第十六話 金色の鳥(三)


「よかった。エン我儘わがままも時々は役に立つのですね」

「でも、ついの相手になるのは無理ですよ」


 それはまた違う話だ。

 一国の皇子と対等な立ち場に立つのは、皓皓コウコウには荷が重過ぎる。


「それならそれでも構いませんわ。ただ側にいてくれるだけの存在こそが、ランにとっては救いですもの」

「それに……藍にはもう、『帰れ』と言われてしまいました」

「まぁ」


 スウは両手で口元を覆った。それからくすくすと笑い出す。


「貴女、藍の言うことが全て言葉の通りだと思いますの?」


 一拍遅れて意味を理解すると、じわりと顔が熱くなった。


 信じてもいいのだろうか?

 昨夜の藍の言葉が、いつもの彼らしい皮肉であったと。


「僕は、藍の力になれるでしょうか?」

「それは私が保証します」

「なんで、そこまで」

「だって、藍のあの顔を見ればわかりますわ。藍がどれだけ貴女に心を許しているか」


 芻はふふふ、と零し、それから急に真顔になる。


「でも、そうね。貴女のような素敵な人が近くにいたら、藍が好きになってしまうかもしれませんわね。そうしたら私の恋敵になってしまうのかしら?」

「そんな、まさか!」

「もしそうなっても意地悪なんてしませんから、安心してくださいな。そうしたら、私も藍に好きになってもらえるように努力するだけだもの。ただ、ちょっとだけ嫉妬はしてしまうかも」


 冗談にしても笑えない。

 これを聞いたら、藍がどんな顔をするか。

 それ以前に、藍は皓皓を男だと思っているわけで。


 芻は不思議な人だ。

 少しも嫌味がない。無垢で、無邪気で、それでいて無知ではない。

 言葉の全てに嘘がないことがわかった上で、全てが綺麗なのだから、戸惑とまどってしまう。


(ああ、そうか。だから、藍は――)


「心配しなくても、藍様も芻様のことが好きだと思いますよ」

「あら。そうだったら良いのですけれど」


 こんな人に好きになられて、好きになり返さないはずがない。

 少なくとも、皓皓が藍だったら間違いなく芻を好きになっている。


 そうですわ、と芻は思い出したように茶杯ちゃはいを置いた。


「貴女に貰って欲しい物がありますの」


 芻がふところから袱紗ふくさを取り出して、卓の上に広げて見せる。

 そこに包まれていたのは、深紅しんくの糸で編んだ組紐くみひもだった。

 藍や宛がしているような、髪に付ける飾り紐だろう。


「地味過ぎるかしら? 女の子だとわかっていたらもっと華やかに作りましたのに」

「芻様がお作りになったのですか? ご自分で?」

「こう見えて手先は器用な方ですのよ」


 芻は飾り紐を皓皓の髪に当てて見比べると、


「やっぱりこのままだと寂しいわ。少し待ってくださいね」


 言うなり、自分の左手首にめてある腕環うでわを外し、糸をほどいて、つらなった宝玉ほうぎょくをばらばらにしてしまう。

 驚く皓皓をよそに、ころころと散らばる宝玉をいくつか捕まえて、自負した通りの器用さでそれらを組紐に編み込んだ。


「これでどうかしら?」


 身を乗り出して、あれよあれよと言う間に皓皓の髪にそれを飾り付けてしまったかと思うと、芻は満足そうに頷いた。


「うん。こっちの方がいいわ。私の物からの使い回しで申し訳ないけれど」

「こ、こんな立派な物、頂けません!」


 皓皓は大慌てで首を振る。

 貴色きしょくの赤に加え、惜しむことなく使われた宝玉と、皇女から下賜かしされたという重みが垂れ下がる。庶民が身に付けていいような物ではない。

 そうでなくとも、髪なんて麻紐あさひもで束ねるくらいしかしたことがないのに。


「嫌かしら?」

「嫌なんて……でも、赤い紐も、宝石も、僕にはふさわしくありません」

「そんなことないわ。貴方の髪の色に赤は良く馴染なじんでいるし、その石、藍の目と似ているでしょう?」


 髪に編み込まれた紐を摘む。

 先の部分に留められた宝玉は、言われてみれば確かに藍の目と同じ色をしていた。

 ただし、光を受けた時の藍の目の色――あい色だ。


「私のお気に入りの石よ」

「だったら、尚更」

「残念だけれど、私には似合わないの。赤も、その石の色も」


 髪を手でき、芻は耳の後ろに下げられた自分の飾り紐を示した。

 皓皓に渡された物よりやや黄みの強い赤、朱色の紐に真珠があしわられている。


「私の髪、色が薄いでしょう? だから深い色が溶け込みませんの。着物と合わせても、ほら、ちぐはぐで。私も皓皓のような赤い髪だったら良かったのに」

「僕の髪なんて何の変哲もない赤毛で……」

「私の髪がこんな色なのは、麒麟の血が半分混ざっているからですもの。純粋な鳳凰ではないから、というだけのことですわ」


 細い指にくるくると髪を巻き付けながら芻は言い、それからはっと口をおおった。


「いやですわ。私ったら、卑屈な言い方をしてしまいましたわね」

「いえ……」


 決まりが悪そうな芻に、皓皓は『民衆の前に姿を現さない弟皇ていおうの皇子』のことだけではなく、兄皇けいおうの皇子皇女たちについて囁く人の声があることを思い出した。


 ――崇高たる鳳凰之国ほうおうのくにの皇家の血筋が、麒麟の色に侵食されてしまった。


 皇子皇女が生まれた時、双子の髪を指して誰かが言った。

 鳳凰の血の赤は麒麟に負けてしまったのだと。


 兄皇の元に初めに生まれた双子は金色こんじき――麒麟の色の、それでも鳳凰だった。

 次の皇女たちは母親の血を濃く受けたのか麒麟の双子であった。

 彼女たちは今、留学という体裁をとって、母親の生家である麒麟の国の王家に預けられている。

 麒麟として生きる道を許された妹たちより、いずれ鳳凰として国を継がなければならない宛や芻に向かう目の方が厳しい。皇家を重んじる鳳凰之国だからこそ。


 金色はこの国の色ではないと、異端を嫌う者は言う。


「麒麟の血を継いでいることをうとましく思っているわけではありません。お母様のことも大好きですわ。だから、この色がお父様とお母様の娘の証であるならば、誇りに思わなければいけませんのにね」


 これ程何もかもに満ち足りていそうな彼女でも、悩むことはあるのか。

 それでも、それを正直に打ち明けられる彼女は強い。

 その強さが、皓皓には眩しかった。


「……貴女と宛様が変化した姿を見た時、僕は、初めて本物の鳳凰を見たと思いました」


 いつのまにか口に出していた。

 慰めなんておそれ多い。

 だから、ただの、皓皓の本当の気持ちを。


「美しい鳥でした。とても」

「……ありがとう」


 芻がやんわりと微笑んだ。

 自分ならこんな風に笑えるだろうか。あんな風に言えるだろうか。


「宛や藍には内緒よ? 私がこんな愚痴ぐちを零していたなんて」

「はい」

「それから、」


 と、芻は細い指を一本、自分の唇の前に立てて見せる。


「私が藍のことを好きだということも、秘密にしてくださいね」


 はにかむその顔は、里の少女と何も変わらないあどけなさで。

 その笑顔がとても素敵に思えたので、多分皆知っているだろうとは、言わないでおくことにした。

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