第8話 運命

 写真集を買いに行った翌日、俺は街の図書館に来ていた。

 昨日はあの後、写真集を眺めていたら一日が終わってしまった。

 写真集には男の俺でさえ惚れ惚れするようなかっこいい写真から、十代の女の子らしさに溢れた写真もあった。

 その中でも羽月が注目すべき写真の一つとして挙げていたのが、向かいの席に座る花井美陽と勉強中にたまたま目が合い、花井美陽がこっちに微笑みかけて来た、というシチュエーションを再現した写真だった。

 羽月曰く、『偶然っていう名の運命を感じるよね』と言っていた。


 それを聞き、俺は日曜の昼間にわざわざ図書館へ来たという訳である。目標は、花井美陽同様、向かいの席に座る女の子がときめく様な微笑みをすることである。

 決意を胸に、図書館の窓際にあるテーブルで週末課題を進める。


 早く誰か来ないかなーと思っていると、俺がいるテーブルより二つ離れた場所にあるテーブルの前に学生と思しき少女が腰かける。

 その少女は鞄から勉強道具を出すと、勉強をし始めた。距離が離れているが、ギリギリ表情は見える。

 黒ぶち眼鏡が可愛らしい。どこかで見た顔の気もする。まあ、そんなことよりこれはチャンスだ


 偶然という名の運命。

 羽月がそう言っていたことを実行に移すとき。

 俺は運命とは自ら引き寄せるべきものだと思っている。たまたま目が合う? そんな不確定なものに頼らない。目が合うまで見続ければ、偶然は必然になる。


 それは、運命じゃないだろ。


 そんな声が聞こえてきそうだが、それは俺から見た時の話だろう。

 彼女から見ればどうだろうか? たまたま顔を上げたら、奥のテーブルに座る男子がこちらに微笑みかけている。

 これは運命。そう思うに違いない。


 ジッと奥の女子を見続ける。

 眼鏡の女の子は勉強に集中しているのか、全く顔を上げない。

 十分、ニ十分、三十分……。


「あの」


 ジッと見始めてから丁度三十分が経過した辺りで、図書館の司書さんに声をかけられる。

 女性の司書さんは訝しむような目で俺を見ていた。


「はい。どうかしましたか?」

「その、一人の女性をニヤニヤした笑みで見つめる怪しい男がいるという話を聞いたのですが……」

「そんな奴がいるんですか? 怖いっすね」

「ええ、私もそう思います。ところで、何をされてたのですか?」

「勉強です」


 手元にある勉強道具を見せる。だが、司書さんの俺を見る目はまだ訝しむような目だ。

 いや、犯罪者になりかねない怪しい男が現れたのだ。男たちへの警戒心が上がるのも仕方ない。


「先ほどから、ペンが動いていないようですが?」

「ええ、まあ、少し運命というものを引き寄せる努力をしていたので」

「運命? 詳しく教えていただいてもいいですか?」


 司書さんの目つきが鋭くなる。

 どうやら、司書さんも運命というものに興味があるらしい。いや、図書館で働くくらいなのだ。きっと、そういうことに憧れがあるのだろう。


「はい。あそこに、眼鏡をかけた可愛らしい女の子がいますよね」

「ええ」

「彼女と偶然目が合ったら、素敵だと思いませんか?」

「…………」


 司書さんが眉間に皺を寄せる。

 分かっている。きっと、そんな運命的なこと起こるはずがないと言いたいのだろう。

 だが、安心して欲しい。俺もそれはきちんと理解している。


「でも、実際に目が合うことなんて滅多に起こりません。そうですよね?」

「ええ、まあ」

「だから、俺は決めました。そうだ。彼女を見続けよう、と。俺が彼女を見続ければ、彼女がいつ顔を上げても絶対に目が合う。即ち、彼女にとっての運命的な出会いを生み出すことが可能になる――あれ? 司書さんは?」


 いつの間にか司書さんが俺の傍からいなくなっていた。辺りを見回すと、司書さんが奥のテーブルに座る眼鏡の女の子の傍にいることに気付いた。


 ま、まさか司書さんは俺のことを思って、あの子にこっちを向くように言いにいってくれたのか!?


 そんな俺の考えを証明するかのように、司書さんと話している眼鏡の女の子が俺の方を向く。

 チャンス。圧倒的、チャンス!!

 落ち着け、冷静に、笑顔だ。爽やかスマイル。

 だが、距離が離れていることも考慮しろ。遠目からでもはっきりと分かるように、口角を吊り上げ、目じりを下げろ。

 さんはい!


 ニコォ。


 眼鏡の女の子が顔を顰め、身体を少しだけ下げた。その慣れた動作はまるで、俺の隣の席の風香さんのよう……って、あれ?

 あの子、風香さんじゃね?

 それに気づいた俺は、クールに席を立ち、風香さんの下に歩み寄る。

 そんな俺を司書さんと風香さんは何やら険しい表情で見つめていた。


「風香さん、こんなところで会うなんて奇遇だね」

「……はぁ、なるほど、あなただったんですね」

「お、お知り合いの方ですか?」


 司書さんが風香さんに問いかける。風香さんは静かに頷きを返した。その後、二人の間で少しだけ言葉のやり取りがあってから、司書さんはその場を立ち去った。


「あなた、ストーカー疑惑かけられてましたよ」


 司書さんがいなくなってから、風香さんはいつもの平坦な口調でそう言った。


「は!? ストーカー!? し、失礼な!」

「自覚がないところが恐ろしいですね」

「いや、本当に俺はストーカーなんてしてないぞ。ただ、運命の出会いってやつを追い求めてただけだ。あ、風香さん、ところで俺に運命感じた?」

「恐怖は感じましたね。私の理解から外れた人間がここまで恐ろしいとは思いませんでした」


 風香さんは来月行われる模試の過去問に目を向けながらそう言った。

 どうやら、運命は感じなかったらしい。残念極まりない。


「では、私は勉強の続きをしますので」


 そう言って勉強を始める風香さんだったが、端から見ても分かる程度に苦戦している。

 関数の問題のようだが、式を何度も書いて、消した形跡がある。恐らく、数式で答えを導こうとしているのだろう。


「それ、関数の図書いてみたら」

「……分かるのですか?」

「いんや」

「……」


 風香さんが疑うような目を向けてくる。

 答えは分からない。だが、関数の問題は大抵数式で考える場合と図を使って考える場合に大別できる。両方使う時もあるけど。

 少なくとも、数式でそれだけ挑戦してダメなら図でやってみるべきだろう。


 そういうことを丁寧に説明すると、風香さんは目を点にして、言葉を失っていた。


「どうかした?」

「い、いえ……少し意外だったので。勉強、得意なんですか?」

「まあまあかな。それより、続きやったら?」

「はい」


 そう言うと風香さんは問題の関数の図を描き、問題を考え始める。

 考え始めてから十分と少し、風香さんのペンを動かす手が止まった。


「と、解けました……」

「お、よかったよかった。やっぱり図を書いて正解だったっぽいな」


 ノートに書かれた解答を見たが、どうやら問題に出てくる二つの関数は直線y=xで対称なグラフになるように出来ていたらしい。

 解答するにはそれを使う必要があったようだ。

 数式だけだと分かりにくいことだろう。


「あの、ありがとうございます」

「気にしなくていいって。それにしても、数学って面倒だよな。一個の視点だけじゃ解けないなんて問題がたくさんあるもんな。まあ、色んな視点で物事見ろよってメッセージなのかもしれないけどさ」

「そうですね。決めつけは、よくないかもしれませんね」


 風香さんはそう言いながら柔らかな笑みを浮かべた。

 それは、俺が始めて見る風香さんの笑顔だった。

 普段から、真面目な表情で授業を受け、休み時間も一人で黙々と過ごすことの多い風香さんが笑った。


 か、可愛いぃいいいい!!


 お、落ち着け。冷静に、冷静にだ。

 間違いなくかつてないビッグウェーブが来ている。ここで、自然に風香さんを誘うんだ。


「スゥー。ふ、風香さん、よかったら、この後遊びに行かね? 俺、いい公園知ってんだ」

「こ、公園ですか?」


 ミスったああああ!!

 なんだよ、いい公園知ってるって! 小学生か! いや、小学生でももっとましな誘い文句言うわ!

 いや、もう仕方ない。こうなったら、何とかして公園に行きたいと思わせるしかない!


「やっぱり最近、公園とか行ってないだろ? 久々に行くのもいいかなって。なんか、滑り台とか滑ってもいいし、ベンチに座って元気な子供たちを眺めるのも楽しいし、ど、どうかなって?」

「すいません、公園にはあまり興味が無いので」

「だ、だよなー」


 ペコリと頭を下げる風香さん。

 いや、頭を下げる必要なんて無いんだ。高校生にもなって、公園を提案する俺がくそ過ぎるだけだから……。

 俺が落ち込んでいると、五時を告げるチャイムが鳴った。窓の外に目を向ければ空も少しづつ暗くなり始めていた。


「そろそろ、私は帰りますね」


 そう言うと、風香さんは机の上に広げていたノートや教科書を閉まっていく。

 それを見て、俺は風香さんに背を向けて静かに自分が座っていた椅子に戻る。

 調子に乗ってしまった……。俺も帰ろう。

 カバンに勉強道具を詰め、風香さんがいなくなったことを確認してからその場を後にする。


 運命って、難しいな……。

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