第5話 夕陽
花井美陽の弟子となった翌日。
今日も早朝に俺は家を出た。ちなみに、昨夜、妹にさりげなく爽やかイケメンスマイルを向けたら、「キモい」と言われた。
俺は泣いた。
気を取り直して、下駄箱で上履きに履き替える。
それからはいつも通りのルーティンだ。図書室へ行き、十分過ごす。今日も出会いは無かった。
出会いが無かったことを残念に思いつつ、教室に入る、
普段なら俺が一番乗りなのだが、今日は俺より先に一人の女子生徒がいた。
セミロングの明るめの髪。
やや短めのスカート。確か、彼女は花井美陽が香織と呼んでいた少女。
水瀬香織だ。
珍しいな。
「おはよう、花井君」
意外にも、水瀬の方が挨拶をして俺の方に近づいて来た。
「あ、ああ。おはよう」
「ところで、花井君に聞きたいんだけど、昨日の放課後、花井さんと何の話してたのかな?」
水瀬は張り付けたような笑顔で、食い気味に俺に問いかける。
「あー、その弟子にして欲しいと思って」
「弟子?」
「そう。美陽って――」
「美陽? へぇ、花井さんのこと、名前で呼んでるんだ」
水瀬の瞳から光が消える。
ぞくり、と背筋に寒いものを感じるが、次の瞬間には水瀬の目には光が戻っていた。
「ごめんね。話、遮っちゃって。続きいいよ」
「あ、ああ。まあ、美陽が女の子に好かれてるからさ、俺も女の子と仲良くなるためにコツみたいなもんを教えてもらおうかなと思ってな」
「ふーん、それだけ?」
「ああ」
「そっか……まあ、今は見逃してあげてもいいかな」
小声で、水瀬がポツリと呟く。
見逃す。その言葉の意味は俺にはよく分からなかった。
「わざわざ教えてくれてありがとね。それじゃ」
そう言うと水瀬は自分の席に戻っていった。
折角だし、何か話でもと思ったがこれといって話題が思いつかず、結局俺も大人しく自分の席に戻った。
だが、何もしないとは言ってない。
日課の花瓶の水の入れ替えを素早く行う。そして、いつもより長めに花を愛でる。
「綺麗だな、本当に」
花びらを優しく撫でてから、チラリと水瀬の席に視線を向ける。
水瀬は俺の方を見向きもせず、スマホをいじっていた。
ふっ。まだまだ先は長いな。
悲しい気持ちを抑え、大人しく席に着いた。
暫くするとクラスメートが次々に教室に入って来る。その中には三鷹さんの姿もあった。
さて、挨拶をしよう。
折角だし、昨日美陽から学んだことを活用しよう。
「おはよう、風香さん」
ニコッ。
「……は?」
三鷹さん、もとい風香さんは信じられないと言った表情で俺を見つめる。
そして、机の上に置きかけた鞄を肩にかけ、教室を出て行った。
ふむ。忘れものだろうか。
そう思っていたら、直ぐにまた戻って来た。折角だし、もう一回挨拶しておこう。
「おはよう、風香さん」
「……おはようございます」
一瞬、俺の方に視線を向けてから、風香さんは挨拶を返した。
ふむ。
昨日は気持ち悪い笑顔と言われたが、今日は挨拶をきちんと返してもらえた。
これは大きな成長だな!
「あの……」
内心でガッツポーズしていると、風香さんが俺に話しかけてきた。
「ん?」
「いえ、その、私とあなたは名前で呼び合うような仲ではありませんよね?」
「まあ、そうだな。でも、仲良くなりたいから名前で呼んでみたぜ! 嫌だったら言ってくれ。すぐに直すから」
「……まあ、好きにして下さい」
風香さんは諦めの混じった表情を浮かべながら、そう言った。
やったぜ! 風香さん直々に名前呼びの許可を貰った!
花井美陽だからこそ名前呼びは許されるものと思っていたが、意外といけるんだな。
この調子で頑張ろう!
朝こそ意気込んだものの、昨日の今日で女子と話す機会が簡単には増えない。
今日も今日とて、女子たちは美陽の周りに集まっている。
その様子を横目に、一日が過ぎる。
「風香さん、また明日」
「……また明日」
風香さんに別れの挨拶をしてから、荷物を纏めいつもの空き教室へ向かう。
今日は風香さんに水瀬さんと二人もの女子と会話することに成功してしまった。
風香さんに関しては昨日よりも確実に仲が良くなっている気がする。流石は花井美陽メソッドだ。
ルンルン気分で空き教室に入ると、普段と違いそこには人影があった。
ふおおお! 遂に新たな出会いが!!
「待ってたよ、陽翔」
「なんだ、美陽かよ」
教室の中にいたのは花井美陽だった。
「なんだとは何だい? 待っていた女の子にそういう態度は頂けないな。昨日の帰りも女の子を一人で帰らせていたし、女の子と仲良くなりたいなら、もう少し態度を改めた方がいいんじゃない?」
「うっ……まあ、確かに。悪かったな」
「うん、君の素直なところは凄くいいよね。とりあえず、座りなよ」
そう言うと美陽は自分の横にある椅子を引いた。
立ったままというのも何なので、大人しく美陽の隣の席に座る。そして、カバンから勉強道具を出す。
その間、美陽はこちらを見つめていた。
「珍しいな。お前が放課後にこんなところに来るなんて。いつもの女子たちはどうしたよ?」
「ああ、彼女たちには用事があるって言って今日は抜けさせて貰ったんだ。彼女たちも大事だけど、折角の繋がりだし、君のことも大事にしたいからね」
髪を耳にかけ、微笑みながら美陽はそう言った。
白磁器のような首筋が露わになる。色気を纏ったその姿に、俺の胸が高鳴る。
いやいや、待て。こいつは俺のライバルだ。
ときめかされてどうする!?
「へ、へー。そうなんだ。まあ、好きにすればいーんじゃねえの?」
「ああ。好きにするよ」
素気ない俺の態度にも動じず、寧ろ俺の内心を見透かすかのような笑みを浮かべながら美陽はそう言った。
くそ……ライバルは強大だ……!
いや、待て。やられっぱなしで終わっちゃダメだ。
花井美陽も所詮は一人の女の子に過ぎない。こいつから学んだ技術を用いて、こいつに対抗しなくては。
さっきの会話を思い出せ。
ここでの重要ポイントは、自分にとってあなたが大事な人ということを包み隠さないこと。
そして、変に照れないこと。とどめの、イケメン爽やかスマイル!
よし、いける。
「お、俺も割と嬉しいぜ。おみゃえと話せて……」
ニコッ。
恥ずかしいいいいい!!
なにこれ!? え? 思ったこと言うだけでこんなに恥ずかしいの?
しかも、噛んだし! 滅茶苦茶に噛んだし!!
し、死にたい……。
恥ずかしさの余り、花井美陽の顔も見えない。
額を机に付ける。
ああ、ひんやりして気持ちいい。火照った顔を机だけは優しく迎え入れてくれる。
机、最高。
暫くして、落ち着きを取り戻してから、花井美陽の反応が無いことに気付いた。
恐る恐る視線を花井美陽に向けると、彼女は何故か窓の外に目を向け、俺の方を向こうともしない。
え? それは、俺のあのセリフが見ていられないって暗に言ってるのか?
いや、まあ俺でも見てられないって思うけど……。
「お、おい。せめて何か反応して欲しいんだけど……」
「う、うん。そうだね」
俺の言葉を聞いた美陽が漸く口を開く。だが、相変わらず顔は窓の外に向けられたままだった。
「頑張りは伝わって来たよ。でも、噛んだのは頂けないかな。他の子にはやらない方がいいと思うよ」
「まじか……」
「でも、練習は大事だと思うよ。私が練習相手になるから、私といるときは積極的にやってみなよ」
「え? でも、他の子にやらないほうがいいんだろ?」
「私がいいと思うまでは、だよ」
なんと。
これはありがたい提案だ。自分一人で練習を積み重ねても成長を実感することは難しい。
だが、花井美陽が練習を見てくれる上にGOサインを出してくれるなら安心だ。
「でも、練習だからって嘘をつくのはダメだよ?」
「当たり前だろ。自分の本音を相手にサラッと伝えるって練習だろ。嘘なんかつかねーよ」
「そ、そう。それならいいんだ」
「で、いつまで窓の外に目向けてるんだよ?」
「いや、夕陽が綺麗だと思ってね。君も見てみなよ」
花井美陽に言われ、夕陽を見る。
確かに、綺麗だ。茜色に染まりゆく空。
校庭の方からは陸上部やテニス部などが活動する声がする。
そして、窓の映る夕陽を眺める花井美陽の柔らかな笑み。
「夕陽を眺めるお前の方が綺麗だと思うけどな」
気付けば、そんな言葉が口から出ていた。
その瞬間、花井美陽は目を見開き、即座に俯いた。
そして、暫くしてから花井美陽は鞄を持ち、席を立った。
「んんっ。ごめんね、急用を思い出したから私は先に帰るよ。一応、これ私の連絡先。連絡はいつでも取れるようにしておいた方がいいからね。それじゃ」
「あ……お、送っていこうか?」
「気持ちだけ貰っておくよ」
そう言うと、花井美陽は教室を後にした。
表情は良く見えなかったが、夕陽が差し込む教室のせいか、頬がほんのりと赤みを帯びている気がした。
花井美陽が教室から姿を消し、俺一人だけになった途端、頭を抱え、机に額を付ける。
あれ……キモいって思われた?
帰り際、明らかに視線を合わせようとしてなかったし……やったか、これ?
あんな歯が浮くようなセリフで美陽が照れるとも思えないしな。
いや、でも連絡先は渡してくれたし、嫌われてはいないよな……。
「なんであんなこと言っちまったのかね……」
チラリとさっきまで花井美陽がいた席を横目で見る。
思い浮かぶのは、穏やかな表情の花井美陽。
少し考えれば分かる単純な話だ。
「……ライバルって思ってたけど、あいつ、美少女だったな」
ライバル視するが余り、頭から抜け落ちていた当たり前のことを、今更になって思い出した。
***
『夕陽を眺めるお前の方が綺麗だと思うけどな』
頭の中をいつまでも回り続けるその言葉から逃れるように、花井美陽が空き教室から早歩きで離れていく。
(不意打ちはズルいよ……! こっちが素になっているときに、あんなことを言うなんて……!)
当然、モデルのような仕事をしている花井美陽は綺麗だと言われ慣れている。
だが、そういう時は何時だって作っている。
花井美陽は察しの悪くない人間だ。女子たちが、周りの人間が自分に求めていることくらい理解している。
その上で、それに応えるように振舞っている。美陽自身、それでいいと思っているし、それを嫌だとも思っていない。
それでも、何となく思う時だってある。
夕陽が差し込む教室で、男子と女子二人、そんな状況でロマンチックなことが起きないかな、と。
美陽の口から、女の子が喜ぶ言動が出る理由はシンプルだ。他でもない美陽自身がそれに憧れているから。
生憎と、花井陽翔はそういうのが得意な人間ではないだろう。
それを、前のやり取りから美陽は理解していた。だから、油断しきっていた。
まさか、陽翔にそんなロマンチックなこと言えるわけないんだろうな、と。
そんな花井美陽の期待をいい意味で陽翔は裏切った。
『夕陽を眺めるお前の方が綺麗だと思うけどな』
(~~~ッ!! なんで真顔でそんなこと言うんだ! せめて、照れててくれたら、こっちだって余裕を保てたのに……ッ!)
脳裏に直ぐよぎる陽翔の表情。
かっこつけてるわけでも、ふざけてるわけでもない。ただただ、思ったことをそのまま言っただけといったような、自然な表情。
熱くなる顔を見られないよう、やや俯き気味に美陽は帰り道を急いだ。
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