ハル・シオンと凍り野の底 -8

 そんなに忙しいタイミングだっただろうか。また改めた方がいいかもしれない。ヤナの部屋の前で足を止める。ラウラさんが重たい木の扉をノックして開く。


「ヤナさま。ハルさまがおいでになりました」

「どうぞ」


 部屋の中から、ふわっと暖かい風が吹いた。シンプルなワンピースにショールを羽織ったヤナがかすかに笑う。


「ようこそ、ハル。どうぞ入って。ラウラはもう戻ってて」


 失礼しますと言い残して、ラウラさんが出ていく。扉が閉まる重たい音が響いた。


「ごめんね、少しばたついていて。そちらが?」

「ユー・ロジンといいます。ロジンと呼んでください」

「あたしはヤナ。どうぞよろしくね。あのね、そんなに畏まらないでちょうだいね。ただの友達だと思ってくれると嬉しいのだけど。さ、座って」


 机の上にバスケットを置く。今日もヤナは刺繍をしていたらしい。刺繍糸がきちんとしまい込まれている木箱の蓋をヤナが閉じた。ロジンと並んで椅子に腰かける。


「あの、なにか忙しいときだった? また改めてこようか」

「ううん、大丈夫。あたしは忙しくないから。お父様たちが忙しいだけ」

「でも……」

「本当に大丈夫よ」


 これ以上言うのは、逆に失礼だろう。バスケットの布をさっとはらう。


「ホットワインにしたらおいしいワインを持ってきたの。あと、果物とシナモンと、はちみつ。長様は、こういうの、子どもが飲んでも気になさらないかしら」

「雪山で暮らしているんだもの。少しのお酒は、こんな小さな頃から飲んでたわ。ありがとう。ごめんなさいね、あたしのわがままで来てもらったのに、お土産までいただいてしまって」

「ううん。お邪魔しているのはわたしたちだもの。診療所に来たら、さすがにゆっくり話せないだろうし」


 ちょうどよくラウラさんが入ってきて、お菓子とヤギのミルクを置いていった。やはり忙しいのだろう、すぐさま出て行った。ヤナが小さく息を吐く。


「さあ、食べてちょうだい。寒かったでしょう?」

「昨日でずいぶん雪が深くなったみたい。長様の体調は大丈夫かしら。寒さで、古傷が痛むでしょう」

「朝食のときは少し機嫌が悪そうだったから、もしかしたら痛んでいるのかもね。でも、あたしには、絶対に言わない人だから……このあいだハルのお母さまが薬をたくさん置いて行ってくれたから、きっと大丈夫よ」


 それならいいのだけど。母と診療所の医師が主治医なので、横からわたしのような未熟な人間が口を出すわけにもいかない。緊急性がないならそれでいいのだ。


「ロジンさんは、こんな山の中に来て不便ではない? これからうんと雪が降るし……」

「かなり昔ではありますが、イーニーには何度か来たことがあるので、大丈夫です。冬に来たことはなかったので、雪の量には驚きましたが」

「あら、何度も来たことあるの? 旅団に入って?」

「ああ、いえ、親が織物商人なんです。イーニーの街は、織物と刺繍が素晴らしいので、何度か仕入れに来たことがあります。服にも敷物もそろっているし、質がよいものばかりなので、いろんな街で人気なんですよ」


 まあ、とヤナが笑う。ヤナは織物も刺繍もするので、褒められて悪い気はしないだろう。ひつじの毛を刈って、丁寧に梳かして、花で染色して、一本一本糸にするまでを雪が降るまでに済ませて、雪に振りこめられているうちに一気に織物にして、暖かくなったら他の街に売りに行くらしい。自分たちの食べる分しか農耕ができない街なので、織物や刺繍は貴重な財源だ。


「うちには織物くらいしかないから……でも、うちのひつじは丁寧に育てている自信はあるわ。それに、織物にするまでもうんと手間をかけているわ。毛はね、ちゃんと刈った部位ごとに分けて、決して混ぜたりしないの。作るものによって、使う部位を変えてるから」

「そうなんですね。たしかに、糸もほかのものと比べて均一で丈夫だって評判でした」


 ふたりの共通の話題が見つかったので、少し安心する。わたしだって別に誰かと話すのが得意というわけではないので、今日はもしかしたら気まずい時間を過ごすかもしれないと覚悟していたので、なんとかなりそうで胸をなでおろす。

 イーニーの街で買う服は暖かいものばかりなので、旅に重宝するのだ。ひつじの種類だの、染料の相性だのを盛んに話しているのを相槌を打ちながら聞く。わたしは医術のこと以外の知識が浅いので、あまりにも専門的なことになるとわからない。

 仕舞っていた刺繍糸を引っ張り出してあれこれ話していたヤナが、わたしの方を見てはっと息をついた。


「ああ、ごめんなさい。あたし話しすぎちゃったかもしれないわ」

「まさか。ふたりが話せることがあってよかったわ。ロジン、ヤナの刺繍を見てちょうだいよ。わたしはイーニーの街で一番だと思っているわ」

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