ハル・シオンと身中の毒 -11

「……母さんも父さんも、わたしにはいるわ」

「いつからあの方たちと話してない? 仕事の話しは抜きだよ」


 のろのろと視線をあげる。窓は閉じている。


「……そういう人たちを、親っていうのかは、おれはわからない。お互いが満足しているなら、それでいいんだと思う。けどね、ハル、ハルは」

「もういい」


 手を引き抜く。


「……もう、いい」

「うん」


 蜜色の瞳が少しうるんでいるのを見てしまった。ぱっと顔をそらして立ち上がる。

 わたしはまた、道を間違えたのだと、思う。

 いつもわたしの臆病のせいだった。



          *


 長様の部屋はいつも通り大きな暖炉に火が焚かれていて、薄暗かった。セルアさんと伯父の後について入る。椅子を勧められたのをやんわり断る。長様が真っ暗の服に身を包んでいる。

 人の死を話すとき、いつも自分たちの服装が場違いに思えて仕方ない。すべての街がそうというわけではないけど、たいていの喪服は黒で、白は祝いのための衣装だった。伯父が低い声で挨拶をする。セルアさんが一歩前に出て、何枚かの紙を机の上に置いた。びっしりと文字が書かれている。


「それでは、昨日のことをお話しいたします。16時半ころにお屋敷からご連絡をいただいて、10分後にはわたしとハル・シオンで出発しました。ハル・シオンだけが先行してお屋敷に向かいました……」


 淡々とした言葉が、部屋に低く流れていく。空気は凍っているけど、まだマシな部類だった。遺族は泣いてないし、激昂もしてないし、怒鳴りつけてもこなかった。記録を作ったら遺族に見せるのはいつものことだけど、破り捨てられることもあると考えると、黙って目を通してくれているだけ、有難いことだった。

 心肺蘇生を30分以上行い、魔法も使って、それでも蘇生が叶わなかったことを告げて、セルアさんが大きく息を吸った。


「ヤナ様のことですが。……ご妊娠をされていたと、」

「ああ、そうだが」

「妊娠をされている方は、一般的な心肺蘇生法の効果が薄くなる可能性があると言われています。……旅団にはあまりデータがありませんので、信頼できる数値をお話しすることはできませんし、そもそも、その手段に圧倒的な効果があるわけではありませんが。わたしたちは妊娠されていることに気付かず、一般的な手法を使用しました」

「……そうか」

「わたくしどもの力が及ばず、大変無念です」


 そうか、と長様がもう一度言う。ぱさりと紙が机の上に散乱した。


「……総領娘よ」

「はい」


 自分がいったいどんな顔をしているのか、まったくわからないと思いながら返事をする。暖炉の火が大きく揺れて、長様の顔が影になったり、明るくなったりして、表情が見えなかった。


「昨夜は、すまないことをした」

「いえ……」

「いや。お役目以外のことを、乞うた。叶えてくれたことに感謝する」


 乾いたと思っていた涙が、目に浮かぶ。黙って顔を伏せる。


「友達がくるのだと娘はずっと喜んでいた。娘をこの屋敷まで訪ねてきてくれたのは、お前しかいなかった。あの日はずっと楽しそうに話していた。……よかったのだと思う。あの子は、長らくつまらない日々を送っていたのだろう。楽しかったと笑っていたのが、儂は、最後に見ることができたのだ」

「……わたしが。……わたしも、ヤナと、話して、……励ましてくれました」

「優しい子だった。愛おしい子だった」


 長様が背筋を伸ばした。


「旅団の迅速で正確な対応に感謝する。のちほど報酬を送らせる。我が娘の妊娠は、公表はしたくないのだが、叶うだろうか」

「このことを旅団で知っている者は、わたくしども三名と、あと三名です。決して口外はいたしません」

「それなら良い。……これが、運命だったのだろう。あの子が定めた、決めたことだったのだろう」


 帰ってよいと言われて、黙って頭を下げる。雪が降り積もるような沈黙を背負って、部屋から出る。すぐ外にロジンが荷物をすべて抱えて待っていた。ホウキを差し出されたので、受け取る。

 診療所に帰らなくてはいけなかった。お世話になったとラウラさんにお礼を言って、屋敷から出る。まだヤナの死を知らない街は、お祭りの花も屋台も残っていて、お祭り衣装を着たままの子どもたちが走り回っていた。

 先を歩く大人二人が何事か相談しているのを、途切れ途切れに聞く。本当は明日が出立の日だった。せめてヤナの訃報が知らされるまでは待った方がいいだろうと伯父が言う。三日四日はずれ込みそうだ。冷たい風が吹いた。顔をあげたら、風の妖精たちが銀の手を差し出していた。


「あ……、ごめんなさい、おじさま」

「どうした」

「風の精たちが」


 遊ぼうよと声がいくつも重なる。昨日風を貸してもらったから、あまり断りたくはなかった。遊びたい気持ちでも、ないけれど。


「行った方がいい、かも、しれない。お昼ご飯の前には戻ってこれると思う」

「ああ……」


 ぶわっと風の精がわたしの体を包み込む。銀の手と髪、にゅっと笑う目。ぎりぎり聞き取れる高い声。わたしたちと遊ぼう?


「ああ、大丈夫だ。行ってきなさい。……あまり、街の方には行かないように」

「ええ」

「おれは……」

「ううん、わたしが誘われているから」


 ホウキにまたがって地面を蹴ったら、いつもの数倍は上へ跳ね上がった。ぎょっと息を吸い込む。きゃらきゃらと笑い声が響く。

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