10-3
「お待たせ、ごめんね!」
「おっそい!」
「本当にごめんね。あ、はじめまして、益子ちゃん」
「あ、あぁどうも。えぇと」
益子が「立つ?」みたいな顔をしてこちらを見たので、私はさっさと信楽の方を座らせた。
「益子、タメ口でいいよ。信楽だもん」
「そうだね、信楽だからね」
「自分で肯定するんだ」
信楽は気さくに私の発言に頷くと、普通に接して欲しいと重ねて言った。本当に、社交的になったと思う。中学生の頃は、後輩である私の後ろに隠れるくらいの臆病者だったのに。自分で名乗ろうとしない信楽の紹介をしたのが、遠い昔のことのようだ。
「ところで二人とも、ちゃんとがっつり食べてくれた?」
「ううん。飲み物だけだよ」
「はぁー……年上に待たされたときは、ここぞとばかりに飲食するものなの。その伝票を押しつけられることで待たせた側は少し気が楽になるんだよ」
真剣な表情で馬鹿なことを言う信楽に対して、益子は「大人って大変なんだね」と漏らした。信楽の言うことなんて真に受けなくていいのに。アホな主張をする信楽に、私は一つ質問をする。
「じゃあ向かいの焼肉屋行ってきていい?」
「私、遅れて合流しなくなるけどいい?」
私と信楽のやり取りに、益子は少し圧倒されているようだ。よく考えれば、学校じゃこんな風にキツめの冗談を言うことはあまり無いかもしれない。有田にたまに当たりが強くなることはあるかもしれないけど、あれはまた別物だし。
入ってくる時に注文を済ませていたらしく、注文を取りに来ていない店員さんが、信楽の前にコーヒーカップを置いた。会釈してからカップに口を付けるその仕草は、私達に飲食を強要しようとした人のものには見えなかった。
「にしても、香ちゃんと久々に会う気がする」
「実際そうだしね。あ、今日はお土産もあるんだよ」
「ん?」
私は益子と一緒に買ったティラミスを袋のまま渡した。中を覗き込んでから、信楽は感嘆の声を上げる。
「うわっ……! このプリン食べたかったんだ。えぇー。香ちゃんに言ったっけ?」
「う、ううん。好きかなって、思って」
プリンじゃなくてティラミスなんだけど、そこはスルーして笑顔を作った。
「そっか、ほんとにありがと。こういうのって、明日買おうって先延ばしになって、いつか買おうと思ってる内に販売終了しちゃうんだよね。あ、あれ? これプリンじゃなくてティラミス? あ、うん、なんでもない」
信楽。黙って。頼むから。
私は信楽に袋をしまうように視線で促すと、すぐに気付いてくれた彼女はさっと隠すようにそれを鞄に忍ばせた。今、益子の顔は見たくない。すごく気まずいから。
「じゃあ、これは帰ったら有り難くいただくね」
そうしてもう一度コーヒーカップを持ち上げると、信楽は私と益子を交互に見て笑った。本当にこういうところだけはちゃんとした大人に見える。
「二人は最近仲良くなったんだよね?」
「……まぁ。えっと、信楽ってどこまで知ってるの?」
「最近のことは話してないかな。信楽忙しそうだったし。私もメッセージとかマメな方じゃないから」
「そっか」
どこまで、というのは、二度目に喫茶店で会ったときからの話をしているんだと思う。私が益子のことなんて好きじゃないって言い放って、それを益子に聞かれたとき。その後も一回会ってるけどさ。いま思い返すとバカみたいだ。好きになってんじゃんって。
「最近って? 何かあったの?」
何かあったか、信楽の質問に対する答えはいくつか思い浮かんだけど、私が彼女の胸を借りて泣いちゃった話なんかは当然したくないから、選択肢は限られる。私は極めて無難な出来事をチョイスして話した。
「この間、益子の家に行ったんだよ」
「へぇ、そうなんだ……。もうすっかり仲良しじゃない。益子さん、香ちゃんは変なところで頑固なんだけど、そんなに悪い子ではないから」
「勝手に人のことで演説始めないでよ」
「あはは」
屈託なく笑う信楽を見ると、私もあまり強くは言えない。小さい頃、私が喧嘩した男子を張り倒した話なんかをしたりしないだろうかと気が気じゃなかったけど、それは杞憂だった。益子がポケットに入っていたスマホを取り出して呟く。
「ん。私、そろそろ母さんが来る」
「あ、もうそんな時間?」
「自分で呼びつけておいてごめんなさい。私が遅れたから全然お話できなかったね」
「気にしないでよ」
「そうだよ。またみんなで話そ」
そうして私は益子が出ていけるように立ち上がって、颯爽と歩いていく彼女の背中を見送った。窓の外に、白いセダンが停まる。窓越しに益子と手を振り合って、ついでに彼女のお母さんにも会釈をして、車が発進して見えなくなるまで窓の外を見ていた。
「やっと二人になれた……」
「え? 益子さんと一緒なの、そんなに嫌だった?」
「ううん。ただ、益子の話、したかったから」
「あぁ……」
なるほど、という顔で信楽は何度か頷いた。そして、おそらく彼女が想像だにしていないだろう出来事について、かなり掻い摘んで話した。当たり前だけど、私が泣いた話はしてない。恥ずかしいから。
「えぇ……香ちゃんが、私を……そういう意味で、好き……?」
「すごい誤解だよね」
「うん……えっと、違うよね?」
「うん。信楽のことは一つ上の姉くらいにしか思ってないよ。っていうか信楽のことをどうやって好きになるの?」
「言い過ぎ言い過ぎ」
信楽はこらこらという顔をして笑った。確かに言い過ぎかもしれないけど、私が信楽を好きになるって、それくらい有り得ない。
「香ちゃんはその誤解、解かないの?」
その疑問は尤もだ。益子が好きだということを信楽にはまだ伏せているせいもあるけど、私にはその誤解を解こうとしない理由がもう一つあった。
「多分だけど、私がわざわざ言わなくても、益子は誤解に気付いてる気がするんだよね」
「え!?」
じゃあ何のためにこんなことしてるんだって、信楽は言いたいんだと思う。その気持ちはすごく分かる。
「私、多分。益子のこと、好きなんだ」
「はい?」
「っていうか、私の自惚れじゃなければ、益子も、まんざらじゃないと思ってると思う」
「え?」
信楽はぽかんとして、カップを持ったまま固まっている。いや、よく見るとぷるぷると震えている。どういう感情でそんな動きをしているのかはちょっと理解できないけど、とにかくすごく驚いているのは分かった。
「信楽を口実にすると、お互いに話しやすいっていうか」
「……そっか。どんな形でも、香ちゃんの恋が応援できてるなら、それでいいよ」
「……うん」
そう言うと、信楽はやっとコーヒーに口を付けた。そっとソーサーの上にカップを置いて、彼女は微笑む。
「私を介して仲良くなってくれたのは、偶然とはいえ嬉しいよ。でも、もういいんじゃない?」
「……このままでいいよ」
「香ちゃん。私が今でも補助輪つけて自転車に乗ってたら、どう思う?」
「頭おかしいと思う」
「え、ひど……で、でも、そうだよね。だったら、香ちゃんも補助輪、取りなよ」
信楽は私の発言に傷付いているようだけど、言っていることは至極まともだ。
「……来週の金曜日、またここで会おうよ。来週なら私もレポート終わってるし、もっと早い時間に会えるから」
信楽の今日の遅刻の理由がレポートであることを知って、みんなそれぞれの生活を頑張っているんだ、なんて思った。だったら、私ももう少しだけ、頑張らないといけないのかもしれない。
「そのときに、香ちゃんの話。また聞かせて?」
「分かった」
「上手くいったら、今日みたいに二人で並んで座っててよ。なんてね」
そうして信楽は伝票を手に取った。私は立ち上がって、「ふふ、いいよ」と言って頷いた。
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