ハル・シオンと岩根の脈 -3
「あの、わたしたち、隣のお家の様子を見に行こうかしら。帰りがけに見るくらいなら、少しだから大丈夫よ」
「ああ……いや、それもこちらでやっておこう。院長先生がいるが、見知らぬ人が来たら気にするだろう」
「わかったわ。じゃあ、診療所に戻ります。テクタさん、なにかありましたら、診療所に来てください。総領娘をと言えば、みんなわかります」
「ああ、ありがとう。はやく戻りなさい」
素早く準備を始めた二人に会釈をして、院長と連れ立って宿屋を出る。もう吹雪いてはいない。鼻の奥底まで凍りそうなくらい寒かった。上着のフードを被って、ホウキにまたがる。高くする必要はないし、急いでもいないのでゆっくり飛ばす。
院長がすいっと穏やかに加速しながら、わたしの横に並ぶ。このタイミングしかないかもしれないので、わたしから口を開く。
「犯人は、レトです。シュタインさんにも、伝えてあります」
白いものが混じった眉がひそめられる。子どもたちの授業も受け持っている人なので、レトと少しは面識があるはずだ。ハルさんの弟さんと妹さんは優秀ですねとわざわざ言ってくれたこともある。
落ちそうになる視線を、どうにか前に持っていく。ピンで留めて、背中に流したままの布がばたばた暴れている。街頭がぱちりぱちり揺れている。
「……すみません、本当に。ご迷惑をかけて……」
「なにも、ハルさんには、迷惑をかけられてはいませんよ。ええ、でも、そうですか。少々困ったことにはなりそうですね。私は、今すぐお屋敷の方に行くのがよいかもしれません。……ハルさんは、どう思いますか?」
かばんの紐を手癖でいじりながら、しばし考える。わたしの判断、というより、魔女の判断を仰ぎたいのだろう。どちらでもいい、と、思う。院長はこの街で長いので、お屋敷にいるような立場のある人と話さないといけないかもしれないけど。でもそれは、もう母がやっていることだ。
いま診療所に誰がいるだろうかと頭を回す。母はまだお屋敷だろう。伯父はたぶん診療所だ。こちらの状況を細かく知っている院長はお屋敷に、わたしは診療所にと分配すべきか。逆でもいいかもしれないけど。
ただ、ラジオは置いて来てしまって、魔法以外の連絡手段がなくなったので、二手に分かれるのは悪手かもしれなかった。吹雪はやんだとはいえ、わたしにとっては不慣れな土地なので、なにがあるかわからない。
「……今は、診療所に戻りましょう。お屋敷に行かないといけないのは、そうなので、母と伯父に相談しましょう。いま遭難したら大変ですから」
「そうですね。また吹雪いてくるかもしれません」
「ええ」
「こんな雪の中で、レットさんは、寒くないといいのですが」
「ええ。ええ、本当に」
「……罪の、御柱様のもとに、と聞いています。レットさんが罪の御柱様からお役目を戴き、あの人たちを殺したのですね」
はい、と小さく答える。罪の御柱様の手足たる魔女とは、何度か会ったことはある。黒いとんがり帽子と、黒い服。朗らかな笑い声。そんな人たちだった。あの人たちも、人を殺すと本人から聞いた。どういうことだかわからないまま、そうなのと幼いわたしはうなずいたのだ。
院長が自分の顔から雪を払う。もう診療所は近い。
「お役目ならば、仕方のないことです。街の長様にも、そう説明すれば、追手はかからないのではないでしょうか。お役目であるのなら、このことは罪ではないんですから。ああ、すみません、余計なことを言いましたね。ハルさんならおわかりでしょうに」
「いえ……」
曖昧な返事をしてしまった。わたしには、どうしようも、なにも、できなかった。一際明るく輝く白いランプが視界に入った。白い布がわたしたちの印だけど、夜や、悪天候の中だと灯りを使う。診療所だと、屋根と門にひとつずつ置いてある。門の前に降りて、裏門へ回る。
扉を開いて、衣服から雪を落とす。夜、開きっぱなしにしていたせいで、中が水でぐちゃぐちゃになっている。靴の乾いた血が解けないようにすぐさま脱いで、手に持つ。靴下が冷たい水で濡れる。
まだ早朝だけど、もう人が動き出している気配がした。大きな荷物をがちゃがちゃさせながらできるだけ人通りの少なそうな廊下を選んで、奥の母の部屋まで向かう。伯父がいるか無人だろうけど、あまり目立つ場所にいるべきではない。部屋の前にあるフックにホウキをかける。ノックもせずに、重たい扉を開く。
ろうそくが、一本だけついている。ソファから人影が起きた。
「おかえり、ハル、院長。テトが寝ているので、お静かに」
ただいま、とロジンにささやく。ここに来て涙がこぼれそうになる。深く息を吸い込んでいるあいだに、ロジンがこちらにやってきて、わたしの手から荷物を取る。部屋に置いてある油紙を出してきて、その上に濡れているかばんを置く。このまま座ったら、動けなくなりそうだ。立ったまま靴下と上着を脱ぐ。
「院長、お洋服も預かります。乾かしておきますね」
「ええ、すみませんがよろしくお願いします」
少々お待ちくださいと言いおいて、わたしと院長の上着を持ってロジンが部屋から出て行く。タイツだけなので、さすがに寒いけど、濡れるよりはマシなはずだ。ロジンが横になっていたソファをそっとのぞいたら、頬に涙の跡が残るテトが寝ていた。
借り物の手袋は、少し湿っている。やはり今夜はそういう夜なのだろうと思いながら、テトの髪を撫でる。
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