第10話 策士


 月曜日。

 登校した俺に劇的な変化はなく、いつも通り風香さんや大地に挨拶をする程度。花井美陽に挨拶された時は少しビビったが、変わったことはそれくらい。

 黒板の文字をノートに書き写している内に放課後になり、気付けば風香さんに「さよなら」を伝えていた。

 風香さんから連絡先を交換したことについて何か言われるかもと期待したが、結局それもない。

 こんなもんか、とため息をつきつつ、頭を振る。


 違う違う。あっちから動かないならこっちから動けばいいだけだ。そのためのアドバイスを、先ずは花井美陽に貰う。


 荷物を纏め、カバンを片手に教室を出る。

 二階の空き教室に行くと、以前と同じように、花井美陽は椅子に腰かけて待っていた。


「待ってたよ」


 花井美陽はそう言うと、椅子から腰を上げ、カバンを肩にかける。そして、俺の方に歩いて来た。


「じゃあ、行こうか」

「行くって、どこに行くんだよ。ここで話すんじゃないのか?」

「それでもいいんだけど、折角の機会だしね。二人きり、邪魔の入らない場所でゆったり話そうじゃないか。デートの予行演習ついでに、ね」


 花井美陽はそう言うと俺に向けてウインクを一回し、教室を出る。

 余りに綺麗なウインクに固まっていたが、慌てて花井美陽を追いかけた。



***


 下駄箱から校門までの舗装された道を花井美陽の姿を斜め後ろから伺うように歩く。

 視線を横に向ければ校庭で部活をしている女生徒の姿が見える。多数とまではいかないが、その中の半分近くはこっちの方を見ていた。

 珍しい男子生徒と二年生の間で有名な花井美陽が一緒にいたらそうもなるか。


「隣に来ないのかい?」


 周りの視線を気にしていると、花井美陽に問いかけられる。花井美陽は流し目でこちらを見ていた。


「道路ってのは並んで歩くと、後ろから追い抜くやつとか、向かいから来るやつの迷惑になりかねないからな」

「そうかもしれないけど、喋りにくいだろ」

「まあ、そうだけど……」

「仲良くなるための基本は喋ることだよ。喋るためには当然、相手の視界に入る必要がある。仲良くなりたい人の横か向かいが空いてるなら、積極的にそこに行くべきだね」


 な、なるほど。

 確かに、花井美陽の周りは常に右、左、前の席は埋まるが、背後は埋まりにくい。

 そこにはそういう理由があったのか。

 これはいいことを聞いた。とりあえず、実践だな。


「……何故、私の前を歩くのかな?」


 小走りで花井美陽の前に行き、進行方向に背を向け、花井美陽と向き合う形で歩く。


「美陽がさっき言ったばっかだろ。視界に入るべき、ってな」

「隣でいいんじゃないかな?」

「バッカ、男女二人が隣同士並んで歩いたら恋人同士って勘違いされるだろ」

「いや、君はバカなのかい?」

「ほう。定期テスト毎回上位十人に入る俺に喧嘩を売ろうってのか?」

「そういうことじゃなくて……あ! 後ろ!」

「ん? うし――ぶへっ」


 花井美陽の慌てた声に反応し、後ろを向くとそこには電柱があった。咄嗟に顔を横に向け顔面直撃は避けたが、電柱に当たった頬がヒリヒリする。痛い。


「ほら見ろ、バカじゃないか……」


 頬を抑える俺を見て、花井美陽は額に手を当てていた。

 くっ、何も言い返せない……。


「もう、怪我はないかい?」

「ちょっ、平気だって」

「いいから、顔を見せて」


 俺の制止を無視して、顔を近づける花井美陽。切れ長の大きな目に俺の顔が写る。

 息遣いまで聞こえてきそうな至近距離で、高鳴る鼓動を俺は必死に抑えていた。

 無自覚なのか分からないが、真剣な表情の花井美陽は一通り俺の顔を見つめた後、安堵のため息をつき顔を離した。


「腫れてるけど、出血はなさそうだね」

「だ、だから大丈夫だって言っただろ」


 花井美陽が顔を離したと同時に、そっぽを向く。

 くそっ、顔が熱い。今も心臓の音がうるさい。

 そんな俺の気持ちを知らずに、花井美陽は「君が無事でよかった」なんて微笑みかけてくる。

 な、なんだこいつ……! 歯の浮くようなセリフを恥ずかしげもなくポンポン口にしやがって。

 だが、悔しいことにそれがさまになっている。言葉の節々からも、かっこつけようとかいう色気がないことが分かる。

 

「ちくしょう、かっこいいな」

「ん? 何か言った?」

「何でもない! ほら、さっさと行こうぜ」

「ちょっと待って」


 直ぐに歩き始めようとする俺を花井美陽が呼び止める。そして、花井美陽は俺に手を差し伸べて来た。


「なんだよ、その手は」

「危なっかしくて、君は見てられないよ。手を繋いでたら、いつでも助けられるだろ?」


 花井美陽の一言に俺はカッと目を見開く。


 こ、こいつ、策士過ぎる……!

 これなら、手を繋ぐという高いハードルを、ごくごく自然な流れで超えることが出来る。

 おまけに、顔を寄せられたり、微笑みかけられたりで俺の判断能力は著しく低下している。このまま、うんと頷いてしまいかねない。

 恐ろしい。こうしてさり気ないスキンシップを繰り返し、やがては身も心も花井美陽のものになる。

 そういう作戦なのだろう。きっと、これまで数多の女子がこの策の前に屈してきたに違いない。

 だが、俺は男! その策は通用しない。寧ろ、弟子としてその策を糧とさせてもらおう。


「大丈夫だ。寧ろ、俺は美陽の方が心配だね。手、繋ぐか?」

「今のところ、心配されるようなことをした覚えはないんだけど……」

「いつ何時背後から電柱が襲ってくるか分からないだろ!」

「前を向いて歩けば、そんな奇怪なことは起きないよ」


 くっ、正論を言いやがって。

 花井美陽を真似してカウンターを試みたが、所詮は物真似、本物には敵わないか。

 歯噛みしていると、花井美陽が小悪魔のような笑みを浮かべる。


「もしかして、手繋ぎたいの?」

「は!? ち、ちげーし! お前が繋ぎたそうにしてたから誘ってあげただけだし!!」

「そんなに感情的になってたら、もうそれが答えになってるよ」


 クスクスと楽し気に笑う花井美陽。

 こ、小馬鹿にされている……。

 ちくしょう、さっきから俺ばかりドキドキさせられてい――そ、そうか!

 花井美陽は俺に手本を見せてくれているのか! これがトキメキの与え方だと、これを真似して君もこの高みまで来い、と。

 そういうことだったのか!!


 気付いてしまえば、不思議なことに花井美陽の見え方が大幅に変わる。余裕たっぷりに、こちらを小馬鹿にしていた性悪イケメンから、弟子思いの心優しい師匠に早変わりだ。

 一生ついて行きます!!


「き、急にどうしたんだい? そんなにキラキラした目を向けてこられると恥ずかしいんだけど……」

「花井美陽、俺、お前にずっとついて行くよ!!」

「本当にどうしたんだい?」


 尊敬の眼差しを向けただけなのに、花井美陽からは心配の眼差しを向けられる。

 挙句の果てに、「あたまの打ちどころが悪かったのかな」とか、「病院に連れて行った方がいいかもしれない」とか一人で呟き始めた。

 ほら、こんなにも弟子の心配をしてくれる。素晴らしい師匠だ。


「俺は、幸せものだ」

「ねえ、本当に大丈夫かい?」

「こんなにも素晴らしい師匠に出会えたこと、心から感謝したい。師匠、一緒にモテモテになってハーレムを作ろうな!!」

「大丈夫じゃないやつだ、これ」


 ため息をつく師匠、もとい花井美陽。相変わらずの美しい横顔。

 流石は師匠だ。俺も見惚れるような横顔を早く見せられる男になりたいぜ。

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