第29話 剣道部
剣道場。
剣道をするだけの場所と見せかけて、実際は学年集会などあらゆる行事において頻繁に利用されることもある場所である。
そのため、当然俺も何度か来たことはある。
「失礼します」
一礼してから雅が剣道場に足を踏み入れる。
それに続いて、俺も剣道場に入る。
入る前につい一礼してしまうあたり、中学三年間で付いた習慣は中々に無くならないらしい。
「雅、遅いよ! もう練習始めるから、あんたも早く着替えてきな……って、男?」
部屋に入るなり、手ぬぐいを頭に巻いた少女が首をかしげる。
その声に反応して部屋の中にいる部員たちも一斉に俺の方を向いた。
人数は十人くらいか。
誰も彼も頭に手ぬぐいを巻いている。おでこが見えるところが可愛い。
いや、だが俺を見た瞬間眉を顰める人も多い。
「あれって、もしかして……」
「うん、多分女子トイレの前で腕組みしてた変態じゃないっけ」
「他にも上裸で変なポーズしてたらしいよ」
あ、あの目は……変質者を見る目だ!
くっ。どうやら部員たち、特に二学年の部員は俺のことを知っているらしい。
だが、「誰だ?」という目で見ている部員もいるあたり全員が俺の噂を知っているわけではないようだ。
「雅、その男は?」
剣道場内に微妙な空気が広がる中、最初に雅に声をかけた女子が再び雅に問いかける。
「入部希望者だ、部長」
「ええ!? そうなの!? もう、それならそうと早く言いなさいよ!」
入部希望者だと知った途端、部長と呼ばれた少女は慌てて俺の方に近づき手を取る。
ひえっ。女の子に手握られちゃった。
「初めまして! 私は部長の御剣優希! よろしくね!」
弾ける笑顔。
素振りをしてきた証と見える、ほんの少し硬さのある手。
そして何より、俺の噂など一切気にする様子もない姿。
「……好――いてっ」
思わず告白してしまいそうになった瞬間、隣にいた雅に脇腹をつねられた。
「なにすんだよ」
「ここは剣を極める場所だ。いやらしい目で部長を見るな」
「は、はあ!? み、見てねーし!」
し、失礼な!
確かに、可愛くて素敵な人だから好きだなーとは思ったけど別に下心とかないし。
同じ部活で手とり足取り剣道について教えてもらうのもいいかもなんて思ったけど、別にエッチなことなんて考えてないし!
「驚いた。雅と仲いいんだね。この子、私でも心開いてくれるまでに一か月かかったのに、凄いね。もしかして、二人は付き合ってたり?」
「あり得ん」
即答だった。
そんなに食い気味に否定しなくてもいいじゃんと思ってしまうくらいには即答だった。
「こいつは中学時代先輩だっただけだ。剣の腕はそこそこだし、共に研鑽するには役立つ」
完全に砥石扱いである。
てか、雅のやつ高校の部長にも敬語使わないんだな。まあ、部長さんもそんなことは気にして無さそうだからいいんだろうけど。
「そうなんだ。うーん、でも折角来てもらって申し訳ないんだけど、今日は見学でもいいかな?」
願ってもない。
雅は不満ありげな顔だが、後ろを見て欲しい。
部員たちの殆どは明らかに突然現れた男の俺を警戒している。
あの中でいきなり混じってやるなんて無理だし、俺だって混じりにくい。
あと、こんなことを雅に言えばぶちぎれられるだろうが、普通に初対面の女子と打ち合うのは緊張するしやりにくすぎる。
「はい!」
「そっか。じゃあ、適当にどこかで座って見てもらってていいかな?」
「はい!」
元気よく返事をし、入り口の横で正座になる。
雅も部長には逆らえないらしく、何か言いたげに俺を見つめていたが、直ぐに着替えにいった。
そして、雅も加わった剣道部の練習を眺める。
最初こそ俺の方を気にしている素振りのあった部員たちも途中からは声を出して練習に集中していっていた。
いい雰囲気だ。
全体的に全力で取り組んでいる姿勢が伝わって来る。
それにしても、黙って座っているというのも落ち着かない。
そうだ! 飲み物買いに行こう。
タオルは生憎と持ち合わせてはいないが、スポーツドリンクくらいなら購買横の自動販売機で変える。
それに、学園内のどこかに製氷機もあるだろうし、氷水をバケツに入れてそこに買った飲み物を入れておけばキンキンに冷えた飲み物を提供できる。
やっぱり汗をかいた後は冷たい飲み物が欲しくなるからな。
特に剣道は防具を着用する以上蒸れて汗をかきやすい。
そうと決まれば早速行動しよう。
ひょっとしたら好感度も上がるかもしれないしな。
念のために部長に一言飲み物を買ってきますと伝え、剣道場を後にする。
きっと部長たちも喜んでくれるに違いない。
『え!? 私たちのために飲み物を!? 花井君ってすっごく素敵だね!』
『ええ! 変態だと思っていたけど見直したわ!』
『上裸になっていたのもきっと理由があったのね! こんないい人が意味なく上裸になるはずないもの!』
『ふっ。流石はあたしが認めた先輩だ』
くくく。
これからのことを考えると笑いがとまらないぜ。
「あはは! あーはっはっはっは!!」
高笑いしながら購買へと向かう。
「え、怖い……」
「なんで一人で笑ってるのあの人……」
一人で高笑いする男子がどんな目で見られているかを全く理解することなく。
***
バカなところは何も変わっていないな。
剣道場の外からする高笑いを聞きながら雅はため息をついた。
「雅の先輩って、上裸先輩だったんだね」
ため息をつく雅に話しかけてきたのは他の剣道部員たちだった。
上裸先輩、その言葉に少しだけ雅の目が鋭くなるが雅は小さく「ああ」と呟くだけに留めた。
「大丈夫なの? 変態だって噂なんでしょ?」
「そうそう。雅ちゃんのこといやらしい目で見てるんじゃない?」
「ほら、見学って言ってた割に直ぐに出てったし、下心でしか来てない――」
「先輩をバカにするな」
雅の鋭い目つきに、陽翔を小ばかにしていた部員たちが黙る。
悪気は無いのだろうが、雅にとって数少ない尊敬する人を貶めるような発言は流石の雅も我慢ならなかった。
「いや、ば、馬鹿になんて……」
「先輩はあんたが思うよりずっと凄い。剣の腕も、人としてもだ。あんたらがバカにしていい人じゃない」
「あ、あんたらって……。その言い方は無いんじゃない?」
雅にも負けぬ気の強い女子が雅を睨み返す。
明らかにその場の空気は悪くなっていた。
雅が入部した時からこういう空気はあった。
雅はコミュニケーションが上手いタイプではない。
特に、今回の様にイライラが一定以上まで高まるとつい本音をこぼしてしまうことが多々あり、それが切っ掛けで部員たちと衝突することも少なくなかった。
「雅も桜も落ち着いて!」
そして、そういう時は今回の様に大抵部長の優希が取り持ってくれていた。
「悪気はないとしても、雅にとっては大切な先輩なんだよ。それをバカにするような言い方をしたのは桜たちが謝るべきじゃないかな。雅もイライラするのは分かるけど、喧嘩腰になるのはよくないよ!」
「「すいません……」」
優希の言葉に、雅たちが頭を下げる。
悪い雰囲気は払拭されたが、全体として空気はまだ重い。
そんな時だった。
「部長!! スポーツドリンク差し入れです!!」
額に汗を滲ませ、氷水とスポーツドリンクにペットボトルが入ったバケツを手に満面の笑みで陽翔がやって来た。
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