪く
突然、悲鳴のような声で二人が叫ぶものだから、皓皓は面食らってしまった。
「申し訳ございません」
「でも、」
と、小翡と小翠がそれぞれに唇を噛み、両目に涙を浮かべて訴えた。
「藍様が姿を見せるなと仰るのは、わたしどもを
「どういうこと?」
「
「藍様は、御自身が関わった相手は、不幸になるとお考えです。だから、わたしたち使用人どもにまで気を遣って、極力人と関わらないようにしておられるのです」
「あのように厳しい物を言いをされるのもわざとなのです」
「本当はお優しい方なのです」
初めこそ遠慮がちだった少女たちの言葉には徐々に熱がこもり、やがて二人はすんすんと啜り泣き始めた。
「……君たちは、藍様のことが好きなんだね」
「大好きです!」
少女たちの裏表ない好意に、一時の感情で人を悪く言ってしまった己を反省する。
自分はまだ藍のことを知らないのだ、と理解した。
同時に知りたい、と思う。
無垢な少女たちが懸命に敬愛する人のことを。
「藍様のこと、教えてもらえないかな?」
途端、二人の目が輝いた。本当に藍のことが大好きなのだろう。
皓皓が摘み散らかした薬草を分けて束ねる作業を手伝ってくれながら、小翡と小翠は口々に藍についての話を語って聞かせてくれる。
「藍様がお生まれになった時、お父上であらせられる
「除籍?」
「皇族と関わりのない家へ養子に出すか、あるいは、神職に就かせて俗世との交わりと断つか」
「そんな。生まれてすぐに?」
「皇族に片羽が生まれるということは、それほどの禁忌なのです。
昔は
「ですが、あまりに可哀想だとお止めになったのが
「藍様が六つの時、藍様のお母上がお亡くなりになられました。
元より体の丈夫ではない方で、病が原因だったのですが……藍様は今でも御自分のせいだと思っておられます」
「勿論、わたくしどもはそうは思っておりません。兄皇后様や宛様
ですが、折の悪いことに同じ年、酷い日照りによる飢饉がありました」
およそ十年前。まだ幼かった皓皓の記憶にはほとんど残っていない。
それでも「あの年は酷かった」と、大人たちが語るのは何度も耳にしている。余程のことだったのだろう。
「
そして、弟皇様と兄皇様は藍様を国の中心から遠ざけ、この宮にお囲いになるとお決めになったのです」
「この宮の主人となってまず最初に、藍様が使用人たちに下された命令が『自分の前に姿を現わすな』だったそうです。以来、藍様はこの宮の使用人たちも、
「藍様が
僅か六つで周囲から忌み嫌われ、言ってしまえば父親に見捨てられる形で、辺境の宮に閉じ込められ、他人と接することなく生きてきた人生。
少なくとも、藍が他人に対して友好的でない理由は、これで理解出来た。
皓皓とて人付き合いが上手い方ではない。
その要因が、山中での暮らしと、自分が片羽であることに関係するのは確かだった。
そう考えると、藍のあの辛辣な物言いも仕方ない気がしてくる。
「君たちは何時から此処で働いているの?」
「三年前からです」
二人の出身は下級貴族だそうで、家を継げない貴族の女児や長男以外の男児が、宮仕えをする例は多いのだそうだ。
三年仕えただけの彼女たちは、まともに藍と顔を合わせたことがないと言う。
暮らしに不自由がないよう、いつも影からこっそりと様子を伺うだけ。
今語ったこともほとんどが彼女たちが宮仕えを始める前の話で、先輩使用人たちからの伝え聞きだそうだ。
それでも少女たちは主を敬愛する。
二人以外にも大勢の使用人が働いていて、中でも長年勤める人たちがそう語ったというのだから、使用人たちの間での藍へ対する感情は、小翡や小翠と同様なのだろう。
皓皓の中で、藍という人物の認識が変化し始めていた。
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