キョウダイの宿命
体育ですか、パスで
橘楓。彼女はその鮮やかな朱色の髪をスタイリッシュに靡かせながら駆ける。
バンバン、とボールが勢いよく弾み、体育館の地面はその度に歪んだ顔を見せる。反して彼女の顔は随分満足げだ。
「どうしたの鈴宮さん、もしかしてバスケは苦手?」
「はあ、はあ、うる・・・さい・・・わよ」
橘がリズミカルなドリブルを続けている間、対峙する鈴宮は肩で大きく息をしているようだった。
体育の時間、1on1のバスケットボール対決であった。
雄厳学園の授業は基本的に自由奔放なものである。生徒の主体性を重んじるという非常に使い勝手の良い放任主義な言葉によって授業内容はあってないようなもの。そうなると必然的に我々生徒は各々がめいめい好きなことをしだすという混沌とした授業になっていくわけである。
そういうわけで、男女別1on1バスケ対決。攻守交代制、3本先取のシンプルな戦い。
橘楓VS鈴宮凛の男子必見の神イベならぬ神勝負は女子トーナメントの中では準決勝にあたるようだ。
もちろん俺は1回戦から早々にリタイアして今に至る。
こういうときは楽をするのが一番だ。
「相手が悪かったわね鈴宮さん、全中で優勝し、最優秀選手にも選ばれた私に素人の貴方が叶うわけないよね」
「・・・ぐ、この――」
低い姿勢でボールを奪いにかかった鈴宮を、橘は華麗に避ける。
見事なまでに華麗に、可憐に、体をひらりと逸らして完璧に避ける。
なるほど、全中優勝とやらの称号は伊達ではないらしい。
彼女の自信ありげな顔には先日の仕返し分も存分に含まれているようだった。
「じゃ、そろそろ終わりにしましょうか」
「・・・馬鹿言って――」
瞬間――
橘の体が何重にも分散して見えた。
鈴宮の前を優雅に舞う橘。
鈴宮を抜き去った橘。
ゴールに既に手をかけている橘。
そして――
右手を掲げ、勝利を誇る橘の姿。
あまりに一瞬の出来事過ぎて、そのすべてが同一の瞬間に存在していたかに見えた。
「はいこれで私の勝ち。ざーんねん」
鈴宮はガクリと膝を地につける。
3-0
鈴宮の完敗だった。鈴宮の攻めは悉く看破され、橘の攻めは怒涛と優雅を兼ね備えた圧倒的な破壊力の前になすすべもなく。わずか3ゲームでありながら鈴宮がこれ以上ないほどに疲弊し、対する橘がぴんぴんしている様子を見るにあまりに圧倒的な力の差だったのだろう。
俺は体育館の端っこで一人壁に寄りかかりながらそんな二人の熱闘を見ていた。勿論他の男子生徒たちもこぞって二人の姿を追っている。
「すげー、鈴宮さんがあんなにあっさりと・・・」
「鈴宮さん、この試合の前まで無茶苦茶余裕だったのに、まじかよ・・・」
感嘆する男子たち。おい、いつからここはスポーツ漫画の様相を呈するようになったんだ。
「でもさ・・・やっぱさ・・・」
「・・・だよな・・・」
なぜか突然前かがみになりながらコソコソと話し出す。
なんだ、急に怪しいな男子諸君。
俺はこっそりと彼らの輪に近づいてみた。幸い彼らは二人の美女に夢中で俺の接近には気づいていないようだった。
どれどれ、一体何を話して――
「あの脇が見えそうなノースリーブ・・・エロいな」
「ああ、キラリと舞う汗の一滴までなめまわしたいもんだぜ」
「馬鹿野郎お前、床掃除は俺の特権だぞ。今日の為に舌磨いてきたんだから」
「そ、そんなひどいでありますよ! 小生にも足の裏を舐め回す権利がほしいでござる」
「・・・・・・・・・・・・・・」
聞かなかったことにしよう。
「おまえ脇とか性癖尖りすぎだろ、男は黙って汗だぜ」
「汗フェチも大概だろうが」
「なんだまだそんな次元に居るのかお前ら。俺のように自分磨きを忘れるなよな。床を舐めるために磨き上げた俺の舌を見習え」
「しょ、小生のような未熟者でも膝裏から足の裏まで堪能する権利はあるでござるか!?」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
なにも、聞いていません。神様。
なんだか、俺らのクラスに「維新姜也を退学させ隊」などというぶっ飛んだ集団が出来ていたのも不思議なことではない気がしてきた。
なるべくしてなったというか。もうすでに終わっているというか・・・
そーっと。
俺は後ろ歩きのまま、何事もなかったかのように元居た位置に戻ろうとした。
――が、
「――おっと」
何か柔らかい感触が背に触れる。つい、声が出てしまった。
「あ、悪い悪いつい――」
「いいよ、キョウヤくん」
「お、おう」
男子・・・? だよな?
俺がぶつかってしまったのは、男用の体操服を着た生徒だった。上着だけ少しゆとりのある長袖体操着を着ていて、その整った中性的な美しい顔立ちに、一瞬戸惑ってしまった。
「こっちおいでよ、一緒に見よ?」
萌え袖のまま俺は服の裾を引っ張られる。
「お、おろろ?」
華奢な体躯で体育座りをする彼(?)の横に、俺は座った。
なんだろう、無駄にドキドキしちゃう。
「あ、ごめん名乗ってなかったね、僕は柚木恋、よろしくね」
「あ、お、おう、よろしく、俺は維新・・・――ってさっき俺のこと名前で呼んでた・・・?」
「も、もしかして馴れ馴れしすぎたかな・・・? だめ?」
言って、にこりと笑う。
胸が鷲掴みにされる、なんて暴力的な表現は似合わない。
戦場に割く一輪の華とでもいうべきか、その儚さに美しさに、俺は心で涙する。
あれ、俺今、まともに学生生活送れてる、かも??
「い、いや全然! よろしく恋く――ぶぼべっ!」
謎の物体が俺の頭を直撃ッ!!!!!!!!!!
「なーにいちゃこらしてるのよ維新くん! 私から目をそらさないで・・・ってあれ? 維新くん大丈夫?? おーい、維新くーん」
まーた鈴宮の声が聞こえる・・・
遠ざかっていく世界の音声に、それでも俺は一輪の華を見た。
「だ、だいじょうぶ・・・?キョウヤくん・・・」
淡い空色の髪。童顔通り越して天使のようなその顔立ち。
天使の迎えが来たのかと本気でそう思ったのだった。
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