第38話 貸し借り

 雅もいなくなったし、気を取り直して席に着き、花井美陽の方に顔を向ける。

 だが、なにかおかしい。

 そう、花井美陽がさっきから落ち着きがないのだ。


 そわそわとこちらの様子を伺うように視線を動かしている。普段はもっと堂々としているのにどうしたのだろうか。


「どうした? トイレ行きたいのか?」

「はぁ……」


 気を遣ったつもりなのだが、何故かため息をつかれてしまった。


「そういうところだよね」

「え? 俺変なこと言った?」

「なんでもないよ。それより、私も少し席を外すよ」


 そう言うと、花井美陽はお手洗いがある方に歩いて行った。


 やっぱりトイレじゃないか。

 まあ、いい。なんにせよこれはチャンスだ。今のうちに会計を済ませておこう。

 相手が席を外しているときに会計を済ませるスマートさを花井美陽に見せつけるのだ。

 これなら、あの花井美陽も「私ですら見逃すほどのスマートさ……恐ろしい子!」と震えるに違いない。


 早速店員さんを呼び止める。


「お会計お願いします」

「お会計ですか? お代でしたら、既にお連れ様から頂いておりますよ」


 なんだと?


「マジですか?」

「マジです。しかも、写真まで撮ってもらえたんですよ~。まさかとは思ったんですけど、お連れ様ってモデルのミハルさんだったんですね~」


 キャッキャッと興奮気味に店員さんが話しかけて来る。

 この時点で既に勝敗は決していた。

 俺がトイレでこもっている間にも花井美陽は先に支払いを済ませ、挙句の果てには店員さんをときめかせていたのだ。

 これを敗北と呼ばずしてなんと呼ぶのだろうか。


 いや、まだだ! まだ終わっていない!


「よかったら俺も写真撮りましょうか? なんならサインも書きますよ?」

「え? なんでですか?」

「え」

「それじゃ、私は仕事がありますので」

「あ、はい」


 さっきまでの楽しそうな様子が嘘だったかのような無表情で店員さんはどこかへ行ってしまった。


 これが、俺と花井美陽の差か……。


 呆然としていると花井美陽が戻ってきた。


「お待たせ。そろそろ出ようか」

「ああ、そうだな。そういえば、支払い先に済ませてくれてたみたいだな。俺が頼んだ分は二千円くらいだったよな」


 と言いつつ英世を二枚財布から出し、花井美陽に差し出す。

 だが、花井美陽はそれを受け取ろうとはしなかった。


「さっきの映画のお返しだよ。気にしないでくれ」

「いや、お返しって金額的に釣り合ってないだろ」

「なら、足りない分はまた私が誘ったときに付き合ってよ。それでどうだい?」


 なんと恐ろしい。

 こうしてわざと俺に貸しを作ることで俺を半分奴隷にしようというのか。

 俺は心のどこかで花井美陽は清廉潔白なイケメンだと思っていた。だが、時にはこうして人の弱みに漬け込む狡猾さも持ち合わせている。

 優しいだけではダメというが、こういうことだったのか。


「分かった」


 花井美陽の策略に気付いたところで、既に貸しを作ってしまった俺に断る選択肢など存在しなかった。

 まあ、断る理由も無かったので問題は無い。


 喫茶店を後にし、駅まで二人で歩く。

 ペースはやや遅めで、駅に着くころには街もオレンジ色に染まり始めていた。


「じゃあ、今日はここまでだね」

「ああ、そうだな」

「……」


 花井美陽が何かを言おうと口を開きかける。だが、結局何も言わずいつもと同じ爽やかな笑みを浮かべた。


「それじゃ、また学校で」

「ちょっと待ってくれ」


 立ち去ろうとする花井美陽を呼び止める。

 そして、カバンの中からラッピングされた小包を出し、そのまま花井美陽に差し出した。


「これはなんだい?」

「お礼だよ。今までお世話になってたのに、ろくにお返し出来てなかったからな」


 これには花井美陽も喜んでくれると思ったのだが、何故か花井美陽の表情は曇っていた。


「もしかして気に入らなかったか?」

「いや、そうじゃない。嬉しいよ……でも……いや、やっぱりなんでもないよ。プレゼントありがとう。なにか分からないけど、陽翔が選んでくれたってだけでも嬉しいよ」


 そうして、またいつもの笑顔を浮かべて花井美陽は俺に背を向ける。

 

 遠ざかっていく花井美陽の背中を見ながら少し考える。

 こういう時、イケメンなら「ちょっ、待てよ!」とか言って花井美陽の手を握ってでも引き留めるのだろう。

 そして、壁ドンして「お前の気持ち、聞かせろよ」とか耳元で囁くに違いない。


 なら、俺もイケメンを目指すものとしてそうするべきだ。

 

 だが、今の俺がすべきことは花井美陽をときめかせることじゃない。

 なら、俺のするべきことは一つだ。

 

 花井美陽に走り寄り、声をかける。


「すまん、さっきの借りやっぱり今すぐ返させてくれ」

「え?」


 あっけにとられる花井美陽を連れてやってきたのは駅近くのファミレスである。


「悪いな。予定とか無かったか?」

「私は無いけど、どうしてファミレスなんだい?」

「ちょっと早いけど夕飯時だからな。腹も減ったし、丁度いいだろ?」

「私は丁度いいけど、陽翔はお腹いっぱいだろう? さっき喫茶店で山ほどのパフェを食べていたじゃないか」


 確かにそうだ。

 思い出した途端に食欲が消えうせた。だが、一度口に出した手前もう後には引けない。


「スイーツは別腹だからいいんだよ」

「それ、お腹いっぱいの時にスイーツを食べる人のセリフじゃないかい?」


 なんだかんだと言ってくる花井美陽はさておき、注文するメニューは慎重に選ばなくてはならない。

 なんせ、お腹がいっぱいなのだから。


 結局、俺はポテトを頼み、花井美陽はパスタを注文した。

 

 互いに注文したものが届き、静かに食べていたのだが、流石に沈黙が耐え切れなくなったのか花井美陽がフォークを置き、口を開いた。


「ごめんね、気を遣わせたみたいで」

「気なんて遣ってねーよ。ポテトいる?」

「いらない。とにかく、私なら大丈夫だから心配しないでよ」

「おう、そうか。ポテトいる?」

「いらない」

「そうか」

「うん」

「ポテトいる?」

「いらない」

 

 行き場を無くしたポテトを仕方なく口に入れる。


「やっぱり気を遣ってたよね?」

「しつこいな。一体どこを見て俺が花井美陽に気を遣ったって言ってんだよ」

「君の目の前で一向に減らないポテトだよ」


 花井美陽が指さす先には三十分経ったにも関わらず全く減っていないポテトの山があった。


「ちげーよ、これはあれだ。冷ましてるんだよ」

「いや、もう冷え冷えだよね? なのに全然減ってないじゃないか」

「ちげーよ、ポテトは時間を置いた方が美味しくなるんだよ。二時間後のポテトは美味いって言うだろ?」

「ポテトはカレーとは違うんだ。揚げたてが一番美味しいに決まってるじゃないか」


 確かに。

 答えに困っていると、花井美陽は額に手をつきやれやれと言わんばかりにため息を漏らす。それから決意を固めた表情でゆっくりと口を開いた。


「陽翔、この関係を終わりにしないか?」


 花井美陽ははっきりとそう告げた。

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男女比1:9の学園でモテモテになる夢をイケメン女子に打ち砕かれた わだち @cbaseball7

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