第25話 イケメン

「待って、香織」


 透き通るような声が響き、水瀬さんが足を止める。

 水瀬さんに声をかけたのは花井美陽だった。

 そのまま、花井美陽は水瀬さんに近づいて行く。そして、水瀬さんの手を握った。


「は、花井さん……」

「私にはあるよ」

「え……?」

「私には、香織を止める権利がある」

「それ、は……」


 花井美陽の一言に水瀬さんがたじろぐ。

 水瀬さんは迷っているのか、視線を下げる。だが、そうはさせないとばかりに花井美陽が水瀬さんの顎をクイッと上げる。


 き、来たあああ!!

 イケメンにだけ許された最強のロマン仕草、顎クイッだあああ!!


「私の傍にいて欲しい人は私が決める。私は香織に傍にいて欲しい。それとも、香織は私のことが嫌い?」

「あ、いや、き、嫌いじゃない……です……」


 さっきまでの覚悟を決めた表情は見る影もなく、水瀬さんは頬を赤く染めて花井美陽を見つめる。

 否、花井美陽の手によって花井美陽しか見れないように誘導されている。


「なら、これからも私の傍にいて」


 更に畳みかけるように花井美陽が屋上の扉に手をつき、水瀬さんの逃げ場を奪うと同時に屋上から出られなくする。

 顎クイッからの壁ドン。

 恐ろしいほどの高等テクニックだ。水瀬さんもすっかり目が蕩けている。


「香織は私の大切な人だから、手放したくないんだ」

「ひゃ、ひゃい……」


 その一言が留めだった。

 水瀬さんは魂が抜けたようによろめく。それに対して花井美陽が慌てて水瀬さんの身体を抱き留めた。


「あ、え!? か、香織!?」

「美陽様が、大切って……えへ、えへへ……幸せぇ……」


 そして、そのまま水瀬さんは気を失った。

 大好きな人にあれだけのことをされたのだ。無理もない。


 それにしても、流石花井美陽である。女の子を嫉妬に狂わせ、更に自ら花井美陽から離れようとした子を再び手元に引き寄せる。

 諦めることも許さないその手腕は悪魔と言ってもいいだろう。

 だが、あの大胆さこそが俺が見習わなければならない姿だ。


「勉強になるぜ」

「そんなこと言ってないで、陽翔も手伝ってくれよ!」


 叫ぶ花井美陽の下へ行き、俺たちは気を失った水瀬さんを保健室に連れて行った。



***



 水瀬さんを保健室に運んだ後、俺は花井美陽に誘われて、二階の空き教室に来ていた。

 花井美陽はこの後、水瀬さんが目を覚ますまで待つらしい。


「で、話ってなんだ?」

「ああ、謝ろうと思ってね」

「謝る?」

「うん、香織がごめん。私がもっと早く気付くべきだったよ」


 そう言うと花井美陽は深々と頭を下げる。

 あまり良くない意味で俺の予想は当たったらしく、やはり花井美陽は水瀬さんの行動に責任を感じているようだ。


「気にすんなよ。水瀬さんはお前が好きで、俺が邪魔だった。人間関係じゃ、よくある話だ。誰も悪くねーよ。ただ、思いが行き過ぎたってだけだ」

「陽翔は優しいね」


 花井美陽が呟く。

 優しい、ね。俺からしたら優しさよりかっこよさが欲しいけどな。

 優しいだけじゃ足りないって恋愛だとよく言われるし。


「ねえ、一つ聞いてもいい?」


 そんなことを考えると、どこか躊躇いがちに花井美陽が問いかけてくる。


「いいぞ」

「脅迫されてたんだよね?」

「脅迫……まあ、そうだな。なんか、花井美陽から離れないと彼女が出来ない呪いをかけるって言われたな。結果として俺の評判が下がったから、彼女が出来る可能性は減ったかもしれねえな」


 そう。実は今回の一件で俺の負ったダメージは意外とでかい。

 評判については実際に俺がしたことが殆どだから否定できないところが厄介なところだ。

 まあ、可能性が減っただけで0になったわけじゃない。切り替えて行けばいい。


「どうして、私を選んでくれたの?」


 花井美陽が俺の目を見て問いかける。


 難しい質問だ。

 どう答えようか迷っていたところで、俺の脳裏にさっきの屋上での一幕が蘇った。

 ああ、そうだ。それが一番しっくりくる。

 丁度良く花井美陽のすぐ後ろは窓だ。やるなら、今しかないだろう。


 深呼吸を一つしてから、花井美陽の下へ歩み寄る。

 そして、彼女の目の前で足を止める。花井美陽は瞬きを何度かして、少し緊張している様子だった。


「え、は、陽翔――」


 何かを言いかけた花井美陽の言葉を壁ドンで遮る。

 そして、そのまま花井美陽の顔に顔を寄せる。見る場所は花井美陽の眉間だ。

 まともに顔を見ると普通に綺麗で緊張してしまう。

 今も心臓の鼓動がうるさいが、平静を装い口を開く。


「美陽は大切な人だから、手放したくないんだよ」


 花井美陽はポカンと口を開けて呆然としていた。

 その顔を見て、急に恥ずかしくなってきた。顔も熱い。


 だが、ここで「なーんちゃって」というのも日和っているようで情けない。赤くなる顔を見られないように、花井美陽に背を向けて早足で教室を出る。


 全然、効いてなかった……!

 ポカンとしてたじゃん。こいつ、何やってるんだろうみたいな声が聞こえてくるかと思ったくらいだ。

 ちくしょう。やっぱり俺程度のイケメン力では女の子を照れさせるなど夢のまた夢なのか!?


 修行が足りない……!


 己の無力を嘆きつつ、俺は家に急いで帰った。

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