第28話 浮気者

 壁に張り付く俺と向かい合う一人の少女――剣崎雅。

 しかも俺と雅の顔は今にもくっつきそうである。


 例えばその姿を他の女子が見たらどう思うだろうか?


 答え。不純異性交遊に見える。


「な、なにをしているんだい?」

「ちっ。邪魔が入った」


 誰の目から見ても明らかなほど狼狽える花井美陽に、不機嫌そうに舌打ちをする雅。


 な、なんてこった。

 後輩の女子に壁ドンされるなんて情けない姿を見られては、花井美陽に舐められてしまう!

 きっと今頃……。


『えー、陽翔、年下の女の子に迫られて顔真っ赤にしてるとか情けなくない? ウケる』


 と思っているに違いない。


 くそっ! このまま舐められてたまるか!


「はぁ、今日はこれくらいにしといてやる。だが、あたしはあんたを諦めていないからな」


 そう言って雅が俺から離れようとする。

 俺に恥をかかせ勝ち逃げするつもりだろうが、そうはいくか。


 俺が目指すのは女子に翻弄されるなよなよ系男子ではなく、女子を翻弄するイケメンだ!


「ちょっ、待てよ」


 雅の腕を掴む。

 武道を嗜んでいるからか、雅が俺の腕を振り払おうとする。


 だが、甘い。

 かつて俺は剣道に中学生活の全てを費やした。今こそ、その成果を見せつけるとき!


「ふっ!」

「なっ!?」


 雅の腕を引き、こちらに寄せる。それと同時に身体を回転させ、雅と俺の位置を逆転させる。

 最後に、雅の腕を壁に押さえつけてから、雅の顎をくいっと上げる。


「舐めるなよ、雅。中学時代お前を指導したのは誰だと思ってる?」

「くっ……!」


 悔しさを滲ませながらもどこか恍惚とした表情を浮かべる雅。


 ふっ。これは完全勝利と言っていいだろう。

 この男らしい姿には花井美陽も「なんて男らしいんだ! 素敵! お前がナンバーワンだ!」となるに違いない。


 そう思いながら花井美陽の方に視線を向けると、美陽は唖然としていた。


 あれ? なんか思ってた反応と違う。


 パシャリ。


 どことなく気まずい空気が流れる中、シャッター音が鳴る。

 シャッター音を鳴らしたのは美陽の横にいる水瀬さんだった。


「後輩の女子を壁に無理矢理押さえつける……ね。いい脅迫材料が手に入ったわ」

「その写真を消せええええ!!」

「嫌よ」


 まずい!

 水瀬さんは未だに俺を敵視している危険人物。

 後輩女子を屋上で押さえつけてる写真なんていくらなんでも……いや、待て。

 俺と雅は仲のいい先輩後輩だ。

 この程度の写真、問題ないんじゃないか?


「ふっ。甘かったな水瀬さん。俺と雅は中学時代からの仲良しだ。その程度の写真は俺と雅の関係であれば何らやましいことなどない。なあ、雅?」


 雅に問いかけると、雅は神妙な面持ちで考え込み始めたかと思えば、突然ニヤリと口角を吊り上げた。


 え? 雅?


「……なあ、例えばあたしがあんたに襲われたと言って、あの写真を学園中にばら撒いて貰ったら、あんたの評価は地の底だろうな?」

「なっ!?」


 な、なんて恐ろしいことを考えるんだ!

 くそっ! いつの間に雅はこんなに悪い奴になっちまったんだ!


「くそっ! そんなに中学生の頃にマンツーマンで指導したことを恨んでるのか!?」

「いや、それは恨んでない。寧ろ感謝してる」

「じゃあ、なんで!?」

「剣道部に入れ」


 雅が俺に告げる。


 どうしてこいつはそこまで俺に固執するのか全く分からん。

 俺以外にも優秀な剣士など山ほどいるだろうに。


 だが、ここで断れば俺の評価は地の底。

 そうなれば彼女が出来るなど夢のまた夢だ。


「はあ、分かったよ」

「よし、なら放課後迎えに行くからな。逃げるなよ」


 満足気な表情を浮かべると、雅はさっさと屋上を出て行く。

 残されたのは水瀬さんと未だにポカンと口を開けている花井美陽。そして、俺の三人だけ。


 結局、俺は脅されて後輩に命令されるという情けない姿を見せてしまったことになる。


 ため息をついていると、正気を取り戻したのか花井美陽が俺を見て唇を噛み締める。

 それから、俺の方に近づいて来た。


「う、嘘つき! 浮気者!」


 そして、そう言ってから屋上を出て行った。


「み、美陽様! 待ってくださいよー!」


 水瀬さんも花井美陽の後を慌てて追いかける。

 結果的に残ったのは俺一人。


 ……浮気者ってなに?


 今日ばかりは本当に花井美陽の気持ちが分からなかった。





「そりゃ、モテないって言ってる男が可愛い後輩美少女と仲良くしてたら嘘つきだと思うだろ」


 放課後、何故かジト目を向けてくる花井美陽について大地に相談すると、そんな言葉が返ってきた。


 言われてみれば確かにそうかもしれない。

 だが、雅は後輩だ。

 それにあいつは剣に生きる男勝りなタイプだ。それはもう中学時代に出会った時は大変だった。

 自分より弱い人間には興味もたないからな、あいつ。


「でも、陽翔は慕われてるんだろ?」

「まあ、部長だったしな。流石にあいつも部の長には噛みつかねーだろ」

「どうだかね」

「それより浮気者の方だよ。バカにしていると思わないか? 浮気も何も彼女すらいないって言うのに!」


 俺だって浮気出来る状況を体験してみたいさ!

 いや、まあ浮気はしないけど。


 でもな、そもそも彼女も妻もいないから浮気なんて出来ないんだよ!


「浮気者には心が変わりやすい人、多情な人って意味もあるから別に恋人がいない奴にも使えるぞ」

「え? まじで?」

「ああ」


 なんと。

 じゃあ、別に花井美陽は俺をバカにしているわけではなかったのか。

 

「待てよ。なら、俺より花井美陽の方が浮気者じゃないか? あちこちで女を口説いてるじゃないか! おかげで俺はモテてないぞ!」

「うーん、あれはちょっと違うと思うぞ。あと、陽翔がモテないのは陽翔自身の責任な」


 うっ。

 流石は大地だ。痛いところをついてくる。


「てか、モテないって言う割には陽翔って美少女と関わってるよな。花井さんに水瀬さん、そんで今回の剣崎さんだっけ? それだけいたら十分だろ」

「何言ってんだ。一人は師匠兼ライバル、一人は俺を嫌ってる人、そして最後の一人は俺をサンドバックとしか思ってない剣狂いだぞ」

「いや、案外告白してみたら付き合えるかもしれないぜ?」


 こいつは何を言っているのだろうか。

 告白してフラれてでもしてみろ。

 花井美陽からのレクチャーは受けられないし、俺を慕ってくれる後輩は消失する。

 水瀬さんに至っては、告白したらなんか脅されそうだ。


「十中八九フラれるし、フラれたら学園生活が終わりそうだから嫌だ」

「あー、なるほど。それは確かに止めた方がいいかもな」


 ニヤニヤと楽し気に俺を見つめる大地。


 何だその笑顔は。


「まあ、今はそれでいいと思うぜ」


 そんなことを言いながら大地は俺の肩をポンと叩く。

 そして、教室の扉を指差す。

 その先には雅の姿があった。


「ほら、呼ばれてるぞ」

「ん? ああ、じゃあ行ってくるわ」

「おう」


 笑顔で手を振る大地に手を振り教室を出る。

 出る直前に花井美陽と目が合ったが、何故か花井美陽は拗ねた子供の様に唇を尖らせていた。


 おい、モデル活動はどうした。


「あんた、道着は持ってるのか?」


 隣からの雅の声に、意識を雅の方に移す。


「持ってるけど、家だな。持ってきてはない」

「そうか。なら、今日はあたしの使うか?」

「いや、遠慮しとく」

「……そうか」


 もっと突っかかって来るかと思ったが、意外にも雅はあっさりと引き下がった。

 そこからはこれといった会話もなく、雅と並んで体育館横にある剣道場へと向かった。

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