第12話 どういうつもりなんだか
「君は、どういうつもりなんだい?」
「え?」
「いや、やっぱりいい。もう暗くなるし、そろそろ帰ろうか」
そう言うと花井美陽は鞄を持ち、伝票を片手に立ち上がる。
こ、この場面は……!
「ちょっと待て!」
「ど、どうしたんだい?」
慌てて花井美陽の手首を掴む。花井美陽は少し驚いた表情でこっちを見ていた。
「支払いは、俺に任せてくれ」
「……いや、気持ちは嬉しいけど個別の支払いでいいよ」
「いいや! 俺が払う!」
「だからいいって。奢られて喜ぶ人は多いだろうけど、私と君の関係はそう言う関係じゃないはずだ」
「だけど、飯の一つも奢れない男には甲斐性が無いんだろ!?」
「それ、誰が言ってたの?」
「え……。俺の後輩」
「別にそんなことは無いと思うよ」
花井美陽は呆れたような表情でそう言った。
そうだったのか。じゃあ、俺はあいつにずっと騙されていたということか!?
くそっ! それを知っていたなら、ご飯を奢る回数を減らせたのに!
「それに、私は一応モデルもやってお金もあるからね。寧ろ、君の方は大丈夫なのかい?」
「大丈夫だ。使う機会が殆どないからな」
「……なんかごめん」
「謝るなよ。みじめになるだろ」
休日に遊びに行く友人はそれこそ大地くらいのものだが、あいつは彼女持ちだ。そんなに頻繁に遊びにはいけない。
妹と出かける時もあるけど、妹には妹のコミュニティがあるからな。
「なら、私と遊びにでも行くかい?」
「え、いいのか?」
「予定が合えば、だけどね。だから、君のお金はその時までに取っておいて。今日は私が払うから」
そう言って、ウインクをする花井美陽。
なるほど。こうやって敢えて貸しを作ることで、次の予定を取り付けるのか。
こいつ、天才か?
「分かった。なら、ここは甘えさせてもらう。ありがとな」
「うん」
花井美陽は満足げな表情で頷くと、伝票を持って会計に向かっていった。
その後ろを俺も付いて行き、静かに店を出た。
外の出ると日はすっかり沈みきっていた。
「それじゃ、帰ろうか」
「そうだな。もう暗いし、よかったら送るぞ」
「お、そういう気遣いが出来るようになるとは。成長したね」
「まあな」
並んで歩き始める。
花井美陽の足元を見て、歩くペースを調整しながら、ゆっくりと。
喫茶店に向かう時はもうちょいこいつ歩くペース早くなかったか?
いや、あの時は俺に合わせてくれてたから……か?
まあ、どうでもいいか。
「ふふっ」
不意に花井美陽が微笑む。
「どうしたんだ?」
「帰り道を男子と二人で歩く機会なんてそうないからね。少し、不思議な感じがするよ」
「へぇ。まだまだだな。俺は小学生の頃から妹とよく歩いてたからな。その辺の経験値は俺の方が上だな」
「そうだね。じゃあ、君に引っ張ってもらおうかな」
そんなことを言いながら花井美陽は俺に手のひらを差し出す。
一瞬、頭がフリーズする。だが、俺の中に積み重ねてきた花井美陽との時間が、この場面における最適解を導き出した。
これは試験だ!
花井美陽の、抜き打ち検査。思えば初めから花井美陽は言っていた。
『君が女の子と接するための練習相手になる』
ならば、ここで俺が取るべき行動は一つ。
「……っ」
「何、驚いた顔してんだよ。ほら、行くぞ。離れないようにしろよ」
「う、うん」
差し出した手を握り、歩き出す。
花井美陽も最初こそ戸惑っていたが、直ぐについて来た。
手のひらから伝わる温もりのせいか、顔が熱い。心臓の鼓動もやけに大きく聞こえる。
落ち着け。妹と帰っていた時を思い出すんだ。
手を引きつつも、相手のペースを見る。手を握る強さは強すぎず、だけど、ちょっとやそっとのことでは離れない程度には強く。
羽月はもう手を繋いではくれないが、俺のお兄ちゃん歴は今年で十五年だ。
お兄ちゃんを、舐めるなぁあああ!!
***
「こ、ここまででいいよ」
住宅地が近付いて来たところで、私は足を止めてそう告げた。
陽翔は少し緊張した様子だった。結局、私たちは手を繋いだままここまで来てしまった。
「そ、そうか。じゃあ、ここで」
「うん」
「……手、離してもいいか?」
「も、勿論!」
「それじゃ、またな」
「うん、また」
私が手を放すと、陽翔は踵を返して、そそくさと早歩きで帰っていった。
その背中を眺めながら、私はまだ温もりが残る左手を右手で包み込む。
「まさか、本当に握って来るとは思わなかったな……」
ほんの冗談のつもりだった。
慌てふためく陽翔の顔が見えたら面白いな。その程度の気持ちだったのに、陽翔は本当に手を繋いで来た。
それも、かなり自然に。
手を握る力も強すぎず、弱すぎず。歩く速度も私の方を確認しながら歩調を合わせてくれていた。
「本当に、どういうつもりなんだか」
遠ざかっていく陽翔に向けて、ポツリと呟く。
どうせ、何も考えてないのだろう。勝手に人の弟子になって、好き勝手に人の写真集を見て、好き放題に喋る。
まあ、写真集については私が聞いたんだけどさ。
でも、違うだろう。
だって、彼にとって私は所詮師匠のはずだ。それに、敵対的な視線を向けられたことだってある。
花井陽翔にとって、花井美陽は恋愛対象じゃないはずだ。
なのに、なんなんだ。
スタイルを維持してるのが凄いって、努力が見えるって。
そんな視点で写真集を楽しむ奴が一体どこにいるんだ。もっと気軽に見ればいいじゃないか。
水着見て、興奮して鼻血出すくらいが君にはお似合いじゃないか。
どうして、私が喜ぶようなことを言ってくるんだ。
「はぁ。いや、一番はこの程度で喜んじゃう私のチョロさか……」
ため息をつきながら、左手をポケットに入れて歩き始める。
本当、男の子って単純に見えるのに、何考えてるか分からないよ。
***
花井美陽と別れ、家に付いた後、実際にメッセージを送ってみた。
結果は微妙。
その後、何度かメッセージのやり取りをして採用されたメッセージがこれ。
『改めて、花井陽翔です。困ったこととか、聞きたいことあったらいつでも聞いて!』
地味だ。
まあ、花井美陽曰く、これくらいが丁度いいらしいから、問題ないだろう。
夜が明け、今日も元気に家を出る。
なんかいいことあるといいな。
学校に着き、いつも通り下駄箱を空ける。
上履きの上、そこに見慣れない白い封筒が一つ。
「こ、これは……まさか!!」
高鳴る心臓。
待ち望み続けた人生の春は、もうすぐ傍まで近づいてきていた。
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