第19話 春

 下駄箱の君に宣戦布告をした翌日、緊張しながら下駄箱を覗くと、いつものように手紙があった。

 だが、その手紙はいつもと違い薄い桃色の封筒に入っていた。


 まさか、下駄箱の君ではない? いや、下駄箱の君以外ありえない。


 ほんの少しの期待を胸に、封筒から取り出した手紙を開く。

 そこにはいつもの書きなぐったような文字ではなく、可愛らしい丸みを帯びた小さな文字が並んでいた。


『 花井陽翔くんへ


 伝えたいことがあります。今日の昼休み、三階の女子トイレの前で待っていてください。

 私は恥ずかしがり屋なので、見つけてくれると嬉しいな。てへっ


 花井君が気になってる女の子より』


 手紙を持つ手が震える。

 何ということだろう。これは、この手紙は……!!


「ラブレター……ッ!!」


 花井陽翔16歳、遂に人生の春がやって来た瞬間だった。

 

 世界が輝いて見える。

 晴れだからとかそういう意味ではない。

 教室の隅で咲いている花も、黒板も、床の木目さえもが美しい。

 そう、人も物も、そこにいるだけで素晴らしい。

 ああ、生命の誕生に感謝を。


「おっす、陽翔。手紙は今日も来てたのか?」


 清らかな気持ちで神への感謝を捧げていると、我が愛しの親友である大地が話しかけてきた。

 整った顔立ちに加え、大地に彼女がいるという事実に普段なら嫉妬してしまうところだが、今日はそれが全くない。

 寧ろ、親友の幸せが自分の幸せのように感じられる。


「おはよう、大地。今日もいい表情だな。大地のような親友を持てて、俺は嬉しいよ。彼女と楽しくやるんだよ」


 微笑みながら大地に挨拶する。

 そんな俺を大地は二度見する。そして、目をこすっては俺を見て、目をこすっては俺を見るという行為を繰り返していた。


「お、お前……本当に陽翔か?」

「ははは。おかしなことを言うな。正真正銘、君の親友の花井陽翔さ。ああ、今日も世界は輝いているね」

「き、気持ち悪い……」


 信じられないものを見る目を向けてくる大地。


「変な大地」

「変なのはお前だろ! 何が起きた!? 頭のおかしい科学者に改造でもされたか!?」

「そんなアニメみたいなこと起こるわけないじゃないか。全く、大地はお茶目だな」

「ひいいい!!」


 悲鳴を上げると、大地は「頭痛くなってきた」といって自分の席に戻っていった。

 頭痛か。早く治るといいけど。

 大地を見送った後、暫くは椅子に座りながら教室に入ってきたクラスメイトたちに朝の挨拶をする。

 皆、二度見してきたけど、最近は二度見が流行りなのだろうか?

 流行に疎いとこういうことに気付けないからよくないな。


 そうこうしていると、風香さんがやって来た。


「おはよう、風香さん。今日も綺麗だね」

「……!?」

「ああ、そうだ。昨日は貴重なアドバイスをありがとう。おかげで凄く助かったよ。知性溢れて、美しい。まるで風香さんは知性の女神メーティスだね」

「あ、え……お役に立てたならよかったです……」


 困惑した表情で風香さんが席に着く。

 ありがとうと言葉にするだけで、俺まで気分が良くなる。やはり、感謝の気持ちを言葉にするのは気持ちがいい。


「あの、花井君、熱でもあります?」

「心配してくれて嬉しいけど、元気いっぱいだ。今ならシラクスの街までだってひとっとびだね」

「はぁ……」


 風香さんはキョトンとした顔を浮かべている。

 シラクスの町といえば、「走れメロス」なのだが、どうやら俺の抱腹絶倒ギャグは風香さんには刺さらなかったらしい。

 だが、怒りは勿論羞恥の感情も無い。

 誰かを笑わせようとすることは、その思いだけでもう尊いのだから。

 失敗を恥じるより、挑戦したことを褒めたたえようではないか。


 よっ! よく頑張ったぞ、俺!


 それ以降、風香さんは話しかけてこなかった。

 沈黙、それもまたいい。話すだけが人間関係の全てではない。


 そう思っていると、花井美陽が教室に入って来る。

 今日も皆に愛嬌を振りまく姿は、まるでヴィーナス。普段からお世話になっているし、挨拶をしておこう。

 席をたち、花井美陽の前に歩いて向かう。


「あ、陽翔おはよう」

「グッモーニン、マイマスター。今日がマスターにとって幸せな一日になることを祈ってるぜ」


 最後にウインクを一つする。

 師匠は英語でマスターとも言う。俺から花井美陽への挨拶でこれほど適したものは無い。


「……へ?」


 俺のウインクを受け、花井美陽は口をポカンと開ける。

 力が抜けたのか、その手からはカバンが落ちようとしていた。


 危ない! こんなにも素晴らしい一日なのに、マスターの鞄が汚れるなんて悲劇を起こすわけにはいかない!


 気付いた時には足は動き出していた。

 二歩でトップスピードに乗り、花井美陽の手から滑り落ちる鞄をスライディングしてキャッチする。


「ったく、そんな隙だらけだと、鞄落としちまうぜ」

「あ、ありがとう……。あ! ごめん、服……」


 鞄を手渡すと、花井美陽は俺の制服のズボンを見て申し訳なさそうな表情を浮かべる。

 俺の制服のズボンはスライディングしたことで小さな穴が開いており、少し汚れてしまっていた。


「マスターの大事なもんを守れたんだ。俺にとっては埃っていうか、誇りだな。勲章ってやつさ。それより、マスターは笑ってくれよ。あんたに悲しそうな表情させたくて身体張ったわけじゃないからよ」


 埃と誇りをかけたナイスなセンスのギャグに花井美陽の顔にも笑顔が咲く。

 その笑顔を見てから、俺は静かに自分の席へ戻った。


 たった一枚の手紙で世界はこんなにも変わる。

 今日もいい日になりそうだ。


***


 昼休み。


『陽翔、保健室へ行こう! 絶対にお前、なんかおかしいって! お前はこんなキモい奴じゃなかったんだ!』


 と俺を保健室へ行かせたがる大地の制止を振り切り、俺は二年生が利用する三階の女子トイレの前で腕を組み、壁に寄りかかっていた。

 視線は伏せ気味に、時折周りをチラリと見る。


 俺の周りはざわついており、多くの女子たちが遠巻きからひそひそと話しながらこっちを見ていた。


 何を話しているかは聞こえないが、きっと『何あの人ちょーかっこいいんですけど』とか、『やばば! ちょーすきぴ!』とか言っているに違いない。


 ふっ。モテ期ってやつか……。


 おっと、つい笑みが漏れちまったぜ。

 これではいけない。俺には、手紙をくれた俺のことが大好きな女の子を見つけるという使命があるのだから、他の子に現を抜かしている暇はない。


 そう思っていると、こちらにおそるおそる女子が一人向かってきた。


「やあ」


 声をかけるとその子はビクッと肩を震わせ、怯えたような表情で俺を見る。


「君かな? 俺のことが大好きだって子は?」

「ひぃぃ! ち、違いますぅ!!」


 そう言うと、その子は俺に背を向け立ち去って行ってしまった。


 違ったのか。

 まあ、そういうこともあるだろう。気を取り直して次だ。


「やあ」

「ひい!?」


「俺のことが好きなのか?」

「ひえっ」


「好きって言いなよ」

「ぴょっ」


 その後も女子トイレに近づいてくる女子たちに話しかけるが、当たりはなし。皆、脱兎のごとく立ち去って行ってしまう。


「やれやれ」


 肩をすくめ、息を吐く。


 まあ、この学校には女子が多い。気長に待つとしよう。


「陽翔……! もう見てられねえ。これ以上、お前の奇行を俺は見過ごせない!!」


 廊下に響く声に視線を上げれば、目の前には大地の姿があった。

 その表情は悲痛に満ちている。

 なにかあったのだろうか?


「どうしたんだ、大地? そんなに声を荒げるなんてお前らしくもない」

「らしくないのはお前だろ! いや、確かにお前ならそんなことしてもおかしくないって思う俺もいるけど……でも、これはやりすぎだ!」

「話が見えてこないな。何が言いたいんだ?」

「まだ分かんねえのかよ……。女の子の気を引きたいのは分かる。でも、女子トイレの前で待ち伏せしてトイレに向かう女子に話しかけるのはアウトだ! そんなの、女子からしたら恐怖でしかないって言ってんだよ!」

「ははは。おかしなことを言う。俺はただ俺のことが大好きな人を待っているだけだぜ?」


 そう。

 俺はラブレターに記載されていた場所にいるだけだ。

 そして、見つけて欲しいと言われたから探しているだけである。そこにやましい気持ちなどない。


「……ッ。モテたいって欲はここまで人を変えちまうんだな……。俺が面白がってお前を止めなかったから、こうなっちまったのかもな。陽翔、友人として俺はお前を止める」

「何を言ってるんだ? 俺は変わっていない。変わったのは世界の方だ。漸く世界が俺に追いつき始めたんだ。なのに、大地は俺を邪魔するのか?」

「止める。それが、俺に出来るお前へのせめてもの贖罪だ!」


 その言葉と供に大地は俺に向かってくる。

 訳が分からない。ただ、今の大地が俺の恋の邪魔になるということは分かった。


「人の恋路を邪魔する奴は馬に蹴られて死んじまえ。そこまでは言わないが、邪魔するつもりなら相応の覚悟はしてもらうぞ」


 両手を前に構える。

 素晴らしい一日の始まりだと思ったんだけどな。

 残念だ。


「陽翔おおお!!」

「来い、我が友よ」


 そして、俺と大地の拳が交差した。



***


 14話と15話が被ってたので修正しました!

 レビューして下さった方、ありがとうございます! めちゃくちゃ嬉しいです!

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