ハル・シオンと強霜の森 -16


「もしかしたら、母さんがお産の手伝いに行くかもしれないわ。当然他の人になるかもしれないけど、エルマさんのことなら母さんが行くのが一番いいでしょう。あの子は人見知りだから」

「そう……」

「いまおおむね八か月らしいから。そのときまで教育が続いているようだったら、母さんの兄さんに頼んでいくから。その頃には終わっていると思うけど」

「わかった。八か月? もう臨月が近いじゃない」

「ええ。あちらには、旅団はいないらしいから。連絡があれば人を送ったのに」


 そうね、とうなずく。少しなら人手は出せるから、とわたしも言い置いて帰ってきた。恩を売るわけではないけど、そのくらいはしないといけないだろう。この街からわたしたちが受けている恩恵は大きい。さらに違う街に顔を売れるなら、人を出す利点は充分あるだろう。

 街の長の家系の人が妊娠したなんて、重要な情報なので手紙には書かなかったのかもしれない。結局わたしたちは部外者なので、言えないことも教えてはいけないこともたくさんあるはずだ。いちいち気にする必要はない。

 母さんは産婆として働いていたときが一番長いし、立場のある人を看るにはふさわしいだろう。わざわざ口を出すような理由は見つからないので、相槌を打つ。


「教育は明日から始めるわ。今日はゆっくり休みなさい」

「はい」

「お屋敷で失礼なことはしなかった?」

「しなかったと思うけど。ヤナとご飯を食べて、話してきただけ」

「そう。わかったわ」


 じゃあ、と言って立ち上がる。もう夕食の時間が近い。母はいつも通り一人で食べるだろうし、レトとテトがいる部屋に行って、子どもたちと一緒に食べよう。それまでに荷物も片付けたいので、母の部屋から出ていくことにする。

 母も特に引き留めはしなかった。廊下をまた一人で歩いて、自室まで戻る。隣のロジンの部屋は静かだった。まだよそよそしい空気のままの自室に入る。部屋の家具は以前来たときのままだ。アルコーブベッドにはシンプルなシーツがかかっていて、そろいの丸机と椅子、本棚。ガラスのランプ。暖炉が扉の真正面にあって、その上に換気のちいさな窓があって、雪除けのための油紙がぱたぱた風にはためいていた。油紙を背伸びして剥がす。きっと診療所で働いている下働きの人たちが掃除してくれていたのだろうけど、人が出入りしていない部屋はほこりっぽい。重要な客人が来ない限り、こんな奥の部屋は使われない。

 丸椅子に腰かけて、ずっとはめていた手袋を外す。お茶でも貰ってきたらよかった。中途半端な時間で帰ってきたせいで、荷ほどきするのも微妙だ。立ち上がって、本棚の前に立つ。こういうわたしたちが長期間滞在する建物では、旅団の集めた書籍や論文を集積してある。こういう書籍は高価で貴重なものだし、新しいものは旅の途中で集めてもあまり読み込めないし、持ち歩けるのは少しだけだ。この逗留のあいだにたくさん本を読まないといけなかった。

 それとは別に、旅団を統率する人間としての勉強もしないといけない。お金の使い方も、旅をするための知識も、人の使い方も、わたしには足りないことばかりだ。今日の長への挨拶だって、反省しないといけないことはあるだろう。街によって礼儀作法は変わるし、立ち入ってはいけない場所があったり、使えない医術があったりして、面倒なことこの上ない。よく行く街は決まっているけど、その分の勉強だけで数年かかる。

 椅子の背もたれにもたれたら、ぎしりときしむ音がした。室内履きを踵を踏んで脱いで、踵を椅子に乗せて膝を抱える。村の娘たちや、旅団の女衆が当たり前に知っているお裁縫や、流行りものの服装、異性から贈られる花の意味、お化粧の仕方、肌を丁寧に整える方法を、わたしは知らない。魔女としての知識も足りないだろう。

 旅団にすべてささげたのだ。時間もなにもかもを。


          *


 こんこん、と控えめなノックの音で目が覚めた。いつの間に寝ていたのだろう。寝ぼけた声で、どうぞと返事をする。ドアが細く開く。


「ハル姉さん、お邪魔します。お休みですか?」

「テト……」


 うんと背伸びをする。何時くらいだろうか。変な体勢で寝ていたせいで肩がばきばきした。椅子から足をおろして立ち上がる。


「お夕飯にいらっしゃなかったようなので、どうしたのかなと思って」

「ううん、寝ちゃってたみたい。まだみんなご飯食べている?」

「いえ、もうほとんど食べ終わっていると思います。調理場も、もしかしたらもう火を落としているかもしれないです」


 やってしまったと息を吐く。調理場の火を落としたら、食器のたぐいの後片付けを始めているだろうし、わたしのためだけに料理を温め直してもらうのは気が引ける。今日は特に忙しかっただろうし。手持ちの携帯食で済ませるしかないかもしれない。

 テトが困ったように笑った。


「やっぱり、お食事もらっておけばよかったですね。ごめんなさい」

「謝らないでよ。姉さんが寝てただけなんだから。テトとレトはもう食べたの?」

「ええ、はい。湯あみもさせてもらいました。レトは、今朝のおねぼうの罰で、お掃除してますが。わたしもレトも、もう寝るだけです」


 湯あみは街にいるときしかできないことだった。とりあえず、レトとテトが過不足なくこの街で受けられるものは受け取っているのでよかったと安堵する。悪気なくこの二人が忘れられることはままあることだ。自分が気を回せばいいだけだけど、なにも考えずに休んでしまったので。

 ここに来るまではリーダイとチオラが一緒だったので、そんなことにはならないと思うけど、出発するときに一言置けばよかった。

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