覚醒

「なあ、見えるか? 維新姜也。これがお前の限界や、天井や。諦めるんやな」


「――――――――」


「いやなに、アンタは十分やったわ。血統優良児の想像を超える努力をひしひしと感じたわ。ワイもここまで押されるとは思ってなかったで。だから、まあ、――もう眠れや」


「―――――――――――――――」


 かすかに残った指先の感覚を頼る。

 頭上で聞こえる橘遼の声。


 俺は、今、どこに立っている。


「猛がアンタに目を付けた理由が分かった気ぃするわ。ワイの初撃を避けて、お得意の限定解除――までは良かったんやけどなあ。人間、高望みはあかんってことや」


 薄れる意識で思い返す。


 橘遼の繰り出してきた高速の撃拳を避け、俺は限定解除を発動した、はずだ。

 錬成した剣で橘遼に迫った、はずだ。


 なのに、なのになぜ――

 

 俺は全身を地につけて、動けないでいるんだ。


「いくらなんでも無理やろ、そりゃあ。限定解除と全解除じゃあ、天と地、いや宇宙と地べたくらいの差があるんやで。それが分からんアタマでもないやろう。さっきのお友達もそうやけど、戦う相手を間違えてるで」


「―――――――――ッ」


 声が出せないほどに、体がへたりきっている。奴の全解除――一瞬すぎてその形状すら見えなかった。

 その光は、俺の体を包んで、そして、俺の全身から全てを奪った。

 体力も、気力も、能力も。


「ワイの能力はなァ、相手の能力を引き出してからじゃないと意味がないんや。全部引き出して、万全の相手から『全てを奪う』。希望が絶望に変わる瞬間が堪らんねんな・・・」

 

 立ち上がれないのは、そういうことか。

 受動的に、合点する。

 俺は、こいつに負けたのだ。為す術もなく。


「さて、そろそろ退散せんと猛に怒られてまうなあ。お暇しよかあ。ボコしたいやつはボコせたことやし」


 奴が歩くたびに視界が歪む。全身が床と密着しているせいで、その歪みは大きなものだった。


 俺は、負けた。

 また、負けた。

 あの時と同じように、圧倒的に、完全に、絶対的に――


 心の火が冷えていくのを感じる。

 そびえたつ強大すぎる壁に、俺は足がすくんでしまったのだろう。

 策など、知略など、無謀でしかない。

 

 あの日も、俺はこうして絶望に打ちひしがれたんだっけか――


 どうにもならない過去をたどる。


 ――姜也!


 姉貴の声。泣きさけぶ、姉貴の声が――


「――維新君!!」


 朧げな視界の端から、あいつの声がした。


「――なに倒れてるのよ維新君! 勝つんじゃなかったの!? 貰うんじゃなかったの!?」


 貰う・・・? なんのことだ・・・


「こんなとこで負けて諦めるなんて、私許さないんだからねっ! 私の初めて、もらってくれるんでしょ!?」


 初めて・・・・・・・・・・・・・・・・か。


「おいおい鈴宮の嬢ちゃん、無駄やで、辞めんさいな。そいつはもう戦意を失ったただの屍や。二度と俺と戦うことなんて出来ひん。――俺が全てを奪ったんやから」


 奪った。


 そう、奪われた。


 俺の限定解除――無から有を生み出す錬成術――は、橘遼の全解除の前に消え失せた。

 俺の戦意は、ことごとく砕かれ、跡形もなく消え去った。

 俺の気力は、絶望に飲まれ、消散した。


「――黙ってくれるかしら。私は貴方のような卑怯者ではなく、維新君に話しかけているの。ねえ維新君、諦めないでよ!」


 だが、凛然とした口調の鈴宮の声が、妙に心に響く。


「――生意気な奴やなホンマ・・・全解除後はちと気分悪いんや・・・あんたもあいつと同じようにボコしたろか」


「――ったく横からうるさいわねえ、やってみなさいよ、カス」


 だが、まだ残っているのものが、確かにある。

 この胸に、火をくべる特別な薪が残っている。


 俺が目を逸らし続けてきた、明確な火種が、ここにある。


 そこに、居る。


「調子乗ってんちゃうぞこのあま―――――――――ッ!?」


 みなぎる力が、閃光となって心よりも先に動き出す。


「待てよ」

 

 気付けば、鈴宮と橘遼の間に俺は居た。

 橘遼の握り拳を、諫めるように手で押さえる。

 あれほど重かった体が、なぜか今は風のように軽い。


「・・・は?・・・なんやお前・・・その姿・・・いや、なんで立ってられんねん・・・なんで俺の攻撃を受け止めてんねん・・・お前の全ては奪ったはずやぞ!」


「てめえごときが触れていい女じゃねんだよ。悪いがこいつは、俺の女だ」

「維新く――」

「――チッ、どういう小細工使ったんか知らんが、立ちはだかるならもう一回奪って」


 おせえよ、と言ってやろうかとも思った。

 それくらいに、橘遼の動きはのろく見えていた。

 ゆっくりとした、撃拳の構え。


 やけに、鮮明に、克明に、はっきりと見えやがる。


「全解除――


「――はっ・・・?」


 俺がしたのは――見て、止める、それだけ。

 橘遼の体を直視して、止まれと願うだけ。


 それだけで強大だった壁は、ただの案山子になった。


「信じられへん・・・なんやこれ・・・何がどうなってるんや!」


 橘遼の顔が青ざめていく。動かない体に、驚愕しているのだろう。

 勿論俺も、俺自身に驚いている。


 だが、この力は間違いなくあれだ。


「――これが、恋の力ってやつだ」


 俺の後ろで小さな爆発のような効果音が聞こえた気がするが、敢えて見ないことにした。

 恋心を自覚した高校生の俺には、まだ早すぎるステップだと思ったのだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る