第四話 拳

「維新く――」


 鈴宮の叫ぶような声が聞こえる。俺の眼前に広がる大きな握りこぶし。


 なんだよ、今日2回目だっつうの。


 そんなことをぼんやりと思いながら、俺に殴りかかってきた人物を凝視する。

 先ほどまで俺の背後に居たはずで、距離もそれなりに離れていたはずなのに、こいつはもう俺の目の前に立っていて、右ストレートのインパクト直前まで事を進めている。舐めてかかるべきではなさそうだ。甘んじてパンチなど喰らってみろ、鼻血じゃすまないぞ。


 俺は冷静に事態を把握する。傍から見ても、主観で見ても絶体絶命であることに変わりはないのだが、常に冷静沈着が俺のモットー。


 そうして、必勝の策を探る。


「よっ」

「――ッ!」


 まずは、回避。最も効率の良い回避方法である「屈伸」で顔に迫る右ストレートをすんでのところで避ける。頭上で風を切る拳にヒヤリとした。

 ここはひとまず「話せばわかる作戦」で――


「てめッ、避けてんじゃねえッ!」

「ぐ」

 

 俺の平和的な作戦は、激高する男のハイキックによって搔き消される。今度はさすがに避けきれない。両手で頭を守るようにガードする。

 男は俺のガードを見てから、1歩後ずさった。それを見て、俺も立ち上がる。


 つうかこいつ、俺の顔狙いすぎだろ。容赦ねえな。

 

 次の動きを予測しつつ、俺は隣に居る鈴宮に目をやる。突然の出来事に驚愕し、顔に恐怖を滲ませているようだった。幸い、この男のターゲットは、「本日のおススメメニュー」に沿って俺なので、彼女を守って戦う必要はなさそうだ。まあ、自分の身さえ守り切れるか怪しいが。


「鈴宮、危ねえから下がってて」

「へ、あ、うん、わ、わかった」


 あまりに驚きすぎて呆けるような返事をする鈴宮。こいつ、やっぱこういうとこはフツーというか、善良な市民ぽいんだが、如何せん朝の一件があるからなあ・・・


 まてよ、よく考えたらなんで俺は鈴宮にキスされたのか分かってねえじゃねえか!


「たかだか二発凌いだくらいで、調子に乗ってんじゃねえッ!!」


 さらに激昂する男がグッと距離を縮めてくる。体躯は俺よりやや大きいが、はっきり言って、


 ――ほどの凄みはどこにもなかった。 


 つまり、――俺の目で追えないほどの攻撃ではない。


「おらぁっ!!」


 男は右腕をラリアットよろしくぶん回す。直線でなく、全方位カバーの横軸攻撃。たとえ俺がしゃがんで避けようと、腕の反復運動で仕留める腹つもりだろうか。だとすると、一直線の脳筋野郎でもないらしい。呼びかけを無視して、ちょっと待たないくらいで殴り掛かってくる単細胞野郎ではあるらしいが。


「なあ、知ってるか――遠心力っていうんだけどさ」


 言いながら、俺は男との距離をステップで縮める。ラリアットが俺に直撃するよりも迅速に、近く、近く、近く――


「お、おいおまっ――」

「はい、ゼロ距離」


 俺は男に密着する。

 これでもかと密着して、ラリアットの威力を最小限に抑えて受ける。ボフンと少し体を揺らす程度の衝撃。

 そして――


「――これがお返し・・・だッ!!!」


 精一杯の拳撃を腹部に叩きこむ。

 どごっ、っと鈍い音が響いた。感触は、分厚い筋肉の壁に阻まれているような鈍いものだったが、案外鈍い音ほど、痛いものである。


 俺は再度男と距離を取った。男の動きは明らかに鈍った。


「っ、てんめ・・・」


「落ち着いたかよ暴漢野郎・・・」


「ぐっ・・・暴漢は・・・どっちだ維新姜也・・・」


 痛みに悶える男は、ようやく俺の会話に応じるつもりになったようだった。しかし、俺を暴漢呼ばわりとはいただけない。


「どこをどう見たら俺が暴漢野郎にみえる――」


 ・・・あー・・・そういや・・・

 合点がいってしまう俺が悲しい。そうだよね、その制服、雄厳学園のだもんね。


 振り返って、なおも怯える彼女を見る。いかにも暴漢に出会ったと言わんばかりの顔だ。


 鈴宮凛、アンタの影響力スゴイぜ・・・


「鈴宮嬢に・・・指一本も触れさせねえ!」


「まてまてまて、いいか、誤解してるようだから言っとくけど、俺とあいつはなんでもないから! 何もしてないし、今後もしないから! 安心してくれ!」

 

「う、嘘をつけ! 聞いたぞ、鈴宮嬢は維新姜也に弱みと胸を握られ、その楽園を汚されそうになっていると!」


「随分行き過ぎた妄想の上に、そいつも結構危うい思考じゃねえか!」


 さりげなく鈴宮のことを鈴宮嬢って言ってるのもアウトだろ。もうそういう呼称にしか聞こえねえよ。


「とにかくだ、我々『維新姜也を退学させ隊』の総意として、お前のような悪の権化に、鈴宮嬢を渡すわけにはいかんのだ!!」


 アイドルグループみたいなノリでエグイ集団作るんじゃねえよ。頼むから全国の教育関係者に総出で殴られてくれ。


「あのなあ、マジで何度でも言ってやるけど、俺と鈴宮はそういう関係じゃねえから」


「そういう関係じゃない・・・だと?」


「あーそうだ。なあ鈴宮」


 振り返って、唯一無二の証言者に協力を仰ぐ。


「え、ええそうよ、維新君は暴漢ではないわ。彼は、


 彼は、――私の彼氏候補よ」


「あーそうそう、俺は鈴宮の彼氏こう――ん?」


 あれ、なんかおかしいな。ここは友達、とか他人とかそういうだと思ったんだが・・・今俺なんて言った?


「か、かかかかかかかか彼氏だとおおおおおお!? 維新姜也きさまああああああああああああああああああああああああああああああああああ。これは隊長に相談だあああああああああああああああああああああああ。覚えてろよおおおおおおおおお」


 泣きわめくような叫びと共に、男は俺たちを置いて走り出した。最初に現れた時のようにすさまじいスピードで走る彼の後ろ姿は、一瞬にして消えていった。


「い、一体何なのよあいつ・・・言葉の通じない獣って感じだったわね・・・」


「・・・・・・いや、言葉は通じてたと思うんだけど・・・鈴宮さん?」


「なによ」


 まだ顔に恐怖の色は残しつつ、いつもの不遜な表情に戻りつつある鈴宮に、俺は問う。


「俺が鈴宮の彼氏候補・・・?」


 鈴宮の顔が一気に紅潮する


「あ、言っちゃったんだ、私・・・維新くんに・・・」


 口元に手を当てて、あ、みたいなお決まりの顔をしている。


「えーと、すまん鈴宮・・・悪いんだが・・・」


 ボフンッ、と鈴宮の顔がマックスの照れSEを発したところで、


「わ、わわわああわあわっわあわわっわたしっ! 帰らなきゃ!! ごめんね維新くんまた明日!!!! あ、愛してるよはーと!!!!」


 なけなしの投げキッスを作りながらも、言い切る前に彼女は勢いよく駆け出して行ってしまった。しかもこれまで歩いてきた道と反対方向に。


 つうか、あまりにも焦りすぎて♡がうまく変換できてないじゃん・・・キャラのギャップがすごいぞお前・・・


「・・・もう、なんなんだよ、ホントに・・・」


 並木道の帰り道に、一人ぽつんと佇む俺氏。

 もう訳が分からないし、なんか色々ありすぎて考えるのが面倒になってきた。


 とりあえず帰ろう。帰ってシャワーを浴びて落ち着けば、この色んな問題への対処法が思いつくだろう。


 俺はあらゆる思考を取りやめて、ひとまず家に帰ることにした。


 

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