第十七話 夜風


 スウ皓皓コウコウを連れ出してくれた後、


「強引な手段を取ったことは謝るよ。ちゃんと話そう」


 急に殊勝しゅしょうな態度に直ったエンと並んで、ランは庭を歩いていた。


「頼むよ、藍。僕はどうしても、君に表舞台に立って欲しいんだ」

「今更だろう」

「子供の頃からの約束じゃないか。いつか僕が兄皇けいおうの座に就いたら、藍は芻と結婚して弟皇ていおうになる。そうして三人で国を治める、と」


 宛がいつまでも昔の戯言ざれごとを忘れないでいることに、苦々しい思いで舌打ちをした。

 藍がまだ五つの頃の話だ。まだ、母が生きていた頃の話。


 鳳凰之国の二人の皇は便宜上『兄皇』『弟皇』と呼ばれてこそいるが、男女を問わず、兄皇弟皇双方そうほうの皇子皇女の中からもっとも年長のついが選ばれる。

 次の兄皇には宛が、弟皇には芻がなることは決まっていた。

 だから、と言い出したのは、宛だったか、芻だったか。


『宛が兄皇になって、芻が弟皇になって、藍が芻とつがいになれば、三人一緒に「皇座」に就けるね』


 結婚の意味も、愛だの恋だのという感情もまだ知らなかった。

 藍が宛や芻とは違うものであることもわからず、この先大人になってもずっと二人と一緒にいられるものだと、無邪気に、無知に、信じていた。

 そんな、子供の浅はかな夢想むそう


「まわりが認めない」

「だから、それを認めさせるために、彼に君の片割かたわれを演じてもらうんだ」

「あいつを巻き込むな」


 宛は藍を思って言っている。それはわかる。

 だが、皓皓はどうなる?


「あいつはあいつで、自分の居場所に残して来たものがある。それを俺たちの都合で捨てさせるのか?」

「暮らしに不自由はさせない。保証する」

「そして暮らし以外のところで不自由をいるのか?」


 長年蚊帳かやの外に置かれてきた藍でさえ、皇族の暮らしの窮屈さは知っている。

 富と権力と引き換えに、責任と言う名の重荷に縛られる。

 躍起になってそれを求める人間は多いが、皓皓がそれを望むようには、どうしても思えなかった。


「あいつの意思を尊重すべきだ」

「言ったな」


 藍の言葉を掬い取って、宛は条件を突き付けた。


「もしも彼自身が此処へ残りたいと言ったら、その時も彼の意思を尊重するな?」

「……言わないさ」


 昨晩のことを思い返し、藍は呟いた。

 差し伸べられようとしていた手を、藍は確かに払い除けた。


 もう終わった話なのだ。

 あんな扱いをされてもまだ尚、こんな辺境に閉じ込められた忌子いみこと共に在りたいと思う人間など、いる筈がない。

 いる筈がないのだ。




「僕は、ここに残ることにします」


 皓皓がはっきり意思を固めたことで、宛は大喜びだった。


「本当かい! いや、良かった。本当に良かったよ。多少手荒な方法でも、気を回した甲斐があったというものだ」

「改めて、お礼を申し上げますわ。皓皓」


 芻が両手で皓皓の手を握る。


「でも、それは藍様の対として、ということではなくて……」


 必死に訴えようとする声は、二人にどれくらい届いていただろう?


「そうと決まればお祝いだ!」


 宛が用意させた宴は、宛と芻と藍、それに皓皓の四人だけの席。

 それでもはしゃいだ宛が杯を重ね、芻が楽しそうに藍や皓皓に話題を振って、華やかな宴会にだった。


 藍は終始苦い顔をしていた。




 従兄姉いとこたちから散々絡まれた藍が辟易へきえきして、「いい加減にしろ」と、お開きを告げる頃には、もうとっくりと夜が更けていた。


 強引に飲まされた酒でふわふわと頼りない心地になっていた皓皓は、少し頭を冷やそうとあてがわれた部屋を出る。

 自然に足が向う先は、最上階のあの露台ろだい


 扉の鍵は当然のように開いていて、先客は勿論、藍だった。

 胡琴こきんを床に放り出して、ただらんかん干に寄り掛かって風に吹かれている。

 気付いていないはずがないのに、こちらを見向きもしない。


「怒っている? ここに残ると、勝手に決めたこと」


 宴の席では、宛と芻の勢いに押されてまともに話せなかった。

 でも、本当は、本当に真っ先に話し合うべきだったのは、話し合いたかったのは、藍だった。


「……馬鹿な奴だ」


 皓皓の方を見ないまま、藍が呟く。


「うん」

「災いが降りかかっても知らないぞ」

「そうなったとしても、藍のせいにしたりはしないよ」


 藍が吐いた溜息が、夜の風に溶けて流れる。


 そっと寄り添った皓皓を、藍は拒まなかった。


「今日は弾かないの?」


 放置された胡琴を見て言うと、


「酔いが回っているからな。いつも以上に酷いぞ」


 言い訳がましい前置きをして、藍は弓を手に取った。

 不器用に始まった旋律に、皓皓は耳を傾ける。


 きっとこれから先も、誰にも迷惑を掛けないように、山奥のあの小屋で一人ひっそりと生きていくのだろうと思っていた。

 宛に此処へ連れて来られて、藍と出会い、違う道がひらけた。誰かと共に生きる、という道が。

 他に思い描けなかった未来。

 その景色が色を変えたことに、本当は心踊らせているのかもしれない。


(宛様に感謝しないといけないな)


 こちらの意志をかえりみずに連れて来られたことは、まだ少し怒っているけれど。


 夜風に負けそうな頼りない音色に呼吸を合わせて、皓皓はそっと目を閉じた。




 神様は、残酷だ。

 皆に与えてくれるはずの灯火ともしびを一人にだけ与えてくれなかったり、気まぐれで病や飢饉ききんを振り撒いたりする。


 何故、彼だったのか?

 何度も思った。


 誰も傷付けまいと籠の中で息を殺し、それでいて、見も知らぬ誰かの不幸をうれいてうずくまっていた、一人ぼっちの、鳥にすらなれない鳥。


 何度も心の中で問う。

 どうして神様は、彼にこんなにも酷い仕打ちをするのだろう?

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