修羅場セカンドタイム

 もうどれほどの時間歩き続けているだろう。いや、実際はまだ10分そこらしか歩いていないのだろうけど、体感時間としては1,2時間、下手すれば3時間くらいずっと歩き続けているような感覚である。


「・・・・・・・・」

「・・・・・・・・」


 俺も、前を歩く橘さんも無言。無言。無言。

 橘さんの後ろを一定の間隔を保ったまま歩き続ける。時折橘さんがこちらをチラリと振り返るときがある。少しでも遅れたら殺されるのだろうか。俺はその度に歩行速度を上げた。


「・・・・・・・・」

「・・・・・・・・」


 無言。終始、中途、無言。

 いつもの通学路を歩いているはずなのに、目に入る景色は灰色模様である。


 本当に俺はどうなっちゃうんだろうか・・・憂鬱である。


「・・・・・・・・・・・」

「・・・・・・・・・・・」


 橘さんのローファーがコツコツと軽快な音を立てる。俺の重く垂れる心とは裏腹に、その音は随分小気味よいものだ。


 ・・・まるで、今にもスキップでも始めてしまいそうな、軽快な足取り・・・


 そして、足音が突如としてやんだ。

 静寂が破られる。


「維新くん」

「・・・はい」


 最近委縮して「はい」しか言えないロボットみたいになっている自分が情けない。


「・・・見たんだよね? 私の・・・」

「見た・・・見ました」


 言い直した。俺は、橘さんの黒赤のマントを見てしまった。彼女が黒赤軍の団員である唯一にして最大の証拠品を、俺は見てしまったのだ。

 やはり、俺が色々勘ぐっていることはお見通しだったのか・・・


「そっか・・・じゃあ、仕方ないよね」

「・・・仕方ない?」


 なに? 俺が死んでも仕方ない的なクレイジーな発想か?

 俺は少し身構える。たとえどれだけの強者であろうと、みすみすやられてやるつもりはない、最後まで戦ってやる。そう思い、橘さんの方を見遣った。


 ・・・が、あれ?


「見ちゃったものは・・・仕方ないもんね、責任とってもらうしかないよね・・・。でも、正直に言ってくれた維新くんには、サービスっ・・・はい、もっと見ていいよ」


「――――――――――ぁ」


 思わず声が漏れる。


 俺の視界に映るのは、黒赤。


 黒赤の――――――――


 パンティーであった。


 随分と大人っぽい魅力を纏うその下着を、橘さんは自らのスカートをたくし上げ、恥じ入りながら見せていた。俺に魅せていた。

 

――図書室に突然入ってきた彼女のこの下着は、確かに一度俺の目に映っていたが。


 まさか、こっちの黒赤のことだとは思うまいよ。


「は、恥ずかしいけど、こんなことするの、維新くんだけだからねっ」


「ぶはっ!!!!!!!!!」


 俺はあまりの過激さに耐えられず鼻血を吹き出してしまった。頭が大きく後方へ吹き飛ぶ。


 黒赤のパンティー、俺には刺激が強すぎる・・・! しかも、油断したところに強烈パンチのガーターベルトッ!!! なんだ、なんでこの女性はここまでいやらしい格好をしているんだっ!!!!


 黒赤のパンティーとガーターベルトの間を埋める、彼女自身の透き通る肌。鍛えられた筋肉と共存する肉付きのよい腿。


 過激だ、過激すぎる。R22くらいだ。


「へ、変かな・・・これでも私、鍛えてるんだけど」


 変とかではない。変態である。


「維新くんなら、この先も・・・もっと他の深いところも、見せられるよ・・・?」


「い。いや橘さん、その――刺激が―――」


 言いながら、彼女は自らの胸に手を当てる。あれ? ここ公道だよね? スタジオじゃないよね? 


「私の身も心もぜーんぶ、維新くんのものだよ」


 だから――


 だから――


 彼女は俺の耳元で、悪魔のように妖艶に囁く。


「ここで、死んで♡」


「――!?」


 魅了され、完全に体勢を崩していた俺はその言葉に震え上がる。背筋に走る悪寒と恐怖よりも先に体が反応する。


「私のために死んで維新くん。ねえ、お願い、お願い。なんでも魅せてあげるから、なんでもさせてあげるから、身も心もあなたに捧げるから。全部全部維新くんのために用意した御心。だから――私の為に死んで♡」

「はあっ!? 何言って――っておわっ」


 俺の背に腕を回す橘。そのまま、俺は抱きしめられる。


「好き、好き、維新くんが好き。でも、見られちゃったもんね。もう、どうしようもないよね。こうするしか、――ないよね」


「え、えーと、橘さん、その、俺が見たのは橘さんの下着で偶然だったわけで、ラッキースケベでしかないのですが?」


 おかしい、パンティー見たくらいで死刑になってたまるか! と俺は必死に反論してみようとした。


 しかし、俺の反論はこの女の前では通用しない。

 結局、俺はこいつの掌で遊ばされていただけなのだ。


「なにいってるの。見たんでしょ、"私のマント"。だから――殺すの」


「・・・な、なんのことやら」


 必死にしらをきる。よく考えれば俺が鐘沢からUSBデータを貰って「黒赤軍」の情報を得ていること自体、橘さんは知らないはずである。だというのになぜ、――なぜここまで殺気を放てるのか、この女。


「いったよね、維新君にずっと恋焦がれてたって。だから見落とすわけないじゃない。妙な奴から"私たち"の情報を得ていることも、情報を得るためにコソコソかぎまわってるのも、ぜーんぶ知ってるよ。私は、維新君のことが好きだから」


「人への好意の伝え方一回学びなおしてきてくれないか・・・」


 その伝え方はもはや好意ではない。


「ほんとはね、すぐに殺そうと思ったの。でも好きだから出来なかった。何も見れない出来ない知らないまま維新君を死なせるなんて、できっこなかった。私の最愛の人である維新君には私の全てを見て知って触ってから死んでほしい。そう思って今日この瞬間まで待ってたの。どう? 私のパンティーも見れて、胸も触れて、もう死んでもいいでしょ?」


 俺の手は無理やり橘の柔らかな胸に押し付けられる。正直感触など楽しめるわけもない異常な状況だが。


「――っ、案外力強いんだな、あんた」


 俺に抱き着く腕を振りほどこうにも、胸から手を放そうにも、橘に押さえつけられてどうにもならない。別に胸から手を放したくないわけじゃないぞ。


「鍛えてるんだってば。・・・あのね、私には果たさなきゃいけない目的があるの。だから残念だけど、維新くんのような"力ある人"には、消えてもらわなきゃいけない。他の勢力の奴らに盗られてしまう前に・・・特にあの泥棒猫にだけは」


「泥棒猫・・・?」


 まあ勿論、浮かぶのは鈴宮の顔。


「あなたが私のものになってくれれば、それですべてはうまくいったのに・・・残念。本当に残念・・・最愛の人を殺さなきゃいけないなんて」


「最愛の人って言われても――って・・・ガッ!!!」


 急に、腹部に激痛が走る。傷跡が痛むのではない。


 これは――


「かわいいかわいい私に抱かれて死ねるなら、本望でしょう? さあ、死んじゃえ、死んじゃえ、逝っちゃえ!!! 私の中で逝っちゃえ!!!!!!」


 狂気に満ちた橘の声が響く。

 言葉にできないほどの苦しさ。

 橘の両腕が俺の腹部を抱き、そのまま――締め上げられる。


 人の力、いやよもや女性の力とは思えないほどの怪力。

 骨も一緒に粉砕されそうなほど、強烈な締め技。


 このままでは、本当に死んでしまう。

 

「―――――っ」


 苦しさと痛みのあまり声が出ない。


 俺は、ここで、死ぬのか。

 

 赤髪の美少女の腕の中で死ねるなら、後悔はない。


 ――なわけあるか。後悔しかねえ。


「――っけんな」


「ん~? なに維新くん、逝っちゃいそう? 命乞い? だめだよ、早く死ななきゃ」


 締まる力が一層強まった。俺の死は近い。が、――


「――っざけんな」


 だが、俺は、こんなところで死ぬわけにはいかないのだ。

 大体、どいつもこいつも――


 あ、これほんとにやべ・・・


 意識が飛びそうになった次の瞬間――


「きゃあっ!」

「――かはっ!」


 橘の悲鳴と共に、俺は拘束から解き放たれた。

 何者かによる、攻撃。


「――あのねえ、ほんとにこの学園に通ってる人たちはモラルがなさすぎるのよ。そんな簡単に人が死ぬわけないじゃない。しかも維新くんが死ぬとか、――ありえなくない? 私の彼氏候補なんだけど、その人」


 俺を救ったのは、どうしようもなくうざったいあいつだった。

 凛とした立ち姿で、不遜な笑みで、立っていた。


「橘楓、言ったわよね。維新君のプライベートには私が立ち会うって。これもその一環だから。――覚悟しなさい」


 俺はなおも痛む腹部を抑えながら立ちはだかる鈴宮を見遣った。燃え上がる紫色の波動を鈴宮の背から感じる。見たことのない禍々しいオーラ。


「来たわね泥棒猫・・・私と維新君の愛の行為を邪魔しないで・・・」


 橘も負けず劣らずの気迫で鈴宮に向かって歩き出す。


 勉強会の時と変わらないメンツのはずなのに、あまりにも状況が違いすぎる。


「・・・おっかねえ・・・なんだよこれ・・・」


 痛みはある、が頭はまだ冴えている。

 真の修羅場が幕を開けようとしていた。




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