第十四話 金色の鳥(一)


 その日、小翡ショウヒ小翠ショウスイは一段と立派な着物を用意していた。

 近頃は当たり前に使用人用の着物を借りていた皓皓コウコウには、細やかな刺繍で縁取られた袖が重く感じられる。


「皇子皇女様をお迎えするのに使用人と同じ格好では」


 それで言うなら藍も立派な「皇子様」の筈なのだが、外からの客人を迎えるとなると心構えも違うのだろう。

 二人は朝からずっとそわそわとしており、落ち着かない様子だ。


「やっぱり僕には似合わないね」


 慣れない着物を纏った皓皓が照れ隠しに笑うと、揃って首を振る。


「そんなことはございません!」

「よくお似合いです、皓皓様」


 皓皓は今にも泣き出しそうな二人の頭を撫でた。

 この宮での暮らしをつらく感じなかった理由のうちの何割かは、この双子の少女たちが屈託なく自分を慕ってくれたからだ。


「ありがとう、小翡、小翠」


 心から、そう言いたかった。


 着替えを終え部屋を出て、もう迷わなくなった廊下を歩き、階下の広間に降りる。

 扉は開け放たれていた。外に出る。

 前庭では、この時期にしては穏やかな風に吹かれて、ランが快晴の空を見上げていた。


 相変わらずの黒い着物で、相変わらずの仏頂面。

 だが、いつもよりほんの少しだけ、落ち着きがないように見えるのは気のせいだろうか?


「藍」


 昨夜はっきりと「帰れ」と言われた。

 藍はきっとエンたちが到着したら、皓皓を家に帰すように主張するだろう。

 宮の主たる藍に許されないのなら、皓皓はもうここにはいられなくなる。


(帰りたいって、あんなに思っていたはずなのにな)


 宛たちがまだ到着しなければいいのにと思う自分がいる。

 だが、その時はやってきた。


「来たぞ」


 藍が示した先に目を凝らせば、遠くの空に現れた、小さな点を見付けることが出来た。

 初めは芥子粒けしつぶのようだったのが、みるみるうちに大きくなっていく。

 それらが鳥の形と認識出来るまで近付いて来た時、皓皓は息を呑んだ。


 連なって飛ぶ中に、一際目立つ一羽がいた。

 見たこともない、美しい鳥だった。

 羽の先がわずかに赤みを帯びた、見事な金色こんじきの鳥。


スウと宛だ。今この国には、金色の鳥に変化する人間は芻しかいない」


 麒麟の血が混ざった彼女だけが、金色の羽を持つという。

 片割かたわれの宛でさえ、芻皇女と共に変化しなければあの色の鳥にはならないのだそうだ。


 鳳凰とは赤い瑞鳥ずいちょうなのだと聞く。

 だが、今目の前に降り立ったこれこそが、鳳凰と呼ぶに相応しい鳥だ。

 そう思ってしまう程に、美しい。


 地面に降り立つや否や、鳥の形は溶けてほどける。

 次の瞬間には、二人の人間に分かれて現れた。


「藍!」


 美しかった鳥は少女の姿になっても尚美しく、光溢れる満面の笑みで軽やかに藍に駆け寄って来る。

 上に向けた自分の両手で藍の両手を取り、膝を曲げて礼をした。貴族風の挨拶だ。


「久し振りですわね、藍」

車輿しゃよも使わず、自らの羽で飛んでくる皇女があるか」

「だって自分で飛んだ方が速いのですもの。早く藍に会いたかったのよ。お元気でしたか?」

「おまえは変わらないな」


 皓皓は藍の声に「あれ?」と思う。

 芻、とその名前を呼ぶ音が、いつもの彼の声と違う気がする。

 そういえば、昨日手紙の話をした時もそうだった。


「そちらが例の方?」


 眩しいくらいにきらきらとした眼差しが、皓皓の方へと向けられる。


「あら、あなた……」


 何かを言いかけた芻が、思い直したように「いえ」と首を振った。


「初めまして。藍の従姉いとこ兄皇けいおうが第一皇女、芻と申します」


 芻は圧倒される皓皓の手を取り、藍にしたのと同じ礼をする。


「は、初めまして。僕は……」

「宛から話は伺っておりますわ」


 どぎまぎしてしまって舌が回らない皓皓に、芻は満面の笑みで応えた。


 男女の違いはあれ、宛と良く似た顔の、綺麗な人だった。

 緩く波打つ豊かな髪は鳥の姿の時のまま金色で、同じ色の瞳と共に、陽の光を浴びて輝いている。

 髪に編み込まれた飾り紐や、皇族の証の赤い着物、耳や腕の装飾品はどれも華美であったが、それが嫌味にならない気品を彼女は持ち合わせていた。

 そして、何より華やかに咲いているのは、彼女自身の笑顔だ。


「この度は宛が随分強引なことをしたようで、申し訳ございませんでした。戸惑われたでしょう? 本当に、宛ったら人の都合を考えないのですから」

「こらこら、片割のことをそう悪く言うものではないよ」


 芻の勢いから一歩出遅れて、言葉とは裏腹な笑みをたたえた宛がやって来る。


「やぁ、藍。それに、皓皓も」

「やぁ、じゃない!」


 芻に対する態度とは打って変わり、藍は殴り掛かりそうな勢いで宛に詰め寄った。


「また勝手なことをして! おまえというやつは、いつもいつも……」


 珍しく感情を抑えきれないらしく、藍の怒りようといったら、何故か同じく被害者であるはずの皓皓が「まぁまぁ」と取り成さなければならない程だった。

 様々な感情がこもっていそうな溜め息を深く長く吐き出して、藍はきつく宛を睨む。


「いいか。おまえには言いたいことが山程あるぞ」

「あら」


 藍の怒りなど何処吹く風、といった調子で、芻がぱちん、と手を打った。


「でしたら、宛と藍は二人で存分に喧嘩をなさいな。その間、私は皓皓さんとお話していますから」

「え?」

「行きましょう」


 言うや否や、皓皓の手を取って、芻はさっさと歩き出す。

 離れた所で控えていた臣下のうちの数人が、慌てたように追い掛けて来た。


「あ、あの、芻様?」

「気が済むまでやらせたらいいのだわ。それとも、あなたも宛に文句の一つや二つ、言っておきたかったかしら?」


 滅相もない。

 ぶんぶんと首を振る皓皓に、芻はくすりと笑った。


(ああ、そうか)


 皓皓は納得する。

 芻は、皓皓をあの場から引き離す口実を作ったのだ。皓皓がいたら話しにくいことを、二人が話せるように。

 ならば大人しく彼女に従おうではないか。

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