ハル・シオンと岩根の脈 -18
人間であれば、無責任な話しを聞かなかったことにしてくれるだろう。ただ、そんな都合のいいものばかりが生きている世界ではない。
「妖精や神様は、七人の魔女のことを知っています。まさか彼女たちが、無差別に人を殺しているかのような話しが、人外のものに伝わったら、わたしたちでは責任がとれません」
「わかっています、それくらい。でも、ここで人が殺されてたのも事実じゃないですか。だれも詳しいこと教えてくれないし」
「じゃあ噂話なんてしてないで、わたしに質問をしてください。なにを知りたいんですか」
「あ、あの、ちょっとすみません」
詰め所の入り口から、慌てたように男が入ってくる。こちらは見覚えがある顔だった。あまり話したことはないけれど。
「すみません、すみません、失礼しますね。すみません、この子、先週、旅団に入ったばかりでして、あまり詳しく知らないんです。僕から説明しておけばよかったです」
「……そうですか」
「ええ、すみません。ちょっとバタバタしていて、挨拶もできなかったものですから。本当にすみません。ちょっと僕から説明してきますね。すみません、セルアさん、僕からお願いしたんですけど、ちょっと連れて行きますね」
行こうかと言って、二人が出て行く。あからさまに納得が言ってないようにふくれっ面になっていたのが視界に入ったので、ため息が出た。わたしより年上だろうに、あんな態度をとられても。
ここにいるのも気まずいので、出て行くことにする。引っ張り出したカルテを元のところに戻して、背表紙をそろえておく。
「病室の方、見回りしてから、少し母と話しをしてきます」
「あ、はい、わかりました。ついでで申し訳ないんですけど、この書類を長に渡してもらっていいですか」
「はい。渡すだけでいいですか?」
「渡すだけでいいです。お願いします」
じゃあ行ってきますと一番年上の人に言い置いて、詰め所から出て行く。熱心に散歩している患者さんに声をかけながら、廊下を奥の方へ歩く。人前に出てるんだから、表情はいつも通りを心がけないといけなかった。
ぐるっと大回りで病室が並ぶ廊下を回る。とりあえずは異常なし、ということでさらに奥へ向かう。長が使う仕事用の部屋は、病室の並びの一番奥だ。病院は、静かなのに、大勢の気配がするから、本当に不思議な空間だ。母の仕事用の部屋の扉は薄く開いていた。一応ノックして、返事を待って入る。
「失礼します。母さん……、」
灰色の外套が、まず目に入った。遠出するときに着る、分厚くて丈夫で、重たい服。
「どこかに行くの?」
「ええ、山の向こうの街まで。エルマさんが、早産になりそうだって、奥様から連絡が来たから」
いつもどおりの、必要な情報だけを並べる母の言葉に、反射的にうなずく。生まれるのは、雪解けのころだという話しだったけど。
「お腹が張っているみたい。三日くらい続いているみたいだから、来てくれって」
「そう……」
「なにかあったの」
知らず知らずのうちに下がっていた視線をあげる。薬や処置の道具をかばんに仕舞う母の手は止まらないし、わたしの方を見ているわけでもなかった。忙しそう、と黙りそうになるのを止める。
「隣街で、風邪が流行っているって。死者も十人を超えたって聞いて、母さんは知っているかなって思って」
「……そう」
母が眉を寄せた。知っているなら、知っているってわたしの言葉を遮ってでも言うだろう。伝えに来てよかったのだと安堵のため息を心の中だけでつく。
「どうしても冬は、亡くなる方が増えるものだけど、十人はひどいわね。このあたりで、そんなにひどい風邪があるなんて、そんなに聞いたことないし、わかったことがあったら連絡するわ」
「うん」
「兄さんに申し送りは終わっているから、困ったことがあったら兄さんに言って。お屋敷の人と一緒に行くから、わたしの心配はいらないわ。それじゃあ」
「うん。行ってらっしゃい」
母のために入り口から退いて、黙って見送ろうとしたら、わたしの目の前で彼女の足が止まった。もう行先に心が飛んでいる母が、足を止めるのは本当に珍しいことだ。なにか言い残したことでも、と待っていたら、いつまで経っても声がかからない。それこそ珍しいことだった。
表情はいつも通り。しかめっ面。かばんを背負っているせいで、少し猫背になっているのは遠出のときの、母の後ろ姿。もう白いものが混じる髪は一筋の乱れのないお団子にして、化粧一つしていない肌は、少し荒れていて、眉と口元に厳しい表情のせいでしわがついてしまっている。
「母さん?」
「なにか」
言葉にためらう。話し慣れていない丁寧な言葉を話すような。
「……なにか、困ったことがあったら、兄さんに言いなさい」
「ええ。さっきも言ったわよ、母さん」
「……あなたの、父さんでも、いいのよ。相談するのは」
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