第6話 妹とお出かけ
花井美陽に弟子入りをしてから早いもので五日が経過した。
弟子入りしたら学校生活が劇的に変わるものかと思ったが、そうではないらしい。
花井美陽とはメッセージのやり取りを時々するくらい、放課後にも最近は会えていない。
花井美陽は現役モデル。忙しいのも仕方ないだろう。
強いて言えば、三鷹さんが離していた机を元に戻してくれたくらいだろう。
あの時は思わず喜びの雄たけびを上げてしまった。そのせいでまた数センチ机を離されたしまったが。
「お兄ちゃん、ニヤニヤしててキモい。人目もあるんだから止めてよ」
昨日のことを思い返していると、隣にいる妹――花井羽月からジト目を向けられる。
羽月の言う通り、俺と羽月は今電車に乗ってとある本屋へと向かっている。
羽月は普段、家で過ごすようなパーカー、ジャージという格好と違い、水色のミニスカートに白のブラウスと中々に気合の入った格好をしている。
まるでこれからデートに行くかのような格好だ。実際のところ、向かうのは本屋だが。
「キモいとか言うなよ。お兄ちゃん、泣くぞ」
「ごめん、謝るから止めて。これから花井様に会うっていうのに、泣いている兄と一緒にいたらどう思われるか分かんないよ」
羽月の口から「花井」という言葉が出る。
俺も羽月も花井だが、勿論そういうことじゃない。羽月の言う花井とは、俺の師匠にして同級生、イケメン美少女花井美陽のことだ。
何でも、先日写真集を出したらしい。そして、今日は写真集販売を記念して、写真集を予約した先着百名を対象とするサイン会&写真集お渡し会がある。
花井美陽のファンを名乗る羽月は、当選確率を上げるために俺にも応募させた。
その結果、まさかの二人とも当選。
『お兄ちゃん、やったね! お兄ちゃんみたいにモテない男子が花井様と触れ合える機会なんてそうないんだから絶対行かなきゃ!』
という羽月に押され、俺も行くことがめでたく決定したわけである。
それにしても、羽月は最近お兄ちゃんに冷たいんじゃなかろうか。これは少しお話をした方がいい気がする。
「なあ、羽月。最近お兄ちゃんに冷たくないか? ほら、お兄ちゃんも花井だし、花井美陽よりお兄ちゃんの方がかっこいいだろ?」
「何言ってんの? お兄ちゃんと花井様は北風と太陽――」
北風と太陽か。
その二つは同格みたいなもの。だが、お兄ちゃんを北風側にするとはいただけない。これは、教育が必要……
「――に出てくる人間のパンツと太陽くらいの差があるよ」
羽月はお兄ちゃんを何だと思っているんだ。いや、本当に何だと思ってんの!?
「ちょっと待て!」
「あ、勿論花井様が太陽ね、美陽って美しい陽だよ。太陽がピッタリ」
「いや、だからちょっと待て!! え? 何? 羽月はお兄ちゃんのこと下着と同格の存在だと思ってるの? しかも、北風と太陽に出てくる人間のパンツって登場すらしないだろ!? いや、最後に人間が全裸で川に飛び込むシーンもあるから、あるんだろうけど!」
「お兄ちゃん、詳しいね。もしかして、あのパンツのファン?」
「そんなマニアックなファンいねーよ!」
「うるさい。電車内なんだからもっと気遣ってよ」
「あ、すまん……」
「はあ、これだからパンツは」
「今、パンツってはっきり言ったよな!」
そうこうしている内に、駅に着いた。妹に続き電車を降りるが、俺の心の中には靄がかかったようだった。
それもそうだ。妹が実の兄をパンツ扱いしていたら誰だってそうなるだろう。
そんな俺とは対照的に、目的の本屋に着いた羽月は興奮を抑えきれないと言った様子でソワソワしていた。
「ど、どうしようお兄ちゃん。もうすぐ花井様に会えるよ。髪型おかしくないよね?」
羽月は不安がっているのか、髪をしきりに触っている。
俺からすればいつも通りの可愛らしいサイドポニーである。仕方ない、ここは一つ兄としてビシッと決めるか。
「羽月、大丈夫だ」
「お兄ちゃん……」
「可愛いぜ。妹だってことを忘れて、思わず惚れちまうほどだ」
前髪を一度払ってから、爽やかイケメンスマイルを向ける。
我ながら完璧だと思う。これには、羽月も大喜び間違いなし……って、あれ? なんでお兄ちゃんから距離を置くのかな?
「お兄ちゃん、何年お兄ちゃんやってるの? それが妹にかける言葉の正解だって思ってるなら、本当にお兄ちゃんはパンツ、いや、パンツ以下だよ」
「なっ!?」
愛する妹から兄失格を突きつけられ、硬直する。
ば、馬鹿な……可愛いから大丈夫ということを伝えたかっただけなのに……!
「いや、まあ私がお兄ちゃん大好きなブラコンだったらいいかもしれないけど、違うからね。うん、実の妹に『惚れちまうほどだ』はない」
「そ、そんな……」
羽月は幼いころから何だかんだ言いながらも、お兄ちゃんお兄ちゃんと俺を慕ってくれるお兄ちゃん子だった。
中学生の頃、彼女が出来ず剣道に没頭している俺を応援しに来てくれることもあったし、少なからず俺のことを好意的に見ていると思ったのに……!
「あ、もう直ぐ時間になっちゃう。ほら、お兄ちゃん行くよ! 花井様が待ってる!」
キラキラと目を輝かせて本屋へと歩き始める羽月。その目が移すのは花井美陽ただ一人。
おのれ、花井美陽! くそっ、何が違うというんだ!
俺と花井美陽の違いなんて生物学的には性別くらいのはずなのに。
悔しさを堪えつつ、羽月に続いて既に本屋の角に出来上がっている人の列に並ぶ。並んでいる人の多くは女性で、男性もいるもののそこまで多くは無かった。
「意外だな、もっと男が多いと思ってた」
「まあ、花井様だしね。うちのクラスの女子も花井様に憧れて聖歌学園受けたいって子いっぱいいるから、割と普通だと思うよ。そもそも、男の人ってモデルとかあんまり興味持たないでしょ」
「確かに、それはそうだ」
自分の中学時代を思い返してみても、アイドルの誰々が好き、女優の誰々が可愛いというのはよく聞くが、モデルの名前はあまり聞かない。それこそ、テレビに出るような一部の人くらいだ。
まあ、その中でも羽月の言う通り花井美陽だから、というのはでかいのだろう。
美しい花には蝶が集まるものだ。
『それじゃ、これから花井美陽さんの写真集発売記念イベントを開始しまーす』
係員の声が響き、列が動き始める。
「始まっちゃった……ど、どうしよう。どんなことお話しようかな……」
「そんなの適当にファンですとかでいいんじゃないの?」
「まあ、そうだけど、折角なら少しでも印象に残りたいでしょ。お兄ちゃんは何かないの?」
「うーん」
伝えたいことも何も、同級生だしな。
まあ、正直驚いてはいる。花井美陽がモデルをしているということは知っていたが、ここまで花井美陽のファンがいるとは思わなかった。
「まあ、凄いなって伝えるくらいかな」
「はぁ、まあ、お兄ちゃんだもんね」
俺の言葉に羽月は呆れたようなため息をついていた。
失礼な。俺だって真剣に考えているというのに。
そうこうしている内に、列が進み、いよいよ羽月の番がやって来た。
緊張した面持ちの羽月が係員に呼ばれ、簡単なしきりが置いてあるブースの中へと姿を消す。
『初めまして』
『ひゃ、花井様……!』
羽月の慌てた様が目に浮かぶ。大丈夫だろうか。
いや、あれだけ態度に緊張が現れていたらそれだけで伝わるだろう。花井美陽なら、気付くはずだ。
「次の方、どうぞ」
そして、いよいよ俺の番がやって来た。
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