ハル・シオンと岩根の脈 -20

「ジオンさんのところ? おれが行こうか」

「いいの。ロジンも忙しいでしょ」

「ああ、いや。長様に会いたかっただけなんだ」

「母さんはいないわ。さっき隣街に出発しちゃったから」


 大きく息を吐いて、肩から力を抜く。まだ耳の奥に風のうなり声が響いているような気がした。足元が少しふわふわしている。父がいるであろう薬局の方へ歩き出す。


「ああ、そうなんだ。……ハルは、隣街で風邪が流行っているって、聞いてる? 死者も出ているって聞いたから、一応報告しておこうと思って」

「ええ、知ってるわ。母さんにも伝えたし、おじさまにも」

「ならいいか。……あまり、大事にするつもりはないんだけど」


 ロジンが短く息を吐いた。また背が伸びたのかもしれない、と顔を見上げながら思う。彼ばっかり背がぐんぐん伸びて、わたしはずっと何年も変わっていない。


「隣街に、おれの家族が行商で来ているから、ちょっと話しを聞いただけだけど。住んでいる人はもうずっと家に引きこもりっぱなしみたいだ。それで少しは感染が止まったらいいけど」

「まあ」

「一昨日六人目が死んだ……亡くなったって。向こうはこれから寒さがひどくなってくるころらしいし、少し心配かもしれない。小さな診療所しかないしね」

「そうなのよね。旅団の人もいないからあまり情報が入ってこないし。……もしかしたら、もう少し情報提供をお願いするかもしれないわ。いい?」

「もちろん」

「あなたのお母さまたちは、お元気そう?」


 ロジンは、もう数年は家族と会っていないはずだ。生まれも育ちも旅団のような生活をしているけど、彼は家族がほかにいるし、帰る場所はここではないのだ。

 ふつう、外からやってきた人たちは、年明けのころにはお休みをもらって、外へ帰るものだ。チオラだって、イーニーではなく、もう少し西の方で長逗留をするときは休みをもらって、彼の家族に会いに行く。

 なんとなく顔色をうかがってしまう。普段通りの顔で、ロジンはうなずいた。


「まあ、それなりに元気そうだよ」

「……もう少し早く言ってくれたら、休みとれたのに。今からでも……」

「いや、いいよ。こんな雪ばっかりなのに外に行くなんて、さすがに億劫だ」


 ぱっと手の書類を取られる。


「これがジオンさん宛ての? 渡してくるよ」

「いいってば」

「さっきの話しをジオンさんにも伝えに行かないとって思ってたんだ。作る薬が変わるだろうから」

「……」


 唇をそっと撫でる。ロジンの魔法はいつも丁寧で穏やかだ。


「……じゃあ、お願いするわ……」

「うん」


 丈の長い上着をわたしの肩にかけて、ロジンが立ち去った。手で顔を覆う。自分の手も顔もあまりに冷たくて、すべてどうしようもない。涙は出ない。頭が痛い。どこにも行けないのだ、と思いながら詰め所の方へ踵を返す。

 診療所ではたらく人たちが、レトやテトのことをあれこれ言うのも、それに疲れ果てているのも、父母との関係性も、彼に言えばいいのだとわかっている。誰にも言えないまま、ここでの暮らしを続けている。

 リーダイもチオラも、ときおりわたしに釘を刺す。わたしたちに話してもいいよと、夜、部屋に訪れてくれることもある。こうやって一人のときなら、言いたいことがいくつも胸に浮かんでくるのに、対面すると出てくるのはなにもないわという言葉ばかりだ。

 いつか、彼には話そうと思いながら、わたしは今日も逃げ出した。

 ざっくりとした編み目の上着だけがほのかに温かくて、小さいころに母からかけてもらった魔法のようだった。

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