第30話 後輩

 剣道部の練習も無事に終わり、既に剣道場には俺ともう一人を除いて誰もいない。

 俺の差し入れは部員の方々、中でも部長には非常に気に入ってもらえた。

 満面の笑みで「最高のタイミングだよ!」と言われた時は本当に嬉しかった。

 やっぱり褒められるといいことして良かったなって思えるな。

 俺も人を褒めることが出来る人間になろう。


「ふっ! ふっ!」


 ふと横を見ると、そこには一心不乱に素振りをする雅の姿があった。

 中学時代からよく練習する奴だと思っていたが、高校でもそれは変わらないらしい。


「おーい、雅。いつまでやるつもりなんだ? もう皆帰ったぞ」

「帰りたければ帰ればいいだろ」


 素気なくそう言うと雅は再び素振りをし始める。


 こういうところも変わらない。

 ストイックとも言えるが、雅の在り方は環境次第では孤独になりかねない。

 だからこそもっと剣道の強い学校に行けばよかったのにと思う。


 まあ、ここへ来ることを選んだのは雅だ。

 今更その選択に対してとやかく言うのは無粋だろう。今の俺に出来ることは一つだけである。


「ふん! ふん!」


 部室に置いてあった備品の竹刀を一本持ち、雅の横で素振りを始める。

 懐かしいものだ。中学時代もよくこうしたっけ。


「ふっ」


 一瞬、雅が笑みを漏らした気がした。

 だが、それは本当に一瞬でそれから俺たちは完全下校時刻ギリギリまで素振りし続けた。





「大分、鈍ってたな」


 剣道場を出て校門に向かう途中に雅が俺にそう言ってくる。

 鈍ったというのは素振りのことだろう。

 そりゃ、一年竹刀を振ってなかったら素振りは鈍くなる。


「まあ、剣道をやるつもりなかったしな」

「彼女を作るためというやつか?」

「おう。モテモテになって俺は女子にチヤホヤされたいんだ!」

「バカが」

「辛辣!」


 先輩をバカ呼ばわりとは相も変わらず生意気な後輩である。


 しかし、後輩か。

 はっ! そうだ!


「なあ、雅。いや、雅さん」


 さん付けをしたところ、雅が気持ち悪いものを見る目で俺を見てきた。

 なんでだよ。異性をさん付けなんて普通だろ。

 まあ、そんなことは今どうでもいい。


「一年生の女子を俺に紹介してくれないか?」

「は?」


 今の俺は二学年の間では変態という噂が広がり過ぎている。

 花井美陽と水瀬さんが噂の鎮静化を図っているとはいえ、それでも俺が廊下で上裸でポージングをしたり、女子トイレの前で女子に声をかけたという事実に変わりはない。

 そうである以上、俺の評価が下がってしまうのは仕方ない。

 だが、それは二学年の話だ。


 一年生と三年生にはまだ俺が変態という噂は広まり切っていない。

 その証拠に剣道部の部長は明らかに噂のことを知らなさそうだった。


 ならば、雅に一年生の女子を紹介してもらうことで、俺がモテモテになれる可能性は高まるのである!

 思えば、花井美陽に修行をつけてもらったが、その技術を実戦で使う場面が今までは余りにも無かった。

 ここらで一つ実践してみるのもいいころ合いのはずだ。


「なんであたしがそんなことをしなきゃならない」

「断るなら意地でも剣道部入らないぞ」

「くっ……!」


 俺の言葉に雅が歯噛みする。

 屋上での一件による脅しの材料が雅にはある。だが、逆を言えば雅にとっては脅してでも俺に剣道部に入って欲しいと思うだけの何かがあるということだ。

 ならば、一年の女子と俺のパイプになることくらい容易いはず。


「分かった。だが、あんたが剣道部に入ること。これが最低条件だ」


 まあ、妥当な取引だな。

 俺は一年生という新たな出会いを得られる。

 雅は俺を剣道部に入れられる。正にウィンウィンというやつだ。


「契約成立だ」

「ああ」


 雅と固い握手を交わし、そのまま別れる。


 やっほい!

 そうと決まれば、早速花井美陽に相談しなくてはならない。

 放課後は、花井美陽もモデル活動があるし、昼休みか朝にでも二人で話せる時間が取れないか聞いてみよう。


 花井美陽にメッセージを送ると、返信は直ぐに来た。


『朝七時半、いつもの場所』


 花井美陽にしては素気ないメッセージだが、これは相談に乗ってくれるという認識でいいのだろう。


 これは勝った。

 あの花井美陽が俺の背後にはついている。

 花井美陽のことをよく知っている二、三年生なら俺が花井美陽の真似をしていることに気付く可能性もあるが、一年生ならそれも無いだろう。

 きっと、『なにこの先輩! チョー素敵!』と目をハートマークにすること間違いなしだ。


 ウキウキで家に帰り、鼻歌を歌っていると妹に奇怪なものを見る目を向けられた。

 何故だ。



***



 翌日の朝。

 約束の時間にいつもの空き教室に入ると、既に教室内に花井美陽の姿はあった。


「おっす。早いな」


 軽く手を挙げて挨拶をするが、花井美陽はこちらをジト目で見つめてくるだけで挨拶を返してこなかった。


 あの花井美陽が挨拶を返さないだと!?

 コミュニケーションの第一歩は挨拶だよなんて言いそうな花井美陽が!?


 とんでもない事態に打ち震えていると、花井美陽がおもむろに口を開く。


「昨日はお楽しみだったね」


 なに言ってんだ。

 

「なに言ってんだ」


 思わず口に出た。

 いや、だが口にも出るだろう。朝に同級生に会ってそんなことを言われると誰が想像できる。


「どうせ、若い子が好きなんだろう? 年下の子って可愛らしいもんね。私みたいな男らしい女とはまるで違う」


 視線も合わせずに嫌味たらしく花井美陽はそう言う。


 本当にこいつは何を言っているんだろうか。


「お前は女の子らしいだろ」


 あ、こっち見た。


「き、君はまたそうやって! どうせ、あの子にもそう言ってるんだろ!」


 なんだろう。

 この付き合ってる相手から詰め寄られてる感。

 信じられるか? 俺と花井美陽って師弟関係なんだぜ……。


「いや、別に言ってないけど」

「じゃあ、あの子とはどういう関係なんだい?」

「どういうって……先輩後輩の関係」

「ふーん。つまり、君は後輩には誰でも壁ドンをするってことなのかい?」

「いや、あれは雅が――」

「雅?」


 なんでそこで止めるんだよ。


「ふーん。名前で呼んでるんだ」

「そりゃ、呼ぶだろ。中学で同じ部活だったんだから」


 なんだ?

 今日の花井美陽はおかしいぞ。

 この反応、まるで嫉妬しているみたいだ。


「嫉妬してるのか?」

「してるって言ったらどうする?」


 試しに聞いてみたところ、花井美陽は少し緊張した面持ちでそう返してきた。


 やっぱりそうか。

 昨日の大地の話を聞いた時から引っかかってたんだ。

 だが、今の花井美陽の態度で完全に理解した。


「よっしゃあああ!!」

「な、なんでガッツポーズを?」

「え? いや、だって俺のことをライバルって認めたんだろ?」

「は?」


 そう。

 花井美陽は予想以上に女の子との関わりを持つ嫉妬し、焦ったのだ。

 女の子にモテる王子様の地位を奪われてしまうかもしれない、と。


 ネチネチと俺に色々言ってきたのも、『お前はあの雅とかいう女の子に相応しいのか?』というところを花井美陽なりに試していたのだろう。


 いや、しかしこれは大きな成長だ。

 去年の段階ではまるで太刀打ち出来ていなかったが、今では花井美陽が焦るほど俺のイケメン力は高まっているらしい。

 この調子でいけばモテモテも夢ではないだろう――そう思ったのだが、何故か花井美陽は深いため息をついていた。


「うん、そうだよね……。そういえば、陽翔にとって私はそういう相手だったよね」


 なにやら花井美陽は落ち込んでいるが、俺としては自分の成長を確認出来て満足である。

 とはいえ、今日の本題は俺が成長したという話ではない。


「ところで、話しは変わるんだが、今度雅の紹介で一年生の女子と交流を持つことになったんだ。そこで、是非後輩に効果があるイケメンな仕草とか教えて欲しいんだけど、なんかないか?」


 これまでの花井美陽から学んだ経験を活かすなら、名前呼びと壁ドン、顎クイ、後は、会話するときは話しやすいように相手の前か横に陣取るといったことくらいだ。

 全部実践するつもりだが、それだけだと不安だ。

 何か新しいテクニックが欲しいところではある。


 俺の問いかけに対して、花井美陽は神妙な面持ちで暫く考えた後、遂に口を開いた。


「……なにもしなくていいんじゃないかな?」

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