タチバナキョウダイ
キョウダイという関係は、私にとって序列に過ぎない。
兄が上で、妹の私は下。
どんな時もその序列は覆らない。
「よー楓、元気してたか? お前が憎んで憎んでしゃあない兄ちゃんやで」
忘れるわけがない。
何度見ても癪に障るあの薄ら笑顔で、兄は立っていた。
突然私たち1-Aのクラスにやってきて、圧倒的な威圧感で場の空気を氷付かせて。
「何しに来たの。私とは関わらないんじゃなかったの」
兄は気味の悪い笑みを浮かべたまま、頭を二、三回掻いた。
機嫌が悪いときの癖だ。
「そりゃワイだってお前と関わりたくなんてなかったわ。でも今回は特別や、お前らには利用価値がある」
利用価値、はっきりと私に向かってそう言った。人に対して、利用価値があると、言い切った。
「どういうこと?」
毅然とした態度と冷ややかな口調で、突き放すように私は答える。
「維新姜也の件や」
「・・・どうして彼が」
維新姜也。伝説の首席維新鳳仙の弟。
私の・・・初恋の相手。殺してしまいたいほどに、好きな人。
彼は私のことなんて忘れてしまっているようだけど、それは仕方ない。私だって、あの頃とは変わってしまった。「殺し屋」の家系に、染まってしまったのだから。
でも、
――別にそんなの関係ねえよ。橘さんは橘さんだろ。だから、これからもよろしくな
あの日、鈴宮さんの家で、彼は私にそう言ってくれた。
私の非道な過去を知って、その上命を狙った私に、笑いかけてくれた。
あの瞬間、ぼんやりとしていた彼への好意が、一気に再燃しだしたのを感じた。
忘れていたあの頃の気持ちを思い出した。
「お前も同じ目的であいつに近づいたんやろ。何隠そうとしてんねんぼけ。黒赤軍のマント野郎がお前だってことは分かってんねん。あのだっさい体裁き、あいつにそっくりやもんなあ」
唇を強くかみしめる。
確かにそう。最初はそうだった。
黒赤軍の飛び道具として、彼を軍に招くのが私の使命だった。この男に復讐するために、私は黒赤軍の一員としてありとあらゆる悪行を尽くした。
軍の掲げる理想の先に、この男の敗北を見つけたから。
でも、今はもう違う。
「もう黒赤軍は辞めたわ。あげられる情報なんて何も持ってないけど」
私の言葉に、不吉そうな笑みを浮かべる兄。
この男はいつもそうだ。支配的で暴力的で恣意的で。
何かを虐げることでしか存在できない、哀しい兄だ。
「あ、そうなん、まあええわ――別に情報なんていらんねん。ワイが欲しいのは――」
みんな怯えてる・・・
クラスの皆に迷惑をかけるのだけはごめんだ、私はそう思っていた。入学してから黒赤軍の活動に追われる日々の中でもクラスの友達は私に優しい声をかけてくれた。
橘家で落ちこぼれ扱いされる私を一人の人間として扱ってくれた。それが何よりうれしかった。
だから、と。
私は忘れていたのかもしれない。
この男は、橘遼という男は、いつだって私の上に立っている。
私の考えることなんて見透かして、私にとって最悪の手段を平気でとる。そんな男だった。
「――お前ら全員人質や、ちょうど維新姜也も鈴宮財閥のお嬢ちゃんも出払ってるみたいやしなあ」
「ひ、人質ってそんな――」
「ごちゃごちゃうるさいねんボケ、あいつが来る前にお前だけ潰してやろうか?」
「――ッ」
歯向かおうにも、体が、足が動かない。
恐怖で体がすくむ。
絶望的なまでの威圧感。きっとクラスの皆も感じている。
どうしよう・・・これじゃみんなが・・・
「お前らもや、ボケッとしてないで立たんかいな。維新姜也が来たときにおったまげるように俺が一人ずつ殴ったろうかな・・・」
止めなきゃ、ここで、止めなきゃ。
復讐を誓ったこの男に、やり返さなきゃ。
言葉だけ、思いだけがあふれてくる。体はこれっぽちも動いてくれない。
「じゃあ手始めにそこの坊主から――」
坊主――館山くんが胸倉を掴まれる。気弱だけど、人一倍優しい彼から聞いたこともない恐怖の声が漏れていた。
「恨むなら、維新姜也を恨むんやなあ!!!」
拳を振りかざす。最悪な笑みで、そのまま勢いよく彼を――
「――まあ待ちなよ、お兄さん」
「――あ?」
目をつむっていた私に、聞きなれない声が聞こえてきた。
「あ、あなた・・・」
兄の拳を、誰かが止めていた。
見ず知らずの、――いや、あの人は確か・・・
維新くんと仲良さげに話していた他クラスの人・・・
「てめえ誰やねん。今ええとこやのに、それ止めるってどゆことかわかってる? 覚悟できてる?」
怒りを抑えきれないような苛立った口調の兄に、彼は諭すように続けた。
「ええそりゃもちろん。友達の友達は、俺にとって友達なんで」
「は、ええ度胸や、じゃあまずは――てめえからや」
兄は館山くんを突き飛ばして、彼へと真正面に向かい合った。
「鐘沢カイトです。よろしくお願いしますね、どこぞのお兄さん」
「名前なんてエエ、どうせお前は今日ここで会ったことを、覚えてられんからなァ」
静まり返った昼過ぎの教室に、
乾いた打撃音が響き渡った。
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