ハル・シオンと炎の街 ‐6
*
かがり火がいつもよりうんと多かった。塩だけで味付けされた粥を立ったまま飲み干して、テントから出る。
ホウキを片手に、十数名の人が思い思いのかっこうでくつろいでいた。わたしがテントから出てきたのを見て、低く交わされていた声が静まる。
「今日はお疲れ様でした。残念なことに発見には至ってないのだけど、あと七日間あります。長丁場にならないように祈ってて」
この瞬間がいつだってどうしても緊張した。捜索隊に選ばれるような人というのは、旅に慣れていて、魔法も上手で、わたしよりよくできた人ばかりだ。その人たちの前に立って指示をするのは、本当なら伯父や母に任せたいようなことだった。
過緊張で体温を失いかけてる唇をそっと舌先でなぞる。嫌でも、やらねばならない。ハル・シオンを、旅団の総領娘を名乗るならば。
「交代表は作ったので、確認してちょうだい。不都合があるならわたしに。とにかく探す範囲を広げようと思うわ。だいぶ強行軍になると思う」
「ハル・シオン」
暗がりから、低く掠れた女性の声があがる。
「捜索範囲を広げるってのはどういう了見で言ってるんだい。小さな子供だろう? そんなに遠くに行くとも思えないけど」
「捜索対象の双子の妹が遠くに行ってしまったと言ってる」
「遠くというのが、どこなのか、どういう意味なのかは分からないけど、唯一の目撃者で血縁である彼女の言葉しか今は手がかりがないわ。物理的なものは最初に潰しておいた方がいいと思って」
「そうさね。捜索範囲と時間が足りなかったってのが一番愚かな失敗だ」
篝火に照らされた瞳がニっと笑った。ひとつひとつ階段を上がるように、質問が飛ばされる。
「必ず毎日ここに戻ってくるように時間が決められているけど、泊まりがけで出てもいいんじゃないかい」
「これは二日間だけ。見つからなかったらみんな野宿してもらうので、準備はしておいてちょうだい。こんな大きな山火事の処置にあたった後だから、体力の消耗はギリギリまで抑えて」
「そもそも、ティトラ・レットをさらったなんて、なにか心当たりは」
「なにもない。……ないと、思う。レトは、べつに、悪い子ではなかった、し、普通の子だと、思う。わたしは、だけど」
自分のことを話そうとすると、途端に言葉が途切れ途切れになるのは、本当に悪い癖だと思って舌打ちが出そうだった。そんなお行儀の悪いこと、みんなの前では決してしないけど。
「テトも、知らないなら、本当に知らないんだと思う。あの子たちはいつもぴったり一緒にいるから。あとで確認します」
「はやめに確認した方がいいね。まあティトラ・テットは寝てるんだっけ? 七歳だし、仕方のないことかもしれないけど」
お優しいお姉さんね、とやんわり釘を刺される。俯きかける目線をどうにかそのままに留めて軽く笑う。
旅団では、早熟であることが求められる。七歳の子どもは、もう手術をしている傍らで勉強していることが当たり前だし、本当に簡単な処置なら行うことが出来るようになっている。
テトも、レトも、それはしていない。少し特殊な生まれをしているせいでもあるし、わたしが必要だと主張していないせいでもある。
「……そろそろ起きるはずだから、すぐに分かるわ。どちらにせよ、あの子は魔法のひとつも使えないのだし、捜索の手伝いはできない」
「まさか。七歳の子どもを捜索隊に入れる訳にはいかない。それにしても、山が厄介だな。崖と洞窟が多い。これは探すのに苦労する」
話しをそらされた、と分かっているのに、それに乗るしかないのが悔しかった。
「ええ、そうなの。ここに一番人手を割いたらいいと思うんだけど、どう思う? どうしたら効率よく探せるかしら」
ぬっとクマのような体格の老人が身を乗り出して、わたしが広げた地図を覗き込む。
「……もっと詳しい地図はないのか」
「ないわ。あった方がいい?」
「もちろんだ。本来なら今すぐ見つけに行った方がいいだろうが……」
白髪混じりの太い眉がぐっと険しくなる。地図、というのは地形がころころ変わるこの世界ではあまり頼りにされないので、簡単に手に入るものではない。
この簡単な山の地図だって、さっき夕食の時に手に入ったばかりなのだ。洞窟を示す丸と、崖と隘路を示すくっきりと太い線に形成される地図だった。
「洞窟が多すぎる。これで山が崩れていないのはおかしい」
「……そう、ね」
「これは、なんらかの意思があって洞窟まみれになっている。鉱山なら分からないでもないが、そんな話しではないんだろう。ならば、神か化け物か妖精か」
指先が冷たくなる。そういう可能性も、あるのだ。人でないなにかに連れ去られてしまったら、無事に帰ってくる可能性はうんと低くなる。
気まぐれに恵みを与え、微笑みながら命をさらっていく。人外に、よくあることではある。そして彼らは、たいてい子どもが本当に大好きなものだった。
「……大人数で一度に入るべきではない、とだけ儂は言わせてもらうよ、ハル・シオン。万が一ここになにかしらの意志を持ってティトラ・テットが連れ去られてしまったとしたら、山に入るだけでなにかしらの逆鱗に触れてしまう可能性が高い。一人か二人で入る方がいい」
「ええ」
「儂だけ、という訳にもいくまい。もはやこの老体では」
そんなこと言わないで、と喉元までせり上がってきた言葉を飲み込む。感情は不必要な場だった。代わりに、ほんの一瞬考えてから、口を開く。
「……わたしが、行く」
「……」
「分かってる。わたしはここから離れたらいけない……けど、行かなきゃいけない。わたしが」
語気を強める。魔女の言葉をとして、音を発する。託宣でもあり、祈りでもある、世界の理に触れることの出来る魔女のことば。
口が勝手に動くような錯覚。魔女の言葉は、いつもそうだ。わたしの内からするすると出ていく。
「わたしは行くわ。止められてもきっとひとりで行く。なら最初からあなたと一緒の方がマシ。違う?」
「……いや。従おう」
「ありがとう。でも、そうね、この山にわたしがいるのは三日間にしましょう。責任者がずっと不在ってわけにもいかないから」
不承不承の体でうなずかれる。いくつかの日程と人員を相談して、解散を言い渡す。こめかみが重たかった。
あたたかいものがほしいと思いながら、テントに入る。しばらくは自分のテントではなく、この
「終わった?」
「……ロジン。どうしたの」
べつに、と低く答えが返ってくる。白いシャツと、裾を絞ったズボンの制服を脱いで、緩やかなシルエットの寝巻きに着替えていた。
あまり、いま顔を合わせたい相手ではなかったので、ちょっと伺うようにロジンを見てしまう。それが分かっているのだろう、彼は少し苦い表情になった。
「なにしてんだよ。はやく座れよ」
「ん、」
甘いにおいがした。ロジンがテントの中央のテーブルに、マグカップを置く。椅子を引いて座ったら、塗れたタオルと焼き菓子まで出てきた。
「……ごめんなさい」
ロジンが不愉快そうに目を細めた。穏やかな色合いの瞳を、薄氷が覆っていく。
「なにがごめんだ。ふざけるなよ」
「……」
マグカップを握りしめる。彼が激怒すると分かってわたしは行動して、わたしが彼の気持ちを分かっていることを、ロジンは知っている。
ごめん以外のことは言えなかった。
「なんで俺を頼らないんだよ。いつも言ってるだろ」
「……ごめん……」
「謝られたって、じゃあおれはどうすればいいんだよ!」
うつむく。満月のようなミルクが、コップの中でゆらゆら揺れている。はちみつのにおいがした。テントの中では大鍋にお湯が炊かれていて、肌寒い外とは大違いだった。
嫌われてる、とは、思わない。ここまで心を砕かれているのだから。
何度も何度も、俺を頼れと懇願されているのだから。
ごめん、と消え入りそうな声が出た。
「……謝るなって、言ってるだろ。ごめん。こんなこと言いたいわけじゃないんだ」
「うん。分かってる。……だから、ごめんって、言ってるのよ」
こめかみがずきずき痛む。肩から垂らしたままの髪の毛をぎゅっと掴む。目の奥が重苦しかった。
ロジンが立ち上がって、わたしの背後に立つ気配がした。手袋越しのわたしの手に、そっと彼が触れる。
「まだ起きてるの」
「うん。もう少し……」
髪から手を離す。なにもかも慣れた仕草でロジンがわたしの髪を梳く。いくつかに分けられて髪の束が緩い三つ編みにされていく。わたしの無駄に多くて癖も強い髪の毛が、シニヨンにまとめられていく。
舌の上をはちみつ混じりの牛乳が滑っていく。時折ロジンの指先がわたしの頭皮を掠めていった。後れ毛を器用に編み込み、仕舞い込み、最低限の髪紐とピンが髪の毛の中に埋め込まれる。
「はい、できた」
「ありがと」
髪が崩れないように頭に触る。理解し難いほどの複雑さで編まれている、ということだけわかった。
「終わったら寝るだけなのに。適当に済ませていいって、いつも言ってるでしょ」
「やだよ。ハルがわがままばかり言うから仕返し」
チャコールグレーの手袋がすいっと紙をテーブルからさらっていく。
「これ、清書したらいいんでしょ。おれもやるよ」
「いいよ、そんなの。わたしがやっとくから……」
「これくらいさせてもらわないとおれが困るんだけど。捜索隊には入ってない、ハルはおれだけに指示を出さないで、どれだけおれが浮いてたと思ってるの。ほらごちゃごちゃ言ってる暇があったらさっさと済ませる」
「はぁい」
時間が経って濃いブルーになったインクにペン先を浸す。熟考を示す色だった。ランプの灯りすら頭痛を助長させるので、最低限に絞る。
ロジンが黙ってホットミルクをマグカップに注ぐ。すべてわたしが外に出て、みんなと喧喧囂囂している間に整えてくれたのだろう。わたしひとりのために火を起こして、たくさんの水を用意して、ミルクを温めて、ペン先を拭い、髪をまとめる用意をして。
愛されている、と、覚悟をせねばならないだろう、疲れた脳がささやく。甘くなった唇を、そっと舌先で舐める。
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