ハル・シオンと穿つ花 -3

          *


 毛布の隙間に冷たい空気が入り込んで、目が覚めた。


「どうしたの、レト……」

「ごめん、」


 外は暗かった。小さく火が揺れているのだけ見えた。


「トイレ、いきたくて」

「そう……」


 外に出していた右足が凍りそうなくらい冷たくなっている。レトが靴をつっかけて外に出ていく。ザレルト翁と低く言葉を交わしているのが聞こえた。頭がすっきりしている。よく寝た。

 足首が凍ったみたいだ。その代わり痛みはだいぶ引いている。髪の毛を手櫛で整えて、目をごしごし拭う。ゆっくり立ち上がる。テントから出たら、丸い月が見えた。


「ザレルト翁、代わるわ」

「……応」


 なにも説得していないのに、ザレルト翁が立ち上がったので、ついきょとんと見上げてしまった。ザレルト翁が苦笑してわたしの頭をぐしゃぐしゃ撫でた。


「どうせお前は聞かんだろう。朝日が昇る前には起きる。からだがつらかったら言え」

「……うん」


 眠そうな顔をしたレトが戻ってくる。ザレルト翁がその手を引いてテントに入る。毛布にくるまっていたときの温もりはもう立ち去っていた。ザレルト翁が残していった毛布を羽織る。翁の体温が残っていて温かかった。

 こぶしひとつ分の炎が揺れている。コップに水を入れて火の近くに置く。冷やしすぎた足首を撫でさする。凍傷にでもなりかねない。反省せねば。

 膝を立てて、頬を預ける。細く長く息を吐いて、白くなった吐息が口の端から出ていくのを眺める。寒い日の野営は辛いことばかりだけど、嫌いではない。

 舌が火傷する寸前のお湯をゆっくり飲み込む。食道から胃まで、液体が滑り落ちていくのを感じる。体性感覚。

 右の足の小指を撫でる。足首。くるぶしの内と外の骨。膝の骨にあたっているのは頬骨。横に向けていた顔を地面に向けて、膝の骨で眼窩をなでる。からだをひとつひとつなぞる。意識を落としきらないように唇を噛みながら両方の目をつむる。顔が寒さでぴりぴりするので、膝と顔のあいだで何度も息を吐いて温める。

 顔をあげる。手袋を外して、手を握ったり広げたりしてみる。人生の大半を手袋を着けて生活しているけど、不自由と不愉快の象徴であることだけは変わりなかった。

 どうしてわたしばっかり、と駄々をこねたことは何度もある。ひとりだけ違う食器、違うデザインの服、分けられたテントと寝具。総領娘としての教育もあったせいで、同じ年ごろの子たちとは、あまり交流なく育てられた。

 つらいことばかりでは、なかったけれど。どうしてわたしなの、とずっと言っていたけど、十になったときにやめた。

 将来の伴侶を選べと、同じ年ごろの男の子たちが、陳列された商品のようにわたしの目の前に何人も並んだ時に。やめた。

 ふうふうとコップに息を吹きかける。紅茶にした方がよかったかもしれない。なんだっていいのだけど。

 どうしてあんな、残酷なことができたのだろう、といつまでも考えてしまう。顔も合わせたことの無い人を、何人も連れてきて、ひとりを選べなんて。人間にすべきことではない。

 六人のうち、四人は自分の家族の元へ帰った。

 ひとりはわたしに選ばれて。

 もうひとりは天に召された。

 あんまり考えるべきじゃあないわ、と小さく口に出す。毛布を頭から被ってかきよせる。火が揺れて、複雑に重なる影を生み出す。ぱちぱち薪が音を立てているのが、耳にやさしく響いた。暇だとうっかり寝てしまいかねないので、手慰みにウェストポーチを開いてみる。エニシダがずいぶん減ったので、くたりと力のないシルエットだ。

 綿のハンカチを地面に敷いて、その上にエニシダを出す。乾かしたものがひと握りしか残っていない。濃いブルーの、細いリボン。親指の先ほどの小さな鐘が三つ。大中小のピンセット。ガーゼ、包帯、三角巾、テープ。消毒液。飴玉がいくつか。

 ウェストポーチの中は個人の趣味が大きく反映される場所だ、と、思う。わたしはエニシダをたくさん詰めてしまうし、ロジンはわたしの髪を整えるための道具が入っている。ザレルト翁はナイフを何本も入れている。

 ロジンに押し付けられた木の櫛がカバンの奥底から出てきた。本人はいないけど、ちょっと気まずくなる。

 上等な櫛なんだろう。確か桃の木だと言っていた。取っ手には花の模様が彫られて、そのひとつひとつに藍色の塗料が流し込まれている。本来ならば植物の油を染み込ませて、長く使い続けるものだ。わたしに根気と時間がないせいで、ただの凡庸な櫛としてポーチの底で眠ってしまっているが。

 頭から毛布を落として、髪の毛を梳く。ロジンが毎夜毎夜に梳いて、油を塗って、傷んだものを一本一本切って、絹の糸のように整えてくれる髪の毛だった。たかだか一週間くらいほったらかしにしただけなのに、毛先がぱさぱさに乾いている。嫌だわ、と呟いて櫛をカバンの奥底に仕舞った。こんなにすぐ傷つくものが自分にあるなんて、嫌なことだった。

 ウェストポーチの中にいつも通りの道具を詰め直す。そろそろ肩に回して固定しているベルトを交換した方がいい。あの木にぶつかって落ちたせいだろう、大きな傷が走っていた。親指でささくれた皮を撫でる。

 ああ、と息をついたときだった。

 木の隙間で、灯りが揺れた。

 毛布が地面に落ちるのも構わず立ち上がる。ずきりと大袈裟に傷んだ足首が、ぼんやりしていた頭を鮮烈に叩き起す。ホウキは手元にない。指先が濃い橙色に光った。

 生来、攻撃は得意ではない。


「……だれ」


 ぶるると馬が小さく鳴く声がした。草を踏み分ける足音と、低く抑えた声がした。

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