第20話 罠

 昼休みに女子トイレの前で男子二人が喧嘩している。

 その話は瞬く間に先生の耳にも入り、俺と大地は仲良く先生に連れ去られありがたいお言葉を頂く羽目にあった。

 その間に昼休みは終了。結局、ラブレターの主が俺の前に姿を現すことは無かった。


「折角のモテ期到来だったのに、どうしてくれんだ?」

「目を覚ませ。それは幻想だ」


 放課後、大地を睨みつけると、大地は諭すように俺に語り掛けてきた。

 先生との話し合いの時に、大地も俺がラブレター(?)を貰ってあそこで女子を待っていたことは聞いている。


「いいか。恥ずかしがり屋の女子は女子トイレの前を待ち合わせ場所にしない。てか、普通の感性の人間が女子トイレの前で告白するわけないだろ」

「トイレが落ち着く人だっている。そういう人にとってトイレはいわばホームだ。アウェーよりホームで勝負したかったんじゃないのか?」

「だとしても、トイレだけはない」


 確かにロマンチックさにはかけるが、そこは人それぞれだろう。

 何はともあれ、大地によってあったかもしれない告白が無くなったことは事実だ。

 俺はそれに怒っている。


「99%この手紙が偽物だとしても、残りの1%は本物の確率だ。もしそうだった時、結果として俺と大地が喧嘩したことで、その子は女子トイレに近づけなくなったかもしれない。それは、その子の気持ちを踏み躙ってることになるだろ」


 俺の一言で大地がハッとした表情になる。

 俺だって大地が少なからず俺のことを心配してくれていることを知っている。

 だけど、俺は別に自分が傷つけられる分にはいいんだ。

 偽物の手紙だったとしても、それを真に受けて傷つくのは俺だ。

 だけど、それが真剣な思いだった時、それを蔑ろにして傷つくのは俺じゃなくて、俺に告白しようとしてくれた子だ。


「……悪い。そこまで頭は回らなかった」

「いいって。悪気が無いのは分かってる。次からは見守っといてくれ。そんで、偽物だった時は静かにココアでも奢ってくれたらそれでいい」


 大地にそれだけ言い残して、鞄を片手に席を立つ。


「帰るのか?」

「いや、女子トイレの前で待つ。流石に来てもらえないだろうけど、それが俺に出来るせめてもの誠意だ」


 大地を置いて、教室を出る。

 途中、花井美陽からの視線を感じたが、今はそれどころではない。


 その後、18時半まで粘ったが誰もくる気配は無かった。



***



 翌朝、いつものように朝早くに登校し、下駄箱を開ける。

 そこには昨日に引き続き、一枚の薄いピンク色の封筒があった。

 昨日の人かもしれないと、直ぐに封筒を開き手紙を読む。そこには昨日と何ら変わりのない丸みを帯びた文字が並んでいた。


『 花井陽翔くんへ


 昨日はごめんなさい。勇気が出なくて、行けませんでした。

 今日こそ話しかけたいと思ってます。なので、直ぐに陽翔くんだと分かるように、廊下の真ん中で上裸でポージングをしていてくれませんか?

 花井君の美しい大胸筋、楽しみにしてます。


 花井君が気になっている女の子より』


 手紙を静かに閉じる。


「なるほど」



***



「ちょっと、なにあれ……」

「あれって、昨日の……」

「最悪、廊下通りにくいんだけど……」


 昼休み。

 いつもの様に友人とお弁当と食べている花井美陽は教室の外が騒がしいことに気付いた。


「外が騒がしいね」

「本当ですね。また花井君がなにかやってたりして」


 美陽が呟くと、傍にいた女子が冗談交じりにそう言った。

 その一言に美陽の胸中に嫌な予感が駆け巡る。

 昨日の昼休み、花井陽翔という男子生徒が女子トイレの前で壁に寄りかかり、トイレへと向かう女子たちを恐怖に陥れたことは二年生には周知の事実だ。

 陽翔をよく知る美陽でさえも、その奇行には眉を顰めるほどだった。

 それでも美陽は何らかの理由が陽翔にはあると思っていた。本当はそれを陽翔に聞きたかったが、生憎と美陽はモデルの仕事で昨日は早退しており、聞けずじまいだった。


「ちょっと見てこようかな」


 自身と親しい仲にある人が悪く言われるのは辛い。

 そんな気持ちから、陽翔が変なことをしているなら止めようと美陽は席を立ちあがる。

 だが、その美陽を彼女の友人である水瀬香織が引き留める。


「あんな男子に花井さんが関わるべきじゃありませんよ。前からうるさかったし、空気読めないし、今回もどうせ女子に注目されたいとかって調子にのってるんですよ」


 香織は美陽の友人の中でも一際男子への当たりが強い。

 そこには彼女の中学時代のことが関係しており、美陽もそれを知っている。

 だが、美陽からしてみれば陽翔は香織が出会ってきた男子たちよりよほど真摯な人間だ。

 どちらも美陽にとっては友人。仲良くして欲しいとまではいかなくとも、陽翔への評価が良化して欲しいとは思っている。


「香織が思うほど陽翔は悪い人じゃないよ。意外と周りは見えてるし、紳士な部分もあるしね。すぐ戻って来るから、ちょっと行ってくるね」


 美陽はそう言って、そのまま廊下へと向かっていった。

 その背中を香織は唇を尖らせながら見つめていた。



 廊下に出た美陽の視界に真っ先に入ってきたのはサイドチェストと呼ばれるポーズを満面の笑みでしている上裸の陽翔の姿だった。


(うわぁ。意外と上腕二頭筋から三角筋にかけてしっかりしてる。腹筋も割れてるし、ちょっとかっこいいかも……)


 中学時代に剣道部で竹刀を振り続けていた陽翔の上半身は意外と筋肉質で、美陽には好印象だったらしい。

 だが、この学園は男子より女子が圧倒的に多い元女子校。

 共学校でさえ、廊下で上裸の男が笑顔でサイドチェストしていたら引かれること間違いない。

 当然、この学園でも女子たちは陽翔にドン引きしていた。なにより恐ろしいのは時々目が合うことだろう。

 満面の笑みの上裸の男と目が合う。

 男子に慣れていない女子からすれば恐怖でしかない。


 陽翔に向けられる恐怖と警戒の視線を感じ取った美陽は、陽翔にポージングをやめさせることを決めた。

 しかし、陽翔の下へ歩み寄ろうとする美陽の前に一人の男子が立ちふさがった。


「君は確か陽翔の友人の……」

「川平大地だ」

「そうだ。川平君、そこをどいてくれないかな?」

「それは出来ない」


 大地は美陽を見据える。その目は絶対にここを動かないという強い意志を宿していた。


「出来ないって、川平君も陽翔に向けられている視線に気づいているだろ。陽翔は女子に好かれたいと思っている。なら、今すぐにあんなことやめさせるべきだ」

「花井さんの言うことはもっともだ。俺だってそうしたい」

「なら」

「だけど、陽翔は違う」

「違う? 陽翔が女の子に好かれたいと思っているのは事実だ」


 美陽は事情を知らない。

 何故、陽翔があんな奇行をするのか。だが、陽翔の目的は知っているつもりだ。

 そして、美陽が語る陽翔の目的は正しい。それを示すように大地は静かに頷いた。

 だからこそ美陽には理解できない。何故、目の前の男は頑なに動こうとしないのか。


「つかぬことを聞くが、目の前の女の子の思いを大事に出来ない奴が大勢の女子から好かれると思うか?」

「どうだろうね」


 好かれない、と美陽は答えなかった。

 そして、その美陽の解答に大地もまた頷いて同意を示した。


「そう、分からない。驚くべきことに現実は残酷で、目の前の一人を大事に出来ない奴でも人から好かれることがある。じゃあ、もう一つ聞くが、自分の評価が下がるとしても目の前の女の子の気持ちを大事に出来る奴を花井さんはどう思う?」

「それは……好意的に思うだろうね」


 これまた大地は美陽の言葉に強く頷いた。


「つまり、そういうことだ。腹立たしいことに、俺は今の陽翔の姿勢を美しいと、かっこいいと思ってしまった。一人の男として見惚れたんだ。なら、俺に出来ることはあいつの思いを尊重すること。そして、あいつの傍にい続けることだけだ」


 大地の話を聞き、美陽にも多少なりとも状況が見えて来た。

 陽翔の行動は誰か、美陽ではない一人の女の子のためなのだろうと。

 思えば、一昨日の電話の時から陽翔の様子はおかしかった。


(もしかして、彼女が出来たのかな。それとも誰かに告白されたのか)


 もし、そうだとしたら。

 チクリと魚の小骨が喉につっかえたような痛みを美陽は感じた。

 それと同時に、美陽に陽翔を止める権利はないと静かに悟った。


「そっか……」


 大地同様、美陽もまた陽翔の在り方を好ましいと思っていた。

 一人の女の子を大切にする。

 言うは易し、行うは難し。

 それでも実行に移せる陽翔は、自分よりよほどイケメンと呼ぶに相応しい。


「羨ましいね」


 美陽はそれだけ呟いて、教室へと戻っていった。その美陽を大地は引き留めようと手を伸ばしかけたが、結局伸ばしきりはしなかった。



***


 それから数日間、陽翔の奇行は続いた。

 ある時は一人でソーラン節を歌って踊り始めた。そのキレはダンス部部長を唸らせるほどであった。

 またある時はあらゆるクラスに突撃して「俺に告白したい人は誰ですか?」と問いかけた。女子たちはドン引きした。

 気付けば花井陽翔の名は学園中に知れ渡っていた。


 曰く、自意識過剰勘違い男。

 曰く、上裸の変態。

 曰く、ソーラン節の申し子。


 中でも変態という評価が群を抜いて多かった。

 一部の人間を覗き、花井陽翔に対する好感度は瞬く間に下がっていき、気付けば彼の周りから人は消えていた。

 そして、彼の下駄箱から薄いピンク色の封筒が無くなり、下駄箱の君からの手紙が久しぶりに届いた時、花井陽翔は自らが騙されていたことに気付いた。


『羽虫、久しぶり。

 告白されるかもって期待した? 残念、全部罠でした。

 これであんたの評価は地に落ちた。あんたに高校生活中彼女が出来ることは無い。

 最近は美陽様も羽虫から距離を置いてるし、漸く美陽様も変態羽虫の傍にいるべきではないと気付いてくれたみたい。

 全部、羽虫が悪いから。精々後悔して、寂しい高校生活を送りなさい。 』


「やられたああああああ!!」


 下駄箱に花井陽翔の叫び声が響き渡った。

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