ハル・シオンと二つ星 -5
「こんなに怪しい子どもひとりをですか?」
「堅苦しい言葉はいいよ。あの旅団の子だったら、ちょっと友達のおうちにって訳にもいかないだろうし。怪しさでいったら、僕もなかなかだろう?」
そう言われたら、そうです、と返事をするしかない。信頼できるか、できないか。やめた方がいいと理性が訴えかける。その声をかき消すほど、ベースに戻りたくないと喚き散らす自分もいる。
「……そうだなぁ。例えばなんだけど、今のあなたの気持ちは、一晩でおさまりそうなもの?」
「え?」
「お嬢さん、あなたは礼儀正しくて、服をきちんと着ている。危険そうな人間を、ちゃんと警戒する。つまり、家出だとかの逸脱した行為を嫌いそうな子だと、僕は思う」
「……間違っては、ないわ」
「なのにあんな鬼気迫る様子で、行く先がどんなところかも知らずにホウキに飛んで、それは、あなたにとって、とんでもないことが起きたからなんじゃないかな」
とつとつとした語り口調だった。女性にしては少し低い声で。自然な仕草で目線を外された。
「そういう日は、誰にだってある。……僕にも。そういう時は、一晩で気持ちが落ち着きそうなら、逃げるのがいいのさ」
乾いたはずの涙が目じりに浮く。今すぐすがってしまいそうなくらい。
「……まあ、行く場所があるなら、余計なお世話なんだけど。信頼できないのなら、それも仕方なし。どうする?」
今日だけは、許して、と小さな頃の自分の声が、胸の中に響いた気がした。
「本当に、いいのなら。お邪魔してもいい?」
薄く口紅を塗った唇が笑った。その笑みを見て、ああこの人も魔女なのかと直感的に確信する。じゃあ行こうか。軽快な笑い声と一緒に歩き出す。背の低い草をさくさくと踏み分けて、地面に打たれた小さな杭と、赤いリボンを道標にする。
「お嬢さん。保護者に連絡は取れる?」
「ええ……シルフに伝言を頼めるわ」
「それは十全。家出したいって言ったら、角が立ちそう?」
「たぶん。わたし、あんまり、勝手をしちゃいけない立場なの」
「それなら、散歩してたら、怪我している人がいたと言いなさい。お嬢さんの立場なら、そちらの方が自然だろう?」
「そうね」
鮮やかな赤いリボンが、足を進めるごとに色あせて、古びていく。不安かもしれない。見ず知らずの人についていくなんて、馬鹿な子どもみたいなことしてる。
疑うには、あまりにも声が軽やかで、笑顔が透き通っていた。それでは、ダメなんだろうか。理由にしては、いけないんだろうか。
「……お姉さん」
「はい、なあに」
「今何時くらいかしら。時間わかる?」
自分がどれだけ遠くに来たか、どれくらいの時間あそこを留守にしたのか、きちんとわかっていない。場合によっては、すぐさま連絡をしないといけない。
「三時くらいかな。時計は僕、持ってないんだけど。いつもお昼に家を出て、片道一時間かけて街に行くんだ。今日は買い物しかしてないから、僕の家につく時間が、ちょうど三時になるはず」
「それなら、もう少し大丈夫そう」
「おや、今すぐ連絡するものだと思ったけど」
「あなたのお家を見て、決めるわ。すぐホウキに飛び乗って逃げるか、シルフに嘘の伝言を頼むか」
「それが賢い選択だ。……フラれてしまいそうだけど」
「どうして?」
水のにおいがした。草地を抜けたら、背の高い葦が生えている湿地に出た。灰色の岩が道を作っている。くるりと振り返って、お姉さんが笑った。
「近所の村の子供たちは、悪いことをしたら、この沼に捨てるって言われるらしいよ。どうする? ここはこわーいところだよ。本当に、恨みに身を浸して、毒の中に死んでいった女が、眠っている……」
アーモンドの形に似た薄茶の瞳が、少年のような快活さで笑う。葦がかすかな風に揺れて音を立てる。向こうにちいさな平屋の家が見えた。白い壁に、銅の屋根。色褪せた葦の中にぽつんと建っていて、ああ、確かに不吉な土地だ。
胸がざわつくか。膝が震えるか。背筋が粟立つか。わたしの、魔女としての本能が、どういう反応をするか。風は冷たかったけど、恐ろしいというわけではない。わざと肩を動かして呼吸をする。
「あれが、お姉さんの家? かわいいお家ね」
「そう? 代々使っているのを、そのまま借りているだけなんだけど」
手をどうぞ、と骨ばった手が差し出される。確かに足場は悪そうなんだけど、こんな大荷物抱えている人に、手を借りるなんてできない。
「大丈夫。ひとりで行けるわ」
「落ちないでくれよ。僕じゃ助けらんないんだ」
「わかった。……ホウキじゃダメ?」
「そっちの方がいいかもしれない。落ちないのであれば」
落ちないのを選ぶんなら、断然ホウキだった。さっとホウキにまたがる。人の頭の高さまで上がって、金髪のつむじについて行く。綺麗な形の、丸い頭だ。
絶対に落ちないでと強い口調で繰り返される。底なし沼ってわけでもないだろうに。そんなに言うなら、どうしてこんなところに住んでいるんだろう。聞いてもいいのかわからないので、黙っておく。あんなにわたしに注意したくせに、若い鹿が飛び跳ねるような足取りで石を踏んでいく。赤いスカートのすそから、黒いレースのペチコートがのぞいた。
「お姉さんか。僕、お姉さんと呼ばれるのは初めてかもしれないな」
「そうなの?」
「末っ子なんだ」
最後の石を飛び越えて、沼地の中の小さな草地に到着する。わたしもそっとホウキから降りて、小さな家を見上げる。なにかしらの魔法がかかっている家だ。べつに、魔法がかかっているのは珍しいことでもないけど。なんの魔法なのかわからないのが問題だ。
「入る?」
「……ええ」
「その前に、保護者に連絡をした方がいいな。そしたら僕は、名乗ることにしよう。お姉さんはむずかゆくて仕方ない」
その口調が本当に嫌そうだったので、くすくす笑ってしまう。ウエストポーチの底からエニシダを集めて、風の中に差し出す。銀色の指が、すぐ留まってくれた。どうしたの? 今日も彼らはいい友人だった。
「わたしのお母さんに、伝言を頼みたいの。いい?」
シルフたちの笑い声が重なる。どこにも行かないってことが了承してくれるという意思表示。嫌なことだったら、ためらいなく彼らはいなくなるから。
「怪我人を見つけたから、処置をして家まで送ったわ。帰るころには遅くなるし、一晩様子を見てあげたいから、このまま泊まらせてもらうことにする。明日の朝ごはんが終わるころには戻るわ」
すいっとエニシダが手から離れる。何人かのシルフが歌いながら、わたしが飛んできた方角に向かったのを見送って、振り返る。旅団の一員である証拠の、派手な髪と服を身に着けているので、家族が病気だとか、怪我をした人がいるだとかで乞われて、急遽一晩留守にすることはよくあるので、大丈夫だろう。
休みを与えたのに、と叱られるかもしれないけど。まあそのくらいならどうだっていい。ホウキを握りしめて、背筋を伸ばす。
荷物を草地におろして、お姉さんが笑う。薄紅色の唇。本当に背の高い人だ。わたしが小さいからかもしれないけど。
「僕はキン・トーロー。夜の魔女。黒の紙に銀のインク、少しの響きの子守唄」
「わたしは、ハル・シオン。眠りの肌と青の瞳を持つ、名のない旅団の総領娘。ハルと呼んで」
ハル、とミントの香りみたいな声がわたしを呼んだ。名乗り合うことで、ようやく彼女とわたしの距離感や、どういう人かを図ることができる。
「じゃあ、僕はキトロと呼んでくれるといいな。ああよかった。僕らこれでようやく仲のいい友達みたいになれそう」
「ええ、本当に」
強ばった頬でぎこちなく笑みを浮かべる。名乗りに嘘はつけない。魔女に悪い人はいないなんて言わないけど、遠く血が繋がった親戚と同じようなもので、ほんの少し信頼出来るものだ。
大きな革のかばんを運ぶキトロのために、木製のドアを開く。鍵ひとつかかっていない。窓も開きっぱなし。家なんてあったことないけど、普通は戸締りをするものじゃないのだろうか。
「ようこそ、夜の魔女の小屋へ! どうぞ、入って」
「お邪魔します……」
よく磨かれた飴色の床板が、ぎしりと音を立てる。細い廊下が真っ直ぐ伸びていて、手前から、赤、青、黄の順番で扉が並んでいる。突き当たりには一回り小さな扉と出窓。どすんとかばんを床に置いて、キトロが奥に進む。
「さあ、どうぞ、奥に。大丈夫、来客は多いんだ。狭くて散らかった家だけどね。黄色のドアまで行って」
「うん」
ぎしぎし音を立てながら廊下を歩く。ぎゅっとホウキを握りしめる。出窓は外に向かって開かれていて、レースのカーテンが静かに揺れている。白い陶器の一輪刺しに、青と白のスターチスが刺してあった。
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