ハル・シオンと炎の街 -5

 りん、と鈴が鳴る。


「知らぬよ」


 しわがれた声だった。老いて濁った瞳が、路地裏からこちらを見ていた。翁か嫗か見分けがつかない。


「言葉に気をつけねばなるまいよ、お嬢さん。長を名乗るならば」

「……ごめんなさい。焦ってたものだから」

「そうかね」


 りん、と鈴の音が響く。ごつごつした杖を持つ老人の右手の、人差し指にはめられた指輪からぶら下がる鈴だった。


「旅団には世話になっている。文句は言うまいよ。この話しは風に乗るだろうし、鈴の輪唱に加わるだろうよ。いくつもの目が旅団の長の弟を探すだろうよ」

「感謝します。……お騒がせして、大変申し訳なく思います。すべてわたしの至らぬ故」


 老人がちいさくうなずく。この老人が街の中でどんな役割を担っているのかは、知らないけれど。誰も口を挟まないで、わたしとの約束を結ぶのを見守っているからには、恐らくそれなりの地位があるのだろう。

 緊張で口の中が乾く。この世界において、約束は絶対だ。破ることなど許されない。言葉ひとつ間違えるだけで、命を失う可能性だってある。


「この鈴は三千里先まで言葉を伝える。必ずや知らせようよ」

「それではわたし、三年後までに必ずここに来ます。そして三週間差し出します。わたし自身は、まだ若くて一人前ではないのだけど。三年後にはすべての学びを終え、一人前になっています」

「長くて三年後か。このじじが生きておればよいが」


 りん、と鈴が揺れる。


「構わない。言葉は伝えられた」

「申し訳ないのだけど、わたしこのまま出発します。シルフに、ハル・シオンに言伝と伝えれば、わたしの元に届きます。もしくは旅団に」


 ホウキにまたがる。白いスカートが跳ね上がった。


「わたし、わたしの弟を探す手助けをしてくださったことに感謝しています、お爺様。だから、またわたしが来るわ。それでは、またすぐに! もしくは三年後までにお会いしましょう。失礼します!」


 地面を靴の裏で強く踏みしめる。風の精の名前を口の中で呼んで、急上昇する。

 ああ失敗してしまった、と口の中が苦くなる。旅団の長の代理という立場を出しながら、あんな荒れた態度をとるべきではなかった。あの老人がいなければどんなことまで口走ってしまっただろうと考えれば、頭の芯が冷たくなる。

 街を一望できる高さで一度止まる。深呼吸。


「いまは、そんなことどうでもいいわ」


 頬をぴしゃんと叩いて。目を瞑って考える。飛び出してきてしまったけど、指示を出す立場であるわたしは、本当はベースから出るべきではなかった。

 行うべき交渉は終わった。帰るべきかもしれない。

 ホウキをそっと撫でる。闇雲に探すのも、ベースに戻るのも、どっちもどっちだ。こういうときは、原則に従うべきだろう。ホウキの穂先を反転する。

 遠くの山肌は焼け焦げている。わたしの胸底の不安と、同じ色だった。


          *


 帰りついた頃には空が夕暮れに差し掛かっていた。松明の火が揺れている。


「ハル!」

「母さん」


 ベース・ルージュで一番大きなテントから飛び出してきた母に駆け寄る。まだ術衣をつけたままで、うっすら血のにおいが漂っていた。


「レトのことはいま聞いた。レトは見つかってないままよ。あなたはなにをしてきたの」

「レトたちが行った街に行って、探してもらう約束をつけてきた。テトはどこ?」

「いまは薬で休ませてる。そろそろ起きるはず。申し訳ないけど、私もいま話しを聞いたばかりでなにも差配できてないの。兄さんとロジンに聞いて」


 わかった、とうなずく。母が青い瞳でわたしを見下ろす。


「ロジンは住居区。兄さんは中央ミリューテント。行っておいで。母さんは手術の後の処置がまだなの」

「うん。あとはおじ様とわたしでやる」


 ベースは必ず中央ミリューを始点にして円形に構成されるので、どこから行ってもすぐにたどり着く。ぼさぼさに乱れた髪の毛を手ぐしでまとめながら小走りで中央ミリューに向かう。炊事場で、わたしより年下の弟妹たちが一生懸命ご飯を作っていた。今夜もお粥だろう。

 よほど自分は張り詰めた顔をしているらしい、と周りの子供たちの表情で察する。いつもはまとわりついてくるものなのに、まるで見てはいけないものを見たように目線をそらされる。

 それで構わないので足をどんどん進めていく。ほんの一瞬、ここにいるはずのロジンの顔が思い浮かんだけど、まばたきひとつで忘れることにする。

 彼に頼ることを避ける、この動きが不味いことだということは分かっていた。


「……おじ様!」


 伯父はうんと背が高いから、遠くからでもすぐに見つけられる。黙って手招きされるのに駆け寄る。


「留守にしててごめんなさい。手がかりとか見つかった?」

「……残念だが」


 伯父がテントに入っていくのについて行く。折りたたみの大きなテーブルに、地図が広げられる。


「ここと、ここ、あとこちら」


 とん、と消毒液と野外生活のせいで荒れた指先が地図を叩く。紙が淡く橙色に光った。


「南、北、東にそれぞれ五人ずつ。これが限界だ」

「うん」

「一週間だ」


 分かってる、とわたしは地図を見つめたまま答える。

 こういう旅をしていれば、河に溺れただの崖に落ちただので行方不明者が出てしまうものだった。そして、そういう人間に割ける人数と時間は予め決めてある。

 十五人と、指示を出すわたしと、その補佐をする伯父とロジンの二人。合計十八名と一週間で、わたしはどうにか弟を見つけださなければならないというわけだった。


「今出ている十五人は夕食時には帰るように伝えてある」

「うん……うん、そのままでいいわ。本格的な捜索は明日からね」

「明日からで、ハルはいいのか」


 伯父の気遣わしげな声に、きょとんと顔を上げる。


「だって。一晩中探したって効率悪いわ。交代も組まないといけないし」


 伯父が苦虫を噛み潰したような顔をする。


「しかし、ハル、あの子はお前の弟だろう……」

「だって、決まりを曲げる訳にはいかないじゃない!」


 胸のそこに押し込めてた感情がぐわりと首をもたげたのがわかった。地面に立ってるのが悪いと言い訳が脳裏に走る。空を駆けずり回りたいのに。こんなところにいたいわけないのに。

 空飛ぶ魔女を、地面に引きずり下ろした、あなたたちが悪い。


「どうして。おじ様。わたしに言わないでよ、わたしに確認しないでよ。それでいいのかなんて、そんなこと言わないで」


 ぐちゃぐちゃに踏み潰して原型を失わせて、心の奥底に叩きつけた感情が唸り声をあげる。


「これ以上人手も時間も出さないわ。そうしないといけない。。違う? ねえ」


 子どもじみた言い草だとわかっていた。

 しかし。でも。そうしなくてはならない。

 何度も手を振り払ったのだ。夫が河に溺れた妻の嘆願も、親が自分を庇って崖に落ちた子どもの涙も。時間は終わり、人はこれ以上出さないと。


「わたしに、わたしだけには、そんな確認をしないで。わたしは絶対に決まりを破るわけにはいかない。十八人と七日間。これ以上人も時間もかけないわ。これは決定事項」


 吐き捨てる。


「おじ様。わたしはこの旅団の総領娘。そう育てたのはあなただわ。あなたと母よ。違う? わたしは絶対に決まりを破らない。決まりを曲げるには相応の理由と効果が必要。そう教えたのはあなたたち。違う? ねえ」

「……すまなかった」


 唇をぎゅっと噛み締める。首から下げている十字のネックレスに触れる。


「……わたしこそ、ごめんなさい。感情的になって」


 目じりに浮かびかける涙をどうにかやり過ごす。深呼吸を繰り返す。顔にかかる髪の毛をかきあげて、伯父を見上げる。


「……わたし、とりあえず交代表を作らなきゃ。捜索隊が帰ってきたら、休ませてあげてくれる?」

「ああ」


「寝る時間までには、みんなに指示を伝えるから、隣のテントに待機しててほしいの。夕食を食べ終わって、一時間後からは、少なくとも中央に居てほしい。それまでは自由時間で」

「わかった。そう伝えよう」


 伯父がうんと高い背丈を屈めてテントから出ていくのを見送る。大きな箱からきちんと畳まれた紙を出して、机に広げる。手のひらに収まる程度の壺の中に水と、乾燥させて固めたインクを入れて、ゆらゆらとブルーが広がっていくのを見つめる。

 水面すれすれにわたしの髪の毛が揺れている。色鮮やかに変化していくわたしの髪。何度も何度も切り捨ててやろうとナイフを振り上げたことがある。

 五歳の頃からこの旅団の先導者となるべく教育が始まって、六歳には火事だろうが戦だろうが、たくさんの怪我人と病人が出る場所に連れ回された。

 九歳の時に同じ歳の男の子が何人か連れてこられて、わたしの毒に耐性をつけられなかった者が死んでいった。

 これが。ぜんぶ。わたしのためと言うなら。

 言うのなら。


「……やらなきゃ」


 椅子に座ったら骨も筋肉もぐにゃぐにゃになって溶けてしまいそうだったので、立ったままを選ぶ。青い液体に万年筆のペン先を突っ込んで、線を引く。捜索にあてる時間と、休息の時間。十八人、全員を上手いこと振り分けるにはたくさん頭を働かせなければならない。

 髪の毛を雑にまとめる。くしゃくしゃなのは分かっていた。


「……邪魔よ。ぜんぶ」


 感情に溺れる趣味はない。文字と線を書き連ねて、わたしはどうにか旅団の総領娘としての呼吸を繰り返す。

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