ハル・シオンと炎の街 -3
*
「ハル。起きて」
手袋をした誰かが、わたしの額をそっと撫でた。甘い蜜に似た、イエローとブラウンのあいだの瞳がわたしを見下ろしている。ロジンだった。
「おはよう、ハル。探したよ」
「あら。そんなに暇なの」
「暇ではないけど、見当たらなかったから」
「そ。ごめんなさいね。もしかして、手が足りてないとか? だったらすぐ戻るわ」
「いいよ。別に。ハルは平気な振りばかりするから、探しておいでってリーダイが言って、メニレットが変わってくれたから、おれが探しに来た。それだけ」
立ち上がろうとしたわたしの手を引いて、ロジンがわたしを無理やり座らせる。
「急患は出たけど、非番の人を使う程度じゃない。休んでて平気」
「でも、メニレットに悪いでしょ。代わりさせてるなら」
「おれがこの間、夜番を変わってやったんだよ。だから、おれはメニレットにいつでも昼番か夜番かをさせる権利を持ったってことだ」
「だったら、なおさら悪いわ。ロジンの休みをわたしに使うわけにはいかない」
ロジンが、むっと唇を尖らせた。
「なんだよ。悪いか。おれはハルと一緒にいたくてメニレットに代わってもらったんだ。ハルはいつもちび達に囲まれてるし、それか患者のテントにいるだろ」
「そう、かしら」
「たまにはゆっくり話したい。そりゃあ、ハルがひとりがいいって言うなら、帰るけど」
「あ、ううん、待って。帰るのは、ちょっと待ってよ」
きまり悪く肩をすくめる。
「実のところ、退屈で仕方なかったの。でも、あんまり人の多いところにいたくなくて。ロジンが来てくれて嬉しかったの。……ほんとよ」
「それならいいけど」
お行儀悪く、膝を抱えて座る。ロジンも胡坐をかいて頬杖をついている。気を抜いた姿を見せられるのは、お互いだけだった。
「……そういえばハル、赤ちゃんをとり上げたって聞いたけど」
「うん。とりあえずわたしの母さんのところにいるけど、このままだと旅団で引き取るしかないわね。あの子のおかあさんは亡くなってしまったし、父親も名乗り出てこないの。まだ一週間しか経ってないし、ベース・ルージュあたりにおとうさんが混じっている可能性もあるけど」
うん、とロジンが小さくうなずいた。うん、わかってる。
山間の小さな街は、一晩のうちに燃え尽きた。ほとんどの住人の避難が行われないまま。まるで、生きることを諦めたようだった。
思わず誰かに確認したくなるほど、誰も避難はしていなかった。
わたしたちの仕事は患者の仕事も種族も関係なしに行われるので、関係ないといえば関係ないけど。実際にそこに足を踏み入れたらわかってしまうことは多い。厳重に封鎖されて地下にあったはずなのに爆発してしまった火薬庫だとか。
逃げる気はなかったのだろうか。わからない。わからないけれど。
「親に先立つ不孝に勝る不孝はないっていうけど。親に置いて行かれるのもたまったもんじゃないわ。しかも二人ともいなくなるなんて」
「しかたなかったんじゃない。この街の人って、本当に頑固だ」
チャコールグレーの手袋を叩き落とすように外して、ロジンがちいさくうめいた。
「街と一緒に死にたかった、って……」
「ロジン」
「薬も治療も魔法も拒否された。我々の命は街にあった。もう我々は死んだんだって、そんなこと言われてもうなずけない。最後には、故郷もないあなたには分からないだろうって言われた」
唇を噛み締めた。口を開いたら、たくさんの罵倒が飛び出してきそうだった。だれもそんな言葉に反論しなかったんだろう。
生まれ故郷がないことを、謗られたなんて。ただの八つ当たりにすぎないとはわかっていても。こちらが勝手に駆けつけて、勝手に助けて、勝手に怪我や病気を治そうとしているだけだけど。わたしたちにも痛む心はある。
「わかってたまるか。死にたいなんて」
「そうね……」
「嫌いだ。死にたいなんていうやつは。自分が死ぬのに子供を巻き込むやつが一番嫌い」
返事が思いつかなくて、わたしは目を伏せる。ロジンの言うことは十全に分かったし、街の人の言うことはちょっぴり分かる。
わたしは父母がそろって健在で、厳しく躾られて、優しく育てられた。血は繋がっていないにしても、きょうだいはたくさんいて、多くの大人に見守られてここまで生きてきた。
この身の幸福さを思うたびに、自分のからだになにかしらの痛みがほしくなるときがあった。
傲慢だとわかっていても。
「……ごめん、ハル」
「なによ。大変だったのはロジンの方でしょ」
「でも、ハルに言うべきじゃなかった。ハルに優しくするために来たのに」
ロジンの指先に触れる。素肌に触れることができるのはお互いだけだった。
「ロジン。あのね、わたしは傷つかないから平気なの。ぜんぶ平気」
「……ハル」
「……そういうことに、したいわ。わたしは、そういう存在になるために生まれてきた」
旅団の総領娘として。強い娘になるべくして、わたしは育てられた。
「あんまり、辛いと思ったことは、ない。まだ。でも、旅の途中以外だったら、温かい食事をおなかいっぱい食べさせてもらって、正しい知識を与えられて、家族に恵まれて……わたし。わたしは。どんな時でも傷ついたらいけないと思う。どれだけ辛いところに行っても。じゃないと、この生まれであることの幸福さと釣り合いがとれない」
ため息をひとつ。ロジンの肩にもたれる。
「……でも、疲れちゃうわね」
「うん」
「だから、来てくれて嬉しかったの。ありがとう」
「どういたしまして。少し休んでいこうか。昼ごはん前になったら起こすから」
「うん……」
己の傲慢さが憎い。
「ロジン。本当にありがとう」
わたしの肌に触れるために毒をからだに入れた、彼に、わたしはいったいなにを差し出せばいいんだろう。
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