ハル・シオンと炎の街 -4



          *


 わたしは赤ん坊のころ、攫われたことがある。毒を飲まされて、殺されるところだった。

 わたしが見つかった時、わたしを攫った犯人も同じ毒を飲んで、死んでいた。わたしは、穏やかに眠っていて、みんなで顔を見合わせるしかなかったという。


          *


「ハール」

「はい! ごめん、なんか言ってた?」

「ううん。ぼーっとしてたから」


 髪と口元をきっちり覆ったチオラが目元だけで笑う。


「大丈夫かい。疲れているだろう」

「そうかな。でも、みんなと同じだけ働いて、同じだけ休んでるよ。平気」

「僕はハルの話をしてるんだよ。休憩しよう」


 わたしは黙って肩をすくめた。いくつもの鑷子せっし鉗子かんしが大鍋の中でぐらぐら揺れて、熱による滅菌が行われている。先に済ませたさらしとメスは、綺麗に並べてきちんと専用の箱にしまいこんだ。


「平気よ。いくらでもやりようはあるでしょ?」

「……まあ、とにかく、ちょっと休憩にしよう」


 チオラの後について歩きながら顔の覆いをとって、深呼吸をする。ぐらぐら茹だる鍋のそばにずっといたせいで、少しのぼせている。

 そばの木陰に座らされて、あれよあれよという間に飲み物もお菓子も用意される。レモンのにおいがする冷たい水を飲んだ。


「チオラは、過保護すぎるのよ。リーダイもだけど」

「そうかな」

「だって、わたし、チオラたちがこんな風に世話されてるの、見たことないわ」


 チオラの目がきょとんと丸くなる。牛乳と小麦粉と砂糖を混ぜただけの焼き菓子を口に放り込む。


「そんなこと、ないけど。ぼくもリーダイも散々っぱら世話かけてもらってたよ。特にハルには、情けないところばかり見られてたのになぁ」

「うそ。いつ? わたし、覚えてない」


 前のめりになったわたしを、チオラは小さく笑う。


「教えるもんか」

「いじわる。リーダイに聞くわ」

「たぶん、リーダイの方が意地でも教えないと思うけど。聞いてみればいいよ」


 おそらくチオラの言うとおりになるだろう。つまんないのと呟いて、牛乳と砂糖の甘みを飲み込む。


「ハルは……、」


 ふっとチオラの目が遠くに行く。チオラの目は、誰よりも濃い青色。


「ロジンが探してる。行っておいで」

「でも、仕事の途中だわ」

「いいよ。もう後は乾かすだけだし。ロジンだってハルが仕事中ってわかってるんだから、そんなに長くもかからないと思うよ」


 少し考えてから、行ってくる、とチオラに告げる。白いスカートから菓子くずをはらい落として、歩き出す。


「ハール」


 チオラが、彼特有の抑揚でわたしの名前を呼んだ。西の生まれの彼は、言葉の伸ばし方が少し独特だ。


「ぼくはね。そういうかすかな不安は、婚約者にすべて話すのがいいと思ってる」

「チオラ」

「ぼくなんかに言うんじゃなくてね。許嫁のロジンに言うんだよ」

「……ん」


 なんとか笑って、うなずいた、と、思う。素っ気ないほどの速さできびすを返して、すたすた歩く。やれるもんなら、言えるもんなら、とうの昔に言ってるわ、と胸中で呟く。

 頬をぐいと掌底で持ち上げる。いつも通りの顔をしたかった。膝下の丈のスカートを蹴り飛ばすみたいにして足を進める。


「ハル。どうしたの」

「んーん。なんでもない。どうしたの、ロジン」

「いや、ちょっと伝えないといけないことがあって」


 蜜色の瞳が、わたしの顔色を探る。なあにとすっとぼけて、なんにも言われないように無言のうちで強制する。

 ロジンはほんの小さくため息をついた。わたしにわかるかわからないか程度の。その小ささ、は、完全に計算され尽くしたものだったので、わたしはそのため息すら黙殺する。


「……テトたちが合流したよ」

「テトたち?」

「うん。仕事中って分かってたけど、ちょっと」


 風に煽られて、布の中にむりやり押し込めてた髪の毛が広がる。頭のてっぺんから金色、橙、赤に少しずつ青を混ぜて紫に染まっていくの髪の毛。朝焼け色だという人もいれば、夕焼け色だという人もいる。

 そして直系にだけ伝わる青の瞳。


「おれたちじゃ手に負えない。ハルのお母様たちは急患で大慌てだから」

「リーダイは?」

「最期を迎えてる女の子が」

「そう。わかった」


 きゅっと唇を噛み締める。わたしがこの旅団の中の長として振舞わなければならないのだろう。


「チオラはだめかな……」

「別にいいけど、急いでほしいんだ。テトが泣き叫んでて。なだめられない」


 不安のせいでちょっと唇がとんがる。そんなこと言われたら今更引き返す訳にもいかない。

 テト。わたしの妹のひとり。少し前からわたしがいる旅団から離れてちいさな集団で海辺の街に出ていたはずだ。

 速足のわたしたちをみんながじっと見つめている。


「――ハルねえさん!」

「テト、どうしたの」


 旅装もそのままのテトがわたしに抱きつく。


「ねえさん、ああ、わたし、どうしよう。レトが、たすけて、ねえさん」

「慌てないで。なにがあったの? レトは?」


 テトの双子の兄のレトを見渡して探す。あの子は、赤みの強い髪だからうんと目立つのに。テトが叫ぶように泣き出す。


「ハル・シオン」


 なまえ、が、呼ばれた。背筋を伸ばす。旅団の総領娘が必要だと粟立つ背筋がささやく。


「なにがあったのか、説明をしてちょうだい。……なにも危険はないと思って、わたしはあなたたちにテトとレトを預けたのだけど」

「ええ。私たちもそう思って、あなたから二人を預かったんだ」


 白髪混じりの髪が膝の裏まで垂れ下がる。わたしにとっては、母方の伯父にあたる人だった。


「レトは? いないようだけど」

「レトはもう帰ってこないかもしれない」


 ざっと血の気が引いた。テトの細い肩を強く抱き寄せる。


「どういうことなの」

「私にも分からない。一緒にいたテトは混乱している。とにかくテトを預けて、もう一度探しに行こうと思ってここまで戻ってきた」

「なにも分ってないのに、もう帰らないなんて。意味がわからないわ」


 むりやり引き剥がすようにしてテトの顔をこちらに向ける。茶色の目が真っ赤に充血していた。


「テト。いい加減になさい。あなたしか分からないのよ」

「ねえさ、」

「レトを助ける気はないの?」


 ひうっとテトが息を吸い込む。ロジンが咎めるようにこちらを見ているのを無視する。しゃくりあげながら、テトは口を開いた。


「わ、わたしたち、おつかいに、ふたりで」

「ええ」

「そしたら、レトが。お空からとんできたなにかにさらわれたの! ああ、血が。ねえさん、どうしよう。レト、レトがとおくに行っちゃった! どこかとおくに行っちゃった!」


 よく見たらテトの服には小さく赤い染みがついていた。目を閉じて三秒。呼吸をしてから。

 木靴のかかとで地面を叩く。


「ロジン、テトをお願い。ベースが落ち着いてからでいいから、母さんと父さんにこのことを伝えて」

「わかった」

「おじ様、わたしも行くわ。案内して」


 遠くからわたしのホウキが飛んでくる。それを片手で受け止めて、ホウキにいつも引っかけてるウエストポーチを腰に巻く。伯父たちが馬とホウキに飛び乗る。

 青いラジオのスイッチを入れてアンテナを立てる。


「緊急緊急。あああ、いちにさん。緊急通信です。赤い髪と赤い瞳の少年。名前はティトラ・レット。年齢は七歳。なにかにさらわれて行方不明。怪我をしてるようです。繰り返します」


 口早に告げる。ホウキにまたがって地面を蹴りあげて宙に浮く。おじが馬を鞭で叩きながら叫ぶ。


「東だ!」


 返事をする間も押しんで加速する。呪文を唱える。


「Sylphe, Sylphe, わたしの友だち」


 ごうと風が唸る。髪の長い風の精がわたしと並走する。どうしたの、どうしたの、とささやき声がした。


「わたしの弟を探して! さらわれたの。赤い髪の、まだ七歳の子よ。……行って!」


 風の精シルフが飛び立っていく。急上昇。焼けた山が眼下に広がる。東の方に向かって飛び出す。

 ぐっと身を縮めて加速するホウキの邪魔にならないようにする。遠い街に送り出した訳ではない。すぐに到着するだろう。ただ、テトの言葉が胸をざわつかせた。

 テトのから、ずっと、遠く。

 それはきっと、わたしの手も届かない場所だろう。魔法も強い意志もぜんぶ鼻で笑って無かったことにする、なんて、いつものことだ。わたしたちは確かに世界に助けられているが、だからといってわたしの意思で動くものなどないのだ。小石一つですら。

 露店が立ち並ぶ通りに飛び降りる。木靴が石畳を叩く甲高い音に、道行く人々が振り返った。


「赤い髪の男の子。誰も知らない?」


 ホウキの柄を叩きつける。


「知らないのと、聞いてるわ! わたしは旅団の長の代理。今日、この街の巡回をしているのを手伝っていた男の子がさらわれた。誰も知らないか!」

「お嬢さん」

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