ハル・シオンと暗の道 ‐2

 人外がヒトと話そうとするときの、途中途中で音程がひっくり返って、聞き取りにくい声だ。金と橙、白金の火花が、少女の体の周囲で散る。炎のような髪が揺れて眩しくて仕方ない。金の指がわたしの頬に伸びる。


「さガシもの。ちがう?」

「……ええ。探し物してるんです」


 ランプの、妖精だった。人と火のある場所ならどこでも現れる身近な存在で、これまで何度も会ったことはある。あんまり急でびっくりしたけれど、人に近くて、悪意のない妖精なので、詰めていた呼吸をゆっくり吐き出す。

 ランプは道しるべにもなるので、探し物をしている人の前にもよく出てくる。


「弟が、いなくなってしまって」

「おとーとっテ、なニ?」

「わたしが守らないといけない人です」


 ランプの妖精はほのかにあたたかいので、毛布の中から手を出して抱き寄せる。鈴のような声がちいさく笑う。


「あなた、フシギなひふね」

「ええ。眠くならない?」

「あたシたち、ねないわ! しらナイの?」

「あなたたちと会うのは久しぶりなんです」


 焚き火越しに、ザレルト翁の方を見たら薄く開かれた目と視線が合った。起きている。このランプの妖精がわたしを選んで現れている可能性がある以上、彼はこのまま寝たふりを続けるだろう。

 ランプの妖精たちは、頼めば手伝ってくれるだろうけど、なにを要求されるかわからない。取引をするのはわたしだ。考えねば。唇をそっと舐める。


「ランプの妖精さん。このへんで、赤い髪の男の子を知らない?」

「いいエ! ココにきたのハ、いまさっキ!」

「そう。じゃあ、あんまり、このへんのことは知らない?」

「アタしたちは、このやまに、ちかヅかナいの」

「どうして?」


 ぱちんぱちん、火花が散った。ちょうどテトとレトと同じ年ごろの体躯だ。ランプの妖精たちは、たいていこのくらいの年ごろの少女たちの姿をとるものだった。もの珍しそうに少女が毛布に触れている。


「ここニは、ニンゲンがいないから、つまんない!」

「それだけ?」


 腕の中から妖精がすり抜けた。びゅうと腕の中が冷える。


「ここからサキは、妖精あたしたチの、ひみつ!」


 宙で少女が笑う。彼女たちは常に笑っている。火花の音と、彼女たちの通信である共振の音を引き連れて。

 ポーチのボタンを外す。乾かしたものと、出発の前に切ったものと。


「エニシダをあげる」

「えにシだ?」

「いいにおいのする花よ。少しの傷なら治せる魔法を、わたしがかけられるわ」

「けが?」


 少女の声色が変わった。


「ニンゲンの、けガ?」

「いいえ。……けがをしている人間がいるの?」


 血のにおいは、しないが。わたしたちは身を置いている生業が医療である以上、血と膿の気配に敏感になるように育てられるし、ザレルト翁はわたしと比べものにならないくらい鼻が利く。

 このあたりに怪我人なんているのだろうか。いるとしたら、レトである可能性が一番高いような気がするけれど。


「いいエ、けがは、だレモしてなイ」


 でもね、と高い声がする。ふだんはあふれるほどきんきんと鳴り響く共振もなく。近くにランプと人はいないということだろう。細い金の腕が大きく広げられる。暑い日のかげろうのように指の先は不定だけど、ちいさな指が遠くを指したのはわかった。


「とおい、いつか。あたしタチのだレカが、つかうの」


 ランプの妖精のだれかが、なにかに対して使うということだろうか。詳しく聞きたいところだけど、彼女たちの意図はあまり明確にわからないことが多いし、未来も過去もごたまぜに妖精たちは見ている。経験上、このままわからないだろう、と考える。

 ここが引き際だろう。きちんと線引きをするときだ。


「エニシダは、わたしが生きている間は、傷を治せます。血を止めるために新しく皮膚を作ります。ただ、それ以上複雑なことはできません。病気を治すとか、折れた骨を戻すこととかはできません」

「ふぅん……」


 これでは足りない、ということか。あんまり焦るとろくなことが起きないから、深呼吸をひとつ挟む。


「じゃあ、わたしのリボンもあげます」

「総領娘」


 ザレルト翁の低い声がした。構わないで、ランプの妖精に言葉を続ける。


「エニシダを使うときに、リボンを燃やしてください。わたしに知らせが届くから。ホウキで行ける範囲なら、わたしが行きます」

「ここには、こわーいヘビがスんでるの」


 くすくすと笑い声が響く。怖いヘビ。


「ニンゲンは、ぱっくん、たべラレちゃうわ! かれハ、ね、あかりがきらい。でも、アカリではしなない」

「うん」

「かれヲころすノは、やめたホウがいい。やまがくずれル」

「ええ。わたしたち、だれかを殺すために来たわけじゃないの」

「どこかのあなデ、かれハねむっている。おコさないよう、あタシたちは、ちかづかない。ままにも、いワレてる」


 毛布を肩から落とす。寒さが服を貫いてわたしの肌を刺す。


「ひとりで、かわいそうナかれナノ。こわいわ。デモ、ころさないでね」

「できるだけ、そうするわ。眠っているのなら、起こさないようにする。灯りで起きてしまうのかしら」

「うん」

「じゃあ、気を付けるわ」


 ポーチから乾いたエニシダの束を取り出す。茎を青色のリボンで結んである。ちいさな指がリボンを揺らす。


「ありがとう。灯りの妖精さん」

「さいごニ、ヒトつだけ」


 ぱくっとエニシダが少女の口に入る。それでいいんだろうか。彼女たちは、あんまり無邪気で難しい。


「かれは、ながいアイダねむってる。かれをアイしたニンゲンのこどものこどもがシンでも、オキなかった。ねむるト、ちかッタから」


 金属の鈴みたいな音が響く。


「じゃあ、アたし、いくわ。さよナラ! あなたノだいじなニンゲン、みつかりますヨウニ!」

「ええ。本当にありがとう。さようなら!」


 ぱっと光が弾けた。行ってしまった。ふぅと息を吐いて、毛布にくるまる。ああ、寒くなった。なにか温かいものを飲みたい。

 ザレルト翁が起き上がる。太い眉がぐにぐに動いて、怒ってるぞって言ってる。肩をきゅっとすくめる。


「……悪い手じゃ、なかったもの……」

「そんなこと言ったって、おめぇ、妖精といつかの約束なんてするべきじゃねえよ」

「わかってる……」


 水を注いだ琺瑯ほうろうのコップを焚き火の近くに置いて、干した果物をひとつまみ入れる。

 人間と、いつか、と小指を交わすのと、妖精たちのいつかにうなずくのでは、危険度がうんと変わる。人間は、一ヶ月、三年、と区切ることもできるけど、妖精たちはそういう訳にもいかない。太陽が昇って沈んで月と交代して、太陽がまた昇ったらいちにち、と数えているのは人間だけだ。

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