第24話 水瀬香織の思い

 目の前には俯いたままの水瀬さん。

 屋上には俺と水瀬さん以外おらず、風の音が異様なほど大きく聞こえる。


 やばい。気まずい。

 こういうときどうすればいいか全く分からない。

 くそっ! こんなことなら花井美陽に予めこういう時の対処法を聞いておくんだった!


『呼んだかい?』


 はっ! お前は、イマジナリー花井美陽!


『その通り。私は君が生み出した君の心に眠るイケメンの花井美陽さ。さあ、迷える子羊ちゃん。私に悩みを話してごらん』


 微妙に花井美陽が言いそうで言わなそうなことを言っているが、まあいい。今はイマジナリー花井美陽でもいいから助けて欲しかったんだ。

 この状況をどうにかする方法を教えてくれ!


『簡単さ。壁ドンからの顎クイ、そして「俺の女になれよ」で決まりさ』


 花井美陽は絶対にそんなこと言わない。


『やれやれ。文句ばっかりだね。じゃあ、聞くけど君は水瀬さんに何をしてあげたいんだい?』


 俺が水瀬さんに何をしたいか?


『そう。水瀬さんと仲良くなりたいのかい? 手紙の件を謝って欲しいのかい? 彼女になって欲しいのかい? 君は水瀬さんとどうなりたいんだい?』


 それを言い残すと俺の心の中の花井美陽は消えていった。


 改めて目の前の少女に目を向ける。

 水瀬香織。

 花井美陽と仲のいい、セミロングのダークブラウンの髪の女の子だ。目はやや垂れ気味で温和な雰囲気を出している。

 実際は過激派花井美陽好きだったわけだが。


「……私だって」


 ポツリと俯いていた水瀬さんが口を開く。


「私だって、分かってる。私のしていることが正しくないことも、美陽様が望んでいないことも」


 ゆっくりと彼女が本音をこぼしていく。

 その目に力はなく、口調も弱弱しかった。


「でも、仕方ないじゃん。美陽様が羽虫と話すとき、時折私たちに見せないような表情を見せる。美陽様が羽虫の言葉で慌てるところを見ていると、心がざわつくの。……悔しい。あんたなんかより、ずっと美陽様の傍にいて、美陽様のことを大事に思ってて、美陽様の気持ちだって理解してる! だけど、だけど……ッ!」


 そこで水瀬さんが顔を上げる。

 その目には今にも零れ落ちそうな涙が浮かんでいた。


「私には、美陽様をメスに出来なかった!」

「……は?」


 思わず口から間抜けな声が漏れ出た。


 え、今なんて言った? 花井美陽をメスに出来ない?

 どういうこと?


 混乱する俺を他所に、感情が高ぶっているのか水瀬さんは更に捲し立てる。


「羽虫の言葉に狼狽えたり、慌てたり、頬を赤く染めたり! 王子様なのに! 可愛かった! もっとその表情が見たいって思ってしまった! バカな男子の羽虫なんて気に入らないのに、バカな羽虫だからこそ美陽様のあの表情が出せたんだと思うと、悔しくて、ムカついて、イライラして……ッ! 羽虫がいなければこんな感情知ることなかった! 全部あんたのせい! あんたが美陽様に近づかなければこんなことにならなかった!!」


 息を荒くしながら水瀬さんが俺を睨みつける。

 だが、全然怖くない。寧ろ俺の心は驚きに満ち溢れている。

 だって、そうだろ?

 水瀬さんが言っていることを考えると、まるで……。


「花井美陽が俺の前だと女の子になっているというのか?」

「そうよ! それがムカつくの!」

「それって、花井美陽は俺のことが好きってことか!?」

「「そんなわけないでしょ(それは違うよ)!」」


 ん? 水瀬さん以外の声が聞こえたような……。


 背後から聞こえた声に振り返ると、そこには顔を真っ赤にした花井美陽の姿があった。


「わ、私が陽翔のことを好きなんてこと、あるはずないんだからね!」


 慌てているせいか、花井美陽の口調はおかしなことになっていた。


「み、みは――花井さん!」

「香織も変なこと言わないでよ。私が、そのメ……とか……」

「でも、今だってメス顔じゃないですか!」

「その言い方を止めてよ!」


 突然姿を現した花井美陽と水瀬香織の言い合いに置いていかれる。

 何が何だか訳が分からない。

 一旦、落ち着こう。


 まず、水瀬さんは俺に嫉妬していた。

 その理由は、俺が水瀬さんの知らない花井美陽の表情を出してしまったから。

 そして、花井美陽大好きな水瀬さんは自分にそれが出来なかったことを悔しがってる。だから、俺に花井美陽から離れさせようとした……。

 つまり、八つ当たりか。


 いや、そもそもメス顔ってなんだ?

 花井美陽は俺の前でそんなにメス顔になってたか?

 確かに、花井美陽が女の子であることを実感したことは何度もあるけど……。


 とにかく、未だに言い合いをしている二人を止めるために俺が言うべきセリフは一つだ。


 二人の間に両手を広げて立つ。

 そして、二人の顔を交互に見た後、俺は叫んだ。


「これ以上俺のために争わないでくれ!!」


 僅かな静寂。

 どこからかカラスの鳴き声が聞こえてきた。


「「は?」」


 恐ろしく冷たく、地の底から出るような声が両耳に飛び込んできた。



***



「私が羽虫のために争うとかあり得ないから。冗談でも言わないで。てか、勘違いとかマジでキモい」

「……はい」

「陽翔、いくら私でもさっきの言葉は聞き逃せないよ。別に私は陽翔のために香織と言い争ってたわけじゃない。まさか君まで私が陽翔にこ、恋してるなんて勘違いしてるんじゃないだろうね?」

「……思ってないです。すいません」


 沈みゆく太陽を横目に、俺は額を屋上の床のコンクリートにつける。

 さっきまで言い争っていた二人は気付けば仲良く、俺を正座させ丁寧に俺の勘違いを正そうとしてくれていた。


 わ、わー。美少女二人に囲まれて嬉しいなぁ。


「本当、花井さんの傍にいられるからって調子に乗らないで」

「はい」

「言っておくけど、私は今でも羽虫が花井さんに相応しいとは思ってない。同じ男でもまだ甲斐性があって、賢い奴の方がマシ」

「はい」

「だから、ちゃんとして」

「はい……え?」


 思わず顔を上げる。

 だって、その言い方だとまるでちゃんとすれば花井美陽の傍にいることを水瀬さんが認めるというかのような言い方だったからだ。


 そんな俺の顔を見てか、水瀬さんは不機嫌そうに鼻を鳴らした。


「花井さんが悲しむかもしれないのに、花井さんのためって自分を正当化して我儘を貫こうとした私は花井さんの傍にいるのに相応しくない。私は、もう消えるわ」

「え……」


 どこか寂し気にそう言うと、水瀬さんは花井さんに身体を向け、頭を下げた。


「花井さん、多分もう気付いてると思うけど、私は花井君を脅迫したり、花井君に嘘の告白をして騙したりしてました。許してもらおうとは思いません。本当にごめんなさい」


 深く頭を下げ、数秒間水瀬さんは静止する。

 それから、顔を上げ屋上の扉に向けて歩き出した。

 余りに突然のことにまたしてもついていけなくなる。


 水瀬さんは花井美陽の友達なのになんで……。

 花井美陽のことが好きなんじゃないのか。どうして、自分から離れていったりするんだ。


 色んな疑問が頭を駆け巡っていく中で、一つだけ分かったことがあった。

 それは、こんな結末を俺は望んでいないということだ。


「水瀬さ――」

「止めないで」


 まるで、それを予測していたかのように水瀬さんが俺の言葉を遮る。

 そして、背を向けたまま静かに語り出す。


「川平君の言う通り。私に羽虫の行動を制限する権利なんて無かった。でも、それは羽虫にも言えることでしょ。羽虫に私の決断を止める権利なんてない。だから、止めないで」


 水瀬さんはそう言って歩き始める。

 水瀬さんが放った言葉はどこまでも冷酷で、俺と水瀬さんの間にある距離を再認識させられるものだった。

 遠ざかる背中を歯噛みしながら眺めることしか出来ない。


 そして、とうとう水瀬さんの手が屋上の扉に触れた。

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