第11話 芸術


 花井美陽と共に、暫く歩いた後、花井美陽はとある喫茶店の前で足を止めた。

 薄暗い店内の中にはクラシック調の静かなBGMがかかっている。お客さんも少なく、落ち着いた雰囲気の喫茶店だ。

 常連客なのか、花井美陽は店主に二人と告げてから、奥のテーブル席に腰かける。

 あまりこういう店に来ることがないので、少し緊張してしまう。隣に花井美陽がいてくれて良かった。堂々としてくれているから、安心する。


 はっ! まさか、これも花井美陽からの教えか!


『どんな状況下でも狼狽えず、堂々としていろ。さすれば、自然と頼られるようになり、好感度は上がる』


 そういうことだな!


 尊敬の眼差しを花井美陽に向けると、彼女は眉間に皺を寄せ、顔を逸らした。


「その目、むず痒いから止めてくれないかな?」

「え? もしかして気持ち悪かったか?」

「うん。かなり」


 気持ち悪い……。そっか、気持ち悪いのかぁ。

 少なくないショックを受け、額をテーブルに付ける。ひんやりとして、表面が滑らかなテーブルだ。ここのテーブルはいいテーブルだな。


「まあ、気持ち悪いは冗談だけど、君たちが思うほど私は出来たかっこいい人間じゃないよ。だから、ね」


 困ったような笑みを浮かべる花井美陽。

 かっこよくない、ねぇ……。


「ま、美陽がそう言うなら尊敬の眼差しを向けるのは止めとくわ」

「そうしてくれると助かるよ」

「ところで、ちょっと相談があるんだけど、いいか?」

「相談? 勿論いいよ」


 相談を始める前に、注文だけ済ませる。

 俺はブレンドコーヒー、花井美陽は紅茶を頼み、それぞれの手元に飲み物が来てから、俺は花井美陽にスマホの画面を見せる。


「三鷹風香さん、知ってるか?」

「ああ、同じクラスの子だよね。君の隣の席だったっけ?」

「そう。その子と連絡先交換したんだよ」

「うんうん」

「なんてメッセージを送ればいい?」

「よろしく、とかでいいんじゃないかな?」


 あっけらかんとした口調で花井美陽はそう言った。

 何ともシンプルだ。百人に相談したら百人がそう答える。それくらいシンプルだ。


「それ、つまんないだろ」

「最初のメッセージに面白さって必要かな?」

「第一印象は大事だろ」

「だからって、無理に面白いことを送ろうとして滑ったらどうするんだい?」

「それはあれだよ。その後、頑張るんだよ」

「疲れると思うけどね。自然体が一番だよ」


 紅茶を啜る花井美陽。

 自然体が一番というが、それは花井美陽の理論だろう。

 花井美陽ならそれで十分だ。だが、俺のような存在には付加価値がいる。

 現に、三鷹風香さんが俺と連絡先を交換した最大の理由は俺が勉強が出来るから、である。

 今、三鷹風香さんの頭の中では俺は勉強が出来る奴。

 それだけでは、足りない。一緒にいて楽しい。顔がいい。面白い。お金がある。気がきく。美味しい料理屋を知っている。

 三鷹風香さんにとって価値のある何かが必要だ。そして、それは俺が誰と関わる時でもそう。


 それを簡単に伝えると、花井美陽は深いため息をつき、ややしかめっ面を浮かべる。


「もっとシンプルでいいと思うよ」

「いや、だけどな……」

「仲良くなりたいんだから、仲良くなりたいって思いを伝えればいいよ」

「それで一年通した結果、今の俺がいるんだけど」


 遠い目をしながら高校一年時のことを思い返す。

 気持ちだけ先走っても仕方ないんだよなぁ。本当に。


「それでも今の君は一人じゃない。なら、いいじゃないか。君の素をある程度知っていて、それでも君の傍にいる人たちを大切にしなよ。女の子がいいなら、それこそ――」


 そこまで言って花井美陽は口を閉じた。


「それこそ?」

「何でもない。ちょっと、席外すね」


 そう言うと花井美陽はそそくさと離れていった。

 そこで止めるなよ。気になるじゃないか。誰かいるか? 俺の素を知ってて、俺の傍にいる女の子。

 それこそ花井美陽と、一年の頃同じクラスだったあいつ、屋上でたまに会う先輩、後は小学生の頃から知り合いの後輩……あれ? 意外といる?

 思いのほか、俺の女の子関係は幅広いらしい。ま、今言った四人の内、三人にはフラれてるんだけどな。

 ……なんか悲しくなってきた。


 コーヒーカップの取っ手を掴み、口の中に流し込む。

 いつもより一段と苦く感じたのは、気のせいだろう。


 ちびちびとコーヒーを飲んでいると、花井美陽が席に戻って来た。席を立った時とは違い、今度はゆったりとした歩みで。


「お待たせ」

「おう」

「それで、メッセージの話だっけ?」

「そうそう。美陽はシンプルでいいって考えなんだよな?」

「うん。まだ君は三鷹さんのことを知らないわけだし、それは三鷹さんも一緒。連絡先を交換できたってことは、互いにそこまで悪い印象は持っていないって証拠だから、ここから少しづつ距離を詰めて行けばいいよ。最初から焦る必要はない」


 一貫して花井美陽の主張は自然体でいいというものだった。

 まあ、そう言われればそうなんだよな。でも、何か変えないといけないと思う自分がいることもまた事実だ。

 そのことを伝えると、花井美陽は神妙な面持ちになってから、口を開いた。


「……なら、私に一回送ってみてよ」

「なんで?」

「私が一度確認する。そうすれば、少なくとも大きな失敗はないだろ?」

「まあ、確かに。でも、それはお前の負担が大きいんじゃないか?」

「今更だろ。とりあえず、今日の夜にでもメッセージを送ってみてよ。そこで判断するから」

「今じゃダメなのか?」

「一人で見るのと、君と見るのとでは同じメッセージでも印象がかなり変わってしまうからね。出来るだけ三鷹さんが君からのメッセージを受け取る時と同じ状況にした方がいいだろう」

「なるほど」


 その提案は俺にとってありがたいものだ。メッセージを送れるのは一度きりだが、これなら花井美陽にテストしてもらえる。

 花井美陽は、俺が知る中で一番女心を理解している人だ。三鷹さんに対するベストアンサーは出せなくとも、合格ライン程度は示してくれるだろう。

 

「ありがとう。それじゃ、よろしく頼む」

「ああ。気にしないでよ」


 俺からの話はこれで終わり。コーヒーももう少しで飲み終わる。花井美陽のカップもあと数口分しか紅茶は残っていない。

 これで今日はお開き。そう思ったが、花井美陽の話はまだ終わっていなかった。


「そうだ、君に聞きたいことがあったんだ」

「聞きたいこと?」

「写真集、どうだった?」


 ティーカップを片手に花井美陽が問いかける。

 自分で聞くの恥ずかしくねーのかな、と思いつつ写真集のことを頭に浮かべる。


「綺麗だった。特に、水着の写真には目が釘付けになったね。お前、脱ぐと凄いんだな」

「…………君、デリカシーないって言われない?」


 花井美陽はジト目を俺に向けていた。

 まさか、さっきの俺の発言アウトか? いや、確かに女性の身体的特徴に言及するとセクハラになる恐れがあるというのは有名な話だ。

 や、やっちまった……。


「いや、違うんだよ! お前をエロい目で見てるとかそういうのじゃなくて!」

「私、何も言ってないんだけど……」


 花井美陽の視線が冷ややかなものになっていく。

 墓穴堀ったああああ!!

 いや、落ち着け。まだ挽回できる!


「違う! そう! これはあれだ。ミロのヴィーナスとかを見る時と同じ感情なんだよ! 美しさを超えて、一種の神聖さを感じるほどだった。つまり、やましい気持ちとかは無くて、芸術を見た時のような感動があったんだよ!」


 身を乗り出して、そう言い切る。早口でまくし立てたせいか、若干息も上がっていた。

 そんな俺の表情を花井美陽は見ると、口に手を当てて笑い出した。


「あ、すまない。ただ、あまりに必死に否定するからおかしくてね。安心してくれ。人に見られることをしてるんだ。そういう視線で見てしまう人がいることくらい理解してるよ」

「そうなのか」


 一通り笑い終わった後の花井美陽を見て、ホッと一息つく。

 でも、気を付けないとな。花井美陽は理解を示してくれるわけだが、皆が皆そういうわけじゃない。


「それにしても、水着の写真かぁ」


 花井美陽は机に肘を立てて、揶揄うようにそう言った。


「な、なんだよ。悪いかよ」

「いや、ただ君も男の子なんだなぁと思ってね。まあ、自然とそっちに目がいくよね」

「まあな。ただ、感動したってのは嘘じゃねえぞ」

「そうかい? そんなに際どい写真を撮った覚えはないんだけどな」

「そっちじゃねーよ」

「へぇ。というと?」

「よく分かんねーけどよ、スタイルの維持って大変なんだろ? 運動しまくれば骨格は太くなる、飯を食わなかったら体調は悪くなる。ちゃんと考えて飯食ったり、身体の線が太くならないように気を遣ったり、そういう努力を経てるって何となく分かったから、綺麗だって思ったんだ」


 つい言っちまったけど、何だか不安になって来た。

 これ、知ったかぶりしてるキモい奴みたいに思われない? 大丈夫か?

 

 俺が不安を感じる中、花井美陽は俯きながら深いため息をついた。

 花井美陽の次の言葉を身構えながら待つ。花井美陽は俯いたまま口を開く。


「君は、どういうつもりなんだい?」

「え?」

「いや、やっぱりいい。もう暗くなるし、そろそろ帰ろうか」


 そう言うと花井美陽は鞄を持ち、伝票を片手に立ち上がった。

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