カセッツ
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A面
1-1
「
「そうそう。あ、でも、集まって話すだけのゆるいサークルだよ。表向きは文系サークルってことになってるけど」
信楽は最近すごく大人っぽくなった。高校生だった一年前はファッションに無頓着で、大きい丸眼鏡の下の素顔はすっぴんだったし、服装だって数パターンしか見たことがなかった。だけど今は、コンタクトに切り替えて斜陽に長いまつ毛を煌めかせて、オーバーサイズの白いTシャツから惜しげもなく華奢な腕を晒している。
彼女は変わった、分かりやすく言うとすごく綺麗になった。元々顔立ちの整った人だとは思っていたけど、少し自分自身を見つめ直して身なりを整えるだけでここまで変貌するなんて、幼馴染の私ですら想像してなかった。想像してなかったくせに、綺麗になった彼女を目の当たりにすると「知ってた」って気持ちになるんだけど。テーブルに肘を付いて、女性にしては大きな、それでいて形のいい手がコーヒーカップの取っ手に触れた。まるで慰めているような、優しく慈しむようなその手つきを眺める私は、制服を身にまとっている。一年しか違わないのに、たったそれだけのことが大きな隔たりのように感じた。
私の前でコーヒーカップを傾けているのは信楽
「そうなんだ。昔から本好きだもんね、信楽は」
「うん、せっかくのキャンパスライフで何もしないのもなんだしね」
「そうだよね。あーあ、私も早く大学生になりたいな……」
綺麗になって、自分で選んだ道を悠々と生きている信楽は、今の私には眩しすぎた。彼女が人生を謳歌している最中も、私だけが鬱屈とした日々を送っている。認めたくなかったけど、事実だった。そんな私の様子を見た信楽は、そっと触れるように首の辺りに手を添えると、なんかあった? と声を潜める。
「三年になってから、あんまり見たくないもの見ちゃってさ」
「どうしたの?
香ちゃんというのは私のことだ。
初めて入ったこの喫茶店の静けさにはまだ慣れない。ここは私の高校と信楽の大学の中間地点にある喫茶店で、多分これからもよく来る。だから店員さんにあまり変に思われたくなくて、黒いエプロンをしたアルバイトの子が横を歩き去るのを待ってから話し始めた。
「新しいクラスに
あの子達も悪いと思うんだけど、益子さんも、無視しなければいいのに。なんか、そういうのでちょっとピリピリしててさ。席が近いから、私が気にしすぎてるだけだと思うんだけど」
そういうとき、益子さんは少しだけうんざりとした表情をする。多分、いたずらに話しかけられることを嫌っているんだと思う。まぁ、言えないよね、意味なく話しかけないで、なんて。
言いにくそうにクラスでの小さな悩み事を打ち明けてみると、信楽は少し首を傾げて、ちょっとだけ困ったような顔をした。
「きっと、みんなその益子さんって子と友達になりたいんだよ」
「絶対違うよ。本人は嫌がってるのに。きっかけはそうだったとしても、今は悪意しか感じない」
いじめを見ているみたいで嫌で。本人は誰とも話したがっていないように見えるから、私から何かアクションを起こすのも気が引けてる。そんな現状にジレンマを感じているんだ。
「香ちゃんは益子さんとは仲がいいの?」
「えーと……一回も、喋ったことないかも」
「……そうなんだ。気になるんだね、益子さんのこと」
信楽は少し見当違いな納得をして、またコーヒーを一口飲んだ。いつの間にかガムシロップもミルクも入れないで飲めるようになっていて、そんな些細なことでまた大人になった信楽を見たような気持ちになる。
「うーん。分かんない。ただ、意地悪してる人達を見たくないだけだよ、多分」
「香ちゃん、昔から正義感強かったもんね」
「そうかなぁ」
「そうだよ。男の子と取っ組み合いの喧嘩したりさ。しかも勝っちゃうし」
「え!? 私そんなことしてないよ!」
口ではそう言いながらも、そんなに昔のことは覚えていないというのが本音だ。正直、それくらいならしていてもおかしくないとすら思える。本当に弱い者いじめが嫌いで、負けん気が強かったから。
「してたよー。側にいて止めなかった私がお母さんにすごく怒られたんだから」
「えー? でも、なんで止めなかったの?」
「止められないよ、私もあの男の子達嫌いだったから。いい気味って思ってた」
「ぷっ、なにそれ」
信楽は昔からこういうところがある。自分からは手を下さないんだけど、実はこっそりとやれやれー! って思っちゃってるところっていうか。だけど、虎の威を借る狐って感じは全然なくて。
みんなは信楽のことをもうちょっと大人しい人だと思ってる気がするんだけど、実はそんなことない。仲良くなって初めて気付く、信楽の面白いところ。
「信楽と話せて良かった」
「普段そんなこと言わないじゃん。どしたの、金欠?」
「別に媚び売ったわけじゃないから」
「そう? ま、ここは私が出すけどね」
「ごちそーさまです」
両手を合わせて信楽に軽く頭を下げる。最近バイトを始めたと言っていたことを思い出して、私は信楽の言葉に甘えることにした。だけど、彼女の追及が止むことはなかった。
「で? そうじゃないなら、どうして?」
「……学校でこんな話、できる人いないからさ」
「……香ちゃんって友達いない系?」
「いるもん! それは信楽でしょ!」
「普通に傷付くからやめて」
信楽は顔をしかめて制止するように手を広げる。信楽に友達があまり居ないというのは本当だ。こんなに面白くて話しやすいのに、外面が良すぎるせいで周囲の人からは距離を置かれがちだったりする。本人にその自覚はないみたいだけど。
私が益子さんの話を友達にできないのには訳がある。訳というほどはっきりしたものではないんだけど、なんとなく避けてしまう程度の理由にはなっていた。
「……益子さん、確かに浮いてはいるからさ」
「あぁ。他の友達に伝えたら変に思われるかもって?」
「うん。もちろん、みんなが意地悪なわけじゃないよ。ただ、私の仲のいい子は」
「あぁ、もしかして有田? たまに話に出てくるよね」
「そうそう」
有田というのは高校で出来た友達で、毎年クラス替えがあるにも関わらず、三年間同じクラスであることが先日確定した軽音部の子だ。すごく社交的で友達も多い。その中でも、おそらくは有田も私のことを、特に仲のいい友達の一人だと思ってくれていると思う。お昼もよく一緒に食べるし。
「有田なんかはおせっかいだから、私が益子さんと話せる機会を作ろうとするよ」
「あー。なんか世話焼きのおばちゃんっぽいとこあるもんね、話聞いてると」
「私は別に、益子さんと仲良くなりたいワケじゃないっていうかさ」
「んー、お年頃ってやつは面倒だね、どうも」
「信楽はそういうのない?」
「気持ちは分からなくもないけど」
私は、教室がみんなの住みよい環境になればいいと思っているだけ。ギスギスした空気を三年生にもなって引きずってるって、なんか幼稚に見えるっていうか。
そうしてふと顔を上げた私は、息を飲んだ。
「どしたの?」
こんなことが、あるのだろうか。私は呼吸をすることすら忘れて、ただ、信楽の後ろのボックス席を眺めていた。
「え? 香ちゃん?」
慌ててスカートのポケットからスマホを取り出すと、メッセージアプリを起動する。信楽の名前をタップして、文字を打つ。こんなに速かったっけ? ってくらいの勢いで。
『ねぇ、信楽の後ろの席の人、いつからいたか分かる?』
『何、急に。有田さんって世話焼きっぽいよねとか、そういう話してた時かな?』
『うそ……じゃあ、仲良くなりたいワケじゃないって聞かれてたかな』
『……いや、わかんないけど。え? クラスの友達?』
緊迫した空気が流れる。私は少し顔を横に傾けて信楽の後ろを確認する。目が合わないように、慎重に。そして、あることを確信すると、震える指先で人物の名前を信楽に送信した。
『……益子さん』
「わお」
信楽の間抜けな声が純喫茶に小さく木霊した。
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