ハル・シオンと暗の道 ‐3

 ランプの妖精たちは、幼けない少女たちだし、無邪気だから、意地の悪いことろわざとはしない。そうだとしても、厳に慎むべきことをあえて行うのは、胃液がせり上がってくるほど怖かった。

 手がかりと、安全が欲しかった。焦らないようにと胸中で繰り返したが、効果があったとは言えない。


「だい、じょうぶ。怖かったけど、怖かっただけ。この取引は危険じゃない。ザレルト翁、大丈夫よ」

「誰も大丈夫なんて言えねえんだよ。おめぇ、たかだか十数年ぽっち生きた程度で言えるか」

「だって……」

「ハル、お前が取引する必要もなかった。ランプの妖精ッ子だってなぁ、殺そうと思えば簡単に人を殺せるんだ。忘れたのか」

「わかってる」

「わかってねぇから言ってるんだ!」


 唇を噛み締める。わかってるとしか言いようがない。十数年ぽっちなんて言うけど、十数年間ずっと耳にタコができるくらい言われてるんだもの、わかってる。

 わかってるからって、なんだっていうの。

 危険ってわかってるから、行動しないなんて、馬鹿げてる。


「危険でいいの。仕方ないもん。情報集めようったって、この山のことみんな知らないって言うし。地図も古いのしかないし。なんでこんなに洞穴だらけかって、ザレルト翁も知らなかったんじゃない。いまわかったから、いいでしょ!」

「そういう危ないことを娘ッ子がすんなって言ってるんだ。この老いぼれにさせときゃよかったんだ!」

「命に貴賎はない」


 怒りが突き抜けて、唇がぶるぶる震えた。命に貴賎はない。なのに、ザレルト翁は、わたしより、彼の命の方が軽いと言い放った!

 ザレルト翁が舌打ちをした。


「おめぇのしたこととなにがちげえって言うんだ。簡単に命に関わることを駆け引きの材料にしやがって。この、馬鹿が。儂はおめぇを無事に帰さなきゃなんねぇんだ」

「……」


 毛布を頭まで被る。なんて子供っぽいんだろうと思う。

 いつまで経っても、わたしは誰かの庇護下にいる。身を削るしかないのに、それをしたら誰もが叱咤する。

 がさごそ音がする。もう一枚毛布が掛けられたのがわかった。


「ちゃんと横になれ。朝日が昇ったらすぐだ」

「……」

「寝てろ」


 黙って横になる。ザレルト翁が一緒にいるのに徹夜なんて許されるわけもないので、素直に眠るしかない。

 どうしたら大人になれるのか、わからない。せめてわたしの手が届く範囲の人はみんな守れたらいいのに。守らせてくれればいいのに。ぎゅっと膝を抱えて目をつむる。


          *


 足先が冷たくて目が覚める。ぼんやりと辺りが煙っていた。朝霧が出ている。


「起きたか」


 おはよう、と言いかけて、昨夜のことを思い出して、ぎゅっと唇を噛んでしまった。ザレルト翁の右の眉が跳ね上がる。


「なんだ、おめぇ。さっさと飯食うぞ」

「……はぁい」

「水を汲んでくる。火を起こして、朝飯を作っておいてくれ」


 安全靴の靴ひもを手早く結んで、ザレルト翁が木々の間を抜けていく。昨日火の近くに置きっぱなしにしてしまったコップは、わたしの枕元に置いてあった。

 一晩を終えて、焚き火は熾火になってしまっている。木の枝で火の粉を起こして、枯葉に火を移す。細い木の枝から太い枝を放り込んでいく。あんまり大きくはできないので、ほどほどに留める。

 金属で出来た三脚をかばんから出して、焚き火の上に設置して、ちいさな鍋を置く。水筒の水を入れて、沸騰するのを待つ。

 マカロニをお湯の中に放り込む。やわらかくなったので、牛乳とチーズを固めたものを入れて、塩を適当に入れる。昨日採った野草も入れてしまおう。

 なかなかのご馳走だわ、と思う。乳製品が手に入る地方を通ったのは結構前なので、きっとわたしたちの食料を準備してくれた人が、こっそり入れてくれたんだろう。今ベースを立てている街は、火事の影響で物流が止まっていて、なんにも新しく買うこともできない。

 食べ物の在庫を見たのは、今のベースの体制が完成する直前だ。自分たちの食料として乳製品を数えた覚えがないので、患者さんたちの食事を管理しているリーダイあたりがこっそり出してくれたんじゃないかな、と思考を終了させる。

 匙で味見する。それなりにおいしいので、火からおろす。ザレルト翁の帰りが遅い、ので、ちょっと心配になったり。乾パンをスープに浸したものがザレルト翁は好きなので、みっつくらい入れておく。

 お茶を入れたいけど、もう水がない。髪の毛を手櫛で梳いて、雑にまとめる。毛布を畳んで、かばんの中を整頓しても帰ってこなかったら、確認しに行こう。

 毛布はかばんの背中側に押し込む。食べ物は外側のポケット。中心には治療器具の詰まった箱と薬の箱。替えの服とタオル類で周囲を覆っている。念のために箱を開いて中を確認する。異常はない。

 がさがさ草木を踏み分ける音がする。右手に魔法の力を集めながら、そちらを注視する。


「儂だ。遅くなった」

「ええ、遅かったわね。大丈夫?」

「ああ」


 ザレルト翁がうなずきながらあぐらをかく。スープを器に入れて差し出した。時間をかけたのは、わざとなんだろう。わたしが昨夜のことを忘れられるように。

 右手がぼんやりオレンジ色に輝いているのを、ぱっと散らす。わたし固有の、魔力の、色合い。攻撃するのは苦手だけど、弾丸のようにぶつけたら怯ませたり、気絶させるくらいは簡単だ。

 橙色の光が、地面に落ちた。


「ザレルト翁……、」

「……どうした?」

「……ううん、なんでもないの」


 反射的に笑いながら、お茶を差し出す。ザレルト翁が訝しげにこちらをじっと見ている。背筋に汗が伝った。

 


「本当に、なんでもない。ご飯食べて、すぐに出ましょう。ね?」

「……そうしよう」


 乾パンを小さく砕いてスープに入れる。冷えてしまっているので、どんどん口に入れる。器を水ですすいで、焚き火を消して、カバンを背負う。は、と息を吐く。白くなった。

 翁、とザレルト翁を呼ぶ。ザレルト、は、彼のすべての名前ではないけど、呼ばない方がいい。同じく、ハルという音も危険だろう。


「翁、ここからは、わたしが先導します」

「わかった。総領娘、従おう」


 今日はホウキをカバンに結ばないで、手に持っている。奥歯がかちかちいうのは寒さではない。覚悟を決めて、歩く。下生えを踏んで、けもの道をたどって、頂上を目指す。

 わたし、なら、道を違えることはない。運命だとか、偶然だとかの、世界に愛されているのが魔女だ。運命に出会えるまでの道のりは、ただ、信じて歩き続けるだけ。

 信じ続けることが、わたしの唯一の才能だ。

 黙々と歩き続ける。わたしたちは見つかったまま、だ。背中にずっと冷たい汗が浮いていて落ち着かない。


「鳥もいない」

「え?」

「いや。鳥も動物も見かけていないと思っただけだ。進もう」


 ザレルト翁の言葉に空を見上げる。確かにそうだ。この山で動いているものを見ていない。

 眠っている。そういうことなんだろう。



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