第26話 友達

 夕陽が差し込む放課後の空き教室。

 影の中から出て来た陽翔が美陽の逃げ場を遮るように、窓に手をつく。

 困惑する美陽を陽翔の眼差しが貫く。夕陽を浴びた陽翔の顔が美陽には何故だかいつも以上に男らしく見えた。

 そして、陽翔が口を開く。


「美陽は大切な人だから、手放したくないんだよ」


 その言葉が何度も美陽の頭の中をぐるぐると駆け巡る。


(え? どういうこと? 大切な人? 私が? 手放したくない? え、それって……どういうこと?)


 何度も同じ疑問を考えている内に、陽翔は空き教室を出て行った。

 残されたのは未だに冷静さを取り戻せていない一人の女の子だけ。


「保健室、行かなきゃ……」


 暫くして、陽翔がいなくなったことに気付いた美陽はフラフラと覚束ない足取りで空き教室を後にして、水瀬香織の眠る保健室へと向かった。



***



 保険室へ向かう途中の廊下で美陽は香織と出会った。

 香織は既に目を覚ましており、丁度鞄を取りに教室へ向かう途中だったらしい。

 美陽もまた教室に鞄がおいてあるため、二人で教室へと向かうことになった。

 教室へ向かう二人の間には沈黙が流れていた。

 香織としては、美陽にされたことを思い出して照れているというのと、自分が美陽を様付けで呼んでいることや、自分のしでかしたことを美陽に知られたということを思い出して気まずく感じている。

 対して、美陽は美陽で未だに陽翔にされたことを忘れられずにいた。


 微妙な空気の中、先に動いたのは香織だった。


「花井さん、そのありがとう」


 教室につくや否や、美陽に頭を下げる。

 美陽は陽翔に酷いことをした香織を許した。更に、傍にいて欲しいとまで言ってくれた。

 その言葉は間違いなく香織を救った。だからこその感謝だった。


「ああ、お礼なんていらないよ。香織と友達でいたかったってだけだからさ」

「友達……。そ、そうですよね!」


 友達とはっきり言われ少し落ち込みはしたが、自分のしたことを考えれば友達と言ってもらえるだけでも喜ぶべきことだと、香織は自分を励ます。

 事実、友達だとしても美陽の傍にいられることに香織は少なくない喜びを感じていた。


「あ、そうだ。これを機にさ、香織もそろそろ美陽って呼んでよ」

「そ、そんな花井さんを名前で呼び捨てだなんて!」

「でも、影ではああやって美陽様なんて呼んでるんでしょ? なら、美陽って呼んでくれてもいいじゃん。前から名字呼びを直して欲しいって言っても聞かないしさ。それとも、私の名前を呼ぶのは嫌かな?」

「とんでもない!」

「なら、決まりだ。ほら、試しに呼んでみてよ」

「え、えっと、じゃあ……み、美陽」


 躊躇いがちながらも香織ははっきりと美陽の名前を呼んだ。

 そのことで、少しだけ前より香織との距離感が近くなった気がして、美陽は微笑んだ。


「さて、じゃあ鞄も取れたし今日は二人でゆっくり帰ろっか」

「あ、はい……あれ? 花井陽翔はいないんですか?」


 香織が何気なく出したその名に美陽がビクッと肩を振るわせる。余りに過剰な反応を香織は見逃さなかった。


「なんですかその反応……? まさか、また花井陽翔が何かしたんですか!?」

「あ、いや、なんでもないよ! 陽翔はもう帰ったよ。うん、本当何もないからさ、ほら、早く帰ろうよ」


 早口でまくし立てる美陽。その頬はほんのりと赤みがかっていた。


「メ、メスにされてる……! やっぱりなにかあったんですね!」

「メ、メス……。そ、そんなことないよ。ちょっと二人で話してただけだから」

「何話してたんですか?」

「いや、それはその……」


 自然と美陽の脳裏に陽翔の言葉が蘇る。

 それによって、またも美陽の顔が熱くなる。


「とにかく、早く帰ろうよ!」

「あ、花井さ――美陽!」


 話は終わりとばかりに早足で教室を出る美陽。その後ろを香織は慌てて追いかけた。


 香織と美陽。

 二人の少女が夕焼けの街並みを歩く。その肩は今にも触れそうなほど近く、二人の表情にも笑顔があった。

 どことなく美陽に遠慮していた香織も、今回の一件で吹っ切れたのか以前よりは美陽と遠慮なく会話できるようになった。


(ムカつくし、羽虫には言わないけど、これも一割くらいは羽虫のおかげだよね……。九割は美陽様の女神の様に広い心のおかげだけど)


 内心で香織が陽翔への感謝を抱いていると、美陽がソワソワした様子で香織の名前を呼んだ。


「香織、一個聞きたいんだけどいい?」

「なんですか?」

「あの、さ。例えば、例えばなんだけど、男の人が女性に大切な人だから、手放したくないって言ったら、それってどういうことだと思う?」

「うーん。普通に考えたら言葉通りじゃないですか? 手放したくないって言うあたり、既に俺のモノって言ってるみたいでムカつきますけどね」

「そ、そう? ちょっと強引なところとかかっこよくない?」


 まるでその言葉を言われたかのように照れている美陽を見て、香織の頭脳が高速回転する。

 そして、美陽のさっきの発言と教室での一幕が香織の中で完全に繋がった。


「……まさか花井陽翔ですか?」

「た、例えばだから!」

「いや、だって、ここまでの流れ考えたら花井陽翔一択でしょ! くそっ! あの羽虫め!!」

「ちょっ! 香織、そんなに叫んだら……ほら、周りの人の視線集めちゃってるから!」

「私だって! 私だってええええ! 美陽をメス堕ちさせたいのにいいいい!!」

「何言ってるの!?」


 やっぱり、あの羽虫に感謝してやるものか。


 香織はそう思った。

 それから、もし美陽の笑顔を奪うことがあったらあの羽虫は必ずぶん殴る、そう誓った。

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