ハル・シオンと炎の街 -2

 リーダイが滋養のあるスープや飲み物を作っている横で、わたしは穀物を刻み、まっさらの手で細かくなったそれらをかき集める。リーダイの、魔法を込めた歌が穏やかに響く。

 眠りにつくための薬草、というものでは、上手くいかないときがある。意識がないと、薬草の苦みのせいで吐き出してしまうことが多い。飲み込んで消化する必要があるので、飲み込むことができなかったり、消化器が弱っていると使用できないこともある。薬草よりわたしが皮膚の中に持っている毒の方が強いので、使いどころは難しいが。


 わたし、ハル・シオンは、触るものすべてを眠らせる毒を皮膚に持っている。

 わたし、を、呼ぶってことは。


「……ダメそう? あの子……」

「ああ。昨日の夜から、左肺の縫合したところから出血が止まらなくて。薬も入れたんだが、限界だな。もう一度胸を開くこともできない」

「そっか……」


 甘い果実をひとつまみ。恐らく口に含むことしか出来ないだろう。気道の火傷もひどかった。

 わたしと、同じ歳頃の女の子だった。山火事に追われるままパニックになり、地下にある火薬庫に気付かずに近付いてしまったのだろう。爆発に巻き込まれたからだはひどいものだった。

 助からない、のは、分かっていた。

 つまりこれは最期の食事になるのだ。甘いスープの上澄みに、わたしのからだの、味もにおいもしない毒を入れて。永遠の眠りをそっと手繰り寄せる。


「リーダイ……」

「いや。ハルの処置に間違いはなかった。いや、もちろん、君のお母さんの指示もあるだろうけど」

「ううん、いいの。仕方ないわ。わたしたち、神様にはなれない……」


 この旅団で、医の道を選んだ瞬間から繰り返される言葉だった。わたしたちは神ではない。死を奪うことはならない。わたしたちがすべきことは苦痛を奪うこと、からだの治癒する力を強めること。

 神にはなれない。ならない。

 ハル、とリーダイがわたしの名前を呼ぶ。リーダイはベース・ノアールで末期の患者を看ていることが多い。やや大雑把な性格だけど、心遣いはうんと細やかな人だ。


「ハル。仕方ないって言いたくないのは、分かる」

「でも……」

「仕方なくないなら、なんだっていうんだって? そうだよな。諦めてるのに、あんなに細かいところまで縫合するわけない」


 うん、とうなずく。一目見て、ああ助からないだろうと思った。思った、けれど。


「わたし、あの子のお母さんと喋ったの。少しだけよ。すぐ気絶してしまったから」


 瓦礫の下で、右足を挟まれながら。頭から血をだらだら流して血溜まりができていたのに。


「助けてって、言われたんだもの。わたしに、言ったの。この子を助けてって」


 努力するとわたしは答えた。明言は避けなければならなかった。実のところ、嘘に近い言葉では、あった。


「がんばるってわたし答えて……そのとき、帽子の中から髪の毛がこぼれて。あの子のお母さん、笑ったの。あなたたちが来てくれたなら大丈夫だって」

「うん」


 ざくざくと葉物野菜が切られていく。くたくたになるまで煮て、塩で味付けされる。


「……ダメだったわね。残念だわ」


 肩をすくめて笑う。ざっと手を洗って、琺瑯ほうろうの片手鍋に刻み終わった材料を入れて、ひたひたになるまで水を入れる。砂糖をひと匙。簡易的な竈に鍋を置く。木の大きなスプーンでぐるぐるかきまぜる。


「……ハル」

「ううん。大丈夫。落ち込んでない」


 リーダイの、湖のような青い瞳がわたしを見つめる。


「本当よ。……そりゃあ、ちょっぴりは。でも、だって、そんなこと言ってたら、やってらんないわ……」

「……うん」

「わたしたち、そういう覚悟をしなくちゃ。でしょ? 患者さんを助けられないって、充分ありえることで、医療の道を行くんならよくあることだって」


 死に触れ続ける人生になると、旅団のだれもが口をそろえる。希望があるわけでもない。必ず感謝されるわけでもない。きっと思っている以上に厳しい道になる。

 それでもやるわと答えたのなら、覚悟を決めなければ、挫けないで続けなければ。


「うん。仕方ないわ。わたしは精いっぱいやった。みんなも一生懸命看た。あの子も頑張った。だから一週間あの子は生きた。……違う?」

「うん、そうだ」

「だったら、受け入れるしかない」


 リーダイがわたしから目をそらした。どうしたのと聞いたわたしの声にも振り返らず。ぽつんと。


「……それは、まだ早いね」


 そうかしらと首をかしげるしかなかった。


          *


 あとはこちらでやるからとリーダイから追い出されて、わたしはテントの間を歩く。今年で十三歳のわたしは一人前ではないので、だれかしらがいないと患者の面倒を見てはならないし、またちび達の面倒を見るのは、どうしても気が進まなかった。こっそりテントに戻って、青のラジオだけを持って、ベースを離れる。

 わたしたちが旅の途中途中で患者の面倒を看るためにテントを張る場所をベースと呼ぶ。緑の旗を立てた、ベース・ヴェルトに父がいるのがちらりと見えた。自分で歩けるくらい軽症の患者が通うベースだ。父はヴェルトにいることが多いし、もともと産婆だった母は緊急性が高い患者が入る、赤い旗のベース・ルージュにたいていいる。

 そしてわたしは、どちらからも逃げたくて、いつも黄色の旗のベース・ジョヌに行く。……今日は、ベース・ジョヌにも行きたくなかった。

 木と木の間を歩く。一昨日、一晩中起きて患者を看る夜番よるばんをしたので、今日は一日自由だ。

 ぽんと開いた場所に出る。子供五人が手をつないでやっと囲めるくらい大きい切り株が真ん中にあるので、もともとうんと大きな木があったのだろう。切り株に座ることにする。ちちち……、と小鳥が鳴いている。平和、とつぶやく。

 白い服が日の光を反射してまぶしい。誰もいないので、青色の布製の手袋をとる。がさがさに荒れた手だった。ささくれと、先週つけてしまった火傷の跡がある。ああ、とため息が出た。ほんの少し、疲れたのかもしれなかった。

 山から火があがったと知らせが入ったのは八日前のことだ。

 わたしがいる旅団は一番人数が多くて、医術を使う人も多いけど、ほかにもいくつか旅をしている小さな集団はあるし、旅をせずに永住を選んだ人もいる。朝焼け色の髪を持ったわたしたち、という集団は、世界中に散らばっていて、魔法のかかったラジオか、魔法の力で連絡を取り合う。

 この山の近くに暮らしている人から、大きな山火事が起きている、とラジオで通信が入って、わたしたちは馬を駆り、ホウキを飛ばし、この地まで駆け抜けた。

 青のラジオの、側面についたチューナーをいじる。ザ行とガ行のノイズが響く。緊急通信も定期通信もない。つまらない。チャンネルを使って放送をするために、きゅっとアンテナを立てた。


「試験試験。あ、あ、あ。いち、に、さん。はーい、おはようございます。こちらは朝です。森の中にいます。とても大きな切り株に座ってて、小鳥が鳴いてるのを聞いてます……」


 十数秒間を置く。沈黙。たぶん誰も聞いていないし、聞いていても返事をする気のない人だ。褒められた使い方ではないが、数分程度であればチャンネルを使っていても叱られることはない。


「今日は一日晴れると思います。本当によく晴れた、気持ちのいい朝だわ。ううん、今いる森を抜けたら山火事でひどいんだけど。もう一週間経ったから、ベース・ルージュもだいぶ落ち着いて、今一番忙しいのはジョヌかしら」


 使用されることがあまりない、周波数が低いチャンネルでひとりしゃべるのは、たまにすること。気が沈んだ時に、何でもないことをとりとめなくしゃべる。

 返答を求めたことはない。二、三言、どこか遠くの同胞と言葉を交わしたことはあるけど、お互い名乗らず、天気だけ教えあって、旅の無事を祈りあって、通信を切った。


「今日のご飯はなにかしら。しばらくお粥続きだったんだけど、そろそろちゃんと食事番がついて、もう少しちゃんとしたご飯が食べられると思います。そうね、卵料理が食べたいわ。わたし、キッシュが好きだから、それがいい。甘いものも魅力的だけど、今はそういう気分じゃないわね。ああ、暇だし、なにか野草でも取りに行こうかしら。それでは、通信を終了します。あなたのホウキが良い風に恵まれますように」


 アンテナを倒す。低い雑音だけが響いた。ぱちんとラジオの電源を切る。切り株の上に仰向けに倒れる。太陽が眩しかったので、目をつむる。どこかで花は咲いているだろうかと、考える。近くに咲いているなら、摘みに行こう。

 十三歳の少女と、若い母親の葬送に似合う花を、摘みに行こう。

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