ハル・シオンと炎の街 ‐7
*
明日から野宿です、とわたしは松明の前で言い放つ。レトが行方不明になって、早くも三日が経っている。
走り書きを盗み見ながら明日の予定を伝えていく。
「日の出と共に、三人一組で各方角に出発です。食糧はあとで各自で受け取って、足りないものは足して。どの方角に行くかとどういう地理なのかは、同じ班の人とも確認して、相談して」
紙をめくる自分の指先から、エニシダの、レモンに似たにおいが香った。わたしたちを昔から守ってくれている植物で、魔法を使う助けにもなるし、薬にも嗜好品にも、ホウキの穂先にもなる素晴らしいものである。こまごました質問や確認に答えながら、誰もこのにおいに気付かないように手袋をはめる。昨日よりにおいが強くなってしまっていた。
地図を広げる。もう見なくったって丸暗記しているのだけど。
「二日で行って、一日で帰ってくる。三日間。これで見つからなかったら、レトの捜索は打ち切りとします」
値踏みするように、全員がこちらを見た、と、思った。わたしは地図の上に置いた指に力を入れる。
「みんなが三日の捜索から帰ってきたら、入れ違いでわたしが出る。二日山を探して、三日目のお昼には帰ってくる。その間も、この近隣は捜索します。日程表はもう一度確認して」
ハル・シオン、とやはり低い女の声がした。
「ハル・シオン、山でも見つからなかったら、どうする」
「さっきも言ったじゃない。捜索は打ち切り。これ以上、わたしたちにできることはない。……手がかりひとつ見つかりやしないんだもの」
やつあたりしそうになるのをこらえる。冷静に振る舞い続けるのは、本当につらいことだと、苦く奥歯をこすり合わせながら考える。短気なわたしが悪いのだけど。
身内の執刀や捜索の指揮を年若い人間にさせるのは、いわゆる通過儀礼というもので、いつかわたしにも訪れることは昔からわかっていた。リーダイは従兄弟が川に流れた時の捜索隊を指揮したし、チオラは自分の祖父の手術を行った。
母や他の人に、この捜索を変わってほしいと願うことは、できるのだけど。母の叱責や、周りの大人たちの反応を考えるだけで頭が痛かった。
「ハル」
腰に手が当てられた。ロジンが静かな口調でわたしの周りにも聞こえるくらいの声で言う。
「荷物がテントに届いてる。明日の計画の説明ならおれがやれるから、行ってきて」
「でも……、」
「なにか問題があればすぐ呼ぶ。行って。チオラが待ってる」
ぐっと腰を押されたので、黙ってうなずく。篝火がゆらゆら揺れている。こんな夜遅くに荷物が届くなんて、いったいなんだろう。小走りでテントに向かう。
テントの布をかき分けて中に入る。ランプがいくつか灯っているだけで薄暗かった。真ん中のランプの下でチオラが立っている。
「チオラ、荷物があるって聞いたけど。なあに」
「宛先はハルだけど。知らないの」
「うん」
油紙の包みを渡される。確かにあて名はわたしのもので、いつも衣服を頼む店のサインがある。紐をほどいたら、深い灰色の羽織が入っていた。馬車も馬のなしの、体一つで旅をする時の外衣だった。
「これ、だれが?」
「僕はロジンから渡されたけど。ハルは、外衣持ってたよね」
うん、とうなずいてふたりで首を傾げる。外衣なんて、わたしたちの白の制服と同じくみんな持っているものだ。特にわたしは、若いうちにあちこち見て回れと言われて外に出ることが多いから、換えのものまで持っているのに。
目をつむって記憶を手繰る。ロジンが手を回してるってことは、なにかしらの問題があったってことだろうけど。カビでも出てしまったのかもしれない。
「……ま、いいや。もらっておくわね。ありがとう」
「ううん。別にこのくらい、なんでもないから」
ハルに比べたらね、と静かな口調で言われたので、目線を落とす。古びた折りたたみのテーブルに包みを置く。
深く息を吐いた。ロジンがチオラに荷物を預けた理由が分かってしまって、ほんのりと自己嫌悪が胸に広がる。
母には人に頼らないことばかり教わってしまって、弱音を吐けなくなってしまった。人前で泣くことすら戒めるようになったわたしの手を引いてくれたのは、いつだってチオラだったので。
チオラとふたりで夜にいると、なにか薬でも飲まされたように涙が出やすくなる。
「……チオラ、あのね」
声が掠れた。泣いても意味がない、現実が変わるわけではない、母の厳しい声色を思い出してしまうけど。
「わたし、本当はもう限界かもしれなくて」
「うん」
「本当は、ずっと、寝れてない」
「うん」
「体は、魔法を使ってるから、どうにでもなるんだけど。うん、どうでもいいの、わたしのからだなんて……」
「ハル」
チオラが困ったように眉を下げた。ランプがゆらゆら揺れている。今夜は風が冷たい。ひとりでどこかにいるレトのことを思えば不安で叫び出しそうだった。
わたしの弟。
テトには意地悪ばかりするくせに、テトが熱を出したら誰よりも慌ててわたしの元にやって来て、助けてと言う。つんと澄ましているけど誰よりも賢くて。あんなにまだ小さいのに。
「レトは今だってひとりでいるのに。わたしがなにかを間違えたら、終わってしまうのに。レトが見つからなかったらどうしよう」
栓を抜いてしまったら、止めることはできなかった。
「もういやだ。本当はいやだ。もうなんにも考えたくない。もう、怖いの……」
「……うん」
「やらなきゃいけないって、分かってる。分かってる、けど、どうしてこんなに怖いことをみんなそろってわたしに任せられるの? 遊びじゃないんでしょ? 泣いたってどうしようもないんでしょ? 決まりは守らないといけないんでしょ? だったら、わたしなんかに任せないでよ。レトが、死ぬかもしれないのに!」
目の下を強く擦る。朝一番にロジンがまとめてくれた髪の毛をぐしゃぐしゃにしたい衝動に駆られる。そのまま垂れ下がったこの長い髪の毛を切り捨てて、ホウキに飛び乗れたら、どれほどわたしは呼吸しやすくなるだろう!
ハル、と穏やかな声がわたしの名前を呼ぶ。ハル・シオン。わたしの名前。わたしの呪い。わたしの人生のかたちをつくるもの。
間違いなくわたしは生まれつきの魔女であったし、魔法使いだった。なんだってできると思えるほど自惚れることはできなかったが、なんでもできるようにならねばと思うほどには傲慢だ。
「……チオラ」
「うん」
「ぜんぶ、忘れてね。わたしの言ったこと」
浅い呼吸をどうにか宥める。チオラの表情は、怖くて見れなかった。きっといつも通りの穏やかな顔だろう。
いつまで経っても彼らに追いつくことはできない。自分で制御しきれない感情を持て余して、チオラやリーダイに慰められるたびに感じるのは悔しさで、それのせいでまた惨めな気持ちが強くなる。
「お願い。ぜんぶ忘れてほしい」
「分かってるよ」
「チオラ……」
寝不足のせいでちかちか痛む目を強くつむる。
「わたし、行かなきゃ。ロジンに任せっきりで来てしまったから……、」
「行くの」
「行く」
顔を上げる。やはりチオラはいつも通りの、柔らかな笑顔だった。淡く色を変える髪と、旅団には関係ない血筋なのに誰よりも濃いブルーのひとみ。左耳につけたリーダイと揃いの銀の装飾が光る。
「目。赤い?」
「少し。暗いから、気にならないと思うけど」
「ありがとう。じゃあ」
何事も無かったような顔を取り繕う。成功してるかはわからないけど。こんな強がりばかりでバカみたいと心の中で呟く。
こんな強がりばかり。どうしてと問われてもわからない。
「……そうだ、ハル。伝言があったの忘れてた」
もうからだ半分をテントの外に出していたので、顔だけで振り向く。
「ロジンが、今夜から一緒に行くって言ってた」
「……」
反射的に唇を噛み締める。それを見て、チオラは困ったように肩を竦めた。
「おまえたちは、ぼくを挟んで会話した気になるのをよした方がいいね。ふたりで行っておいで。ぼくから言えるのは、ふたりで話した方がいいってことと、ゆっくり寝た方がいいってこと。分かったかい」
「ええ。どうも、ありがとうございました!」
爆発的に込み上げた苛立ちをこらえきれずに、乱暴に言葉を吐き捨てて走り出す。分かってると怒鳴りつけたかった。わたしとロジンは、お互いにもっとちゃんと話さなければならないことも、きちんと休養を取らないといけないことも。
顔を擦った手の甲からエニシダのにおいがして嫌になった。睡眠不足による体の不調はすべて魔法で誤魔化している。頭痛と吐き気とめまいと立ちくらみ。押し込めて、吹き出てこないように。
止まりたくなかった。眠りたくもなかった。
焦りだけで気が狂いそうだ。
わたしの木靴の音に反応して、遠くからホウキが飛び出してくる。スカートを蹴りあげて飛び乗る。
「……飛んで!」
足元で風が舞い上がった。冴え冴えと光る月に向かって高く飛ぶ。木立を抜けて、遠くに街の灯りが見えるまで。
唇を噛み締めたら血の味がした。唾液が滲みる。東に向けて、ゆっくりと進む。木々の間に目を凝らして。
ゆっくりゆっくり飛べば、レトが攫われた街まで片道二時間ほどだ。そのまま街の外周をぐるりと回って、またゆっくり帰ってきたら夜は開ける寸前になる。
そしたら、眠れる時間なんてほんのちょっぴりもない。残っているのは、いくつかの魔法を使う程度の時間だけ。
ああ、とため息をつく。夜を徹した探索なんて、本当はご法度だ。だからひとりで出ているというのに。
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