対峙

「ずいぶん遅れた登場やないか、維新姜也。あんたのお友達もこないボロボロになって、クラスのみーんな怯えてはるで」


 橘遼は猫のような横切れ目で不吉に笑っていた。


「・・・ああ、そうだな、皆ごめん。後は、俺がなんとかする」


 ぴりつく空気の中、俺の心は融解しそうなくらいに燃え盛っていた。

 青ざめた表情の橘楓をはじめとするクラスメイト達、ボロボロになって横たわる鐘沢。


 ふつふつと湧き上がってくるそれを、俺は認めざるを得ない。


 ――怒り。


 おそらく俺が感じ得る感情の中で最も愚かな感情。


 憤怒とでもいうべき情動。

 冷静沈着、策を以て戦を制すがモットーの俺に、あってはならないその感情が、今は俺を――


「橘遼、てめえは今この場で――ぶっ潰す」


 燃え滾らせる薪となるだろう。


「くく、楽しみやなあ・・・さあ、来いよ。維新姜也ッ!」



*********************



「大丈夫かな・・・キョウヤくん・・・相手は3年のあの人・・・なんだよね」


「柚木さん・・・心配する気持ちはわかるわ。でも彼を信じるしかない。彼ならきっと大丈夫よ」


 柚木恋と鈴宮は校舎を駆け回っていた。

 行く先は――


「彩音先生!」


「おー、鈴宮と柚木さん。これは珍しい百合カップルと来たか。なんだい結婚報告か何かかな? 先生も混ぜてくれるのかい?」


 教務室でいつものように競馬新聞を読んでいる彩音先生こと――冴羽彩音。

 彼女はいつもと同じくタイトなカジュアルスーツに身を包み、両手を淑女用手袋で覆っていた。


「ち、違います! ふざけてる場合じゃないんです!」


「ふざけてる場合じゃない・・・? な、なんだまるで私が常日頃から男女問わず性的な関係を狙っているみたいな言いぐさじゃないか! 間違ってないけど!」


「そこは間違っててくださいよ! というか人として道を間違えてますよ先生!」


「ふっ、なかなかキレのあるツッコミだね鈴宮。維新姜也に仕込まれたのかな? ツッコミもツッコまれも」


「ゲスすぎて助けを乞いに来たのがあほらしくなってきましたよ・・・」


 呆れる鈴宮と状況が呑み込めない柚木。

 こほん、と先生は咳ばらいをしてから真剣な顔になった。


「いやすまないすまない。ついつい教師の性が出てしまったよ。あ、セイじゃなくてサガだからね?――とまあ冗談は置いておいて、なにがあったんだい。そんな慌てて」


 鈴宮は彼の言葉を思い出していた。鐘沢カイトの幻影ホロによる伝達事項――「橘遼が1-Aに襲来した」


 彼は即座にベッドから飛び上がり、教室の方へ駆け出した。

 追いかけようとする鈴宮と柚木に指示を出して。


 ――彩音先生を呼んできてくれ。俺は先に教室へ向かう。それと先生には――


「維新君が、先生を呼んでます。教室に来てくださいって」


「ん? あいつが私を呼ぶなんて珍しいな・・・普段私から雑用を押し付けるのが常なんだが・・・」


「権力の濫用すさまじいですね・・・」


「まあ色々あるんだよ。でも何か要件があるのか? わざわざあいつが私を呼ぶなんてそれなりの用事があるんだろう?」


「それは――」


 ――先生には、橘遼が来ているってことは伏せておいてくれ。代わりに――


「――彩音先生に求婚したい人が居るとか――ってえ?」

「―――――――――」


 それは、もはや音ですらなかった。光でもなかった。

 およそ五感の全てで体感することが出来ないほどの異常な「速さ」

 過ぎ去った何かが起こした衝撃波にも似た風が、二人の髪をさらりと揺らす。


「あ・・・あれ、鈴宮さん・・・彩音先生は・・・どこへ・・・さっきまでそこにいたよね・・・?」


 愕然とする柚木が口を開く。


「・・・え、ええ、確かにさっきまでここに居て、私と会話を・・・」


 跡形もなくいなくなってしまった彩音先生の机を呆然と見つめる二人。


「大丈夫かな・・・キョウヤくん・・・」


「色んな意味で・・・心配ね」


 昼過ぎの教務室は、コーヒーの香りが漂うまったりとした時間が流れていた。

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