1-2

 私は頭を抱えたくなるのを堪えてまたメッセージを打った。


『どうしよう、謝った方がいいかな?』

『うぅん、いいんじゃない? 入ってきてすぐに他の客の会話に聞き耳立てる人なんていないよ』

『でも、私、同じ制服着てるし……名前挙げてたし……帰りたい』


 私はスマホを持ったまま両肘をテーブルに付いて頭を下げた。何も見えない。でも、今は何も見たくないから別にいい。じわじわと益子さんにさっきの会話を聞かれてしまったことを実感していく。あんなの、益子さんを嫌ってるって誤解されるに決まってる。

 信楽が私の頭を撫でた。彼女は曖昧な笑みを浮かべて、私が元気を取り戻すのを待ってくれているはずだ。私の頭を上げさせたのは自分自身でも信楽でもなく、信楽の奥の席から聞こえる低くて落ち着いた声だった。


「すみません。いつもの」


 ゆっくりと顔を上げると、益子さんが店員に慣れた様子で注文しているところだった。いつものってなんだろう。はっきりとメニューを告げていないにも関わらず、店員さんはかしこまりましたとだけ言って踵を返す。その光景に目を奪われていると、信楽は凛とした声でこう言った。


「……香ちゃん。パンケーキ食べなさい」

「は?」


 私が返事をするよりも早く、信楽は益子さんから注文を承ったばかりの店員の後ろ姿に声を掛けて、本当にパンケーキを注文した。メニューで見るそれは、二枚重ねで上にはたっぷり生クリームが乗っている。結構食べ応えがありそうだけど、多分いける。これを食べてもまだ、余裕で夕飯が入る。私、結構食べるし。信楽は私に妙なことを言いつけているとは思えない表情でやさしく微笑んでいた。年下の幼馴染にパンケーキを強引に食べさせようとした直後だなんて、誰も思わないだろう。


「……ううん。若いっていいね」

「急になんなの。っていうか、一つしか違わないじゃん」

「大学生と高校生じゃ、今をときめくときめき加減が全然違うんだよ」

「それってつまり、高校生の時の信楽もときめいてたってことになるけど」

「うるさい」


 何か嫌なことを思い出したらしい信楽は、むすっとした顔で悪態をついた。私達は同じ高校じゃなかったけど、信楽の学校生活に恋愛という色が付いていなかったことは私も知ってる。というか、彼氏が欲しいとか、そんなことを口にしたことは一度もなかったから、てっきり興味がないんだと思っていた。大学に入って考え方が変わったんだろうか。だとしたら大学ってちょっと怖いところだ。

 いたずらが成功した後の子供みたいな顔をして、信楽は言った。ちょっとだけ、手品の種明かしをするマジシャンのようにも見える。


「……知りたい?」

「いきなり私にパンケーキ食べさせようとした理由?」


 そそ、信楽はそう言うと、コーヒーにミルクを足した。なんだ、ちょっと背伸びしてたのかな。だったらいいな。なんとなく。


「そりゃ知りたいよ」

「何も注文しないで喫茶店に居座るって、あんまりお行儀良くないじゃん」

「ここに長居する為だけにパンケーキ頼んだの?」

「香ちゃん、益子さんを見るとき、幼馴染の私ですら見たことない顔してるよ」


 信楽は私の問いに答える代わりにそう言って席を立った。


「ちょっとトイレ」

「え、待って」

「私がいない方が、よく見えるんじゃない?」


 私は信楽を呼び止めるけど、当然ながらその要求は聞き入れられない。本当にトイレに行きたかったのかな。違う気がする。あまり大きな声を出して目立つのは嫌だったから、私は顔を伏せて、信楽が戻って来るのを待つしかなかった。

 誰かの携帯が鳴った。私のじゃないし、テーブルの上に置いてある信楽のものでもない。着信音が止んで、もしもし? と声を発したのは益子さんだった。恐る恐る様子を窺うと、彼女は窓の外をちらちらを見ながら何かを言っていた。内容までは聞こえない。誰かとの待ち合わせだろうか。通話が終わると、彼女はすぐに席を立った。目を合わせないように、窓の外を眺めてやり過ごす。ちょっとしてから可愛らしいチャイムの音が聞こえた。多分、会計を済ませた益子さんが出て行ったんだ。


 彼女が座っていたテーブルの上には、グラスだけが残っている。半分以上残ったアイスコーヒーが、なんだか寂しそうに見えた。益子さんとほとんど入れ違いのように信楽が戻ってくる。彼女は目を輝かせていた。


「そこで益子さんとすれ違ったけど、すっごく綺麗な子だね。びっくりした」


 信楽の言うことは正しい。益子さんはすごく美人だ。背がちょっと高くて、気の強そうな、それでいてどこかけだるげな視線で、いつも自分の机をじっと見ている。少し色の抜けた長い髪は手入れが行き届いていて、前に有田が「何食ったらあんな髪になるんだ」って言ってたのを覚えてる。顔の横まで伸びた前髪だけが外にハネていて、毎朝セット大変そうなんて思う。


「美人だから、一人でいるのも様になるんだよね」

「意地悪する子達を庇う訳じゃないけど、益子さんも結構変わってそう。女子高生が一人で行きつけの喫茶店を作るって、なかなか無いよ」

「学校で友達を作ろうとしないんだから、そりゃ多少はね」


 私は信楽の言葉を肯定した。だって、彼女が変わり者なのは事実だ。私だったら高校生活で話す人が一人もいないなんて、寂しくてどうにかなっちゃうと思う。私がそんなことを考えている間も、信楽の分析は止まらなかった。


「人と関わらないだけというより、寄せ付けないようにしてる感じ。冷たい空気をまとって、誰にも本当の自分を見せないようにしてるような」

「そうかも」


 確かに、益子さんが誰かと話したそうにしているところなんて見たことがない。いつも彼女のことを観察している訳ではないけど、馬鹿にするように笑われても、我関せずという感じで、涼しげな顔をしているのが常だ。


「また進展あったら教えてよ」

「何の?」

「香ちゃんの恋の」

「うっさいわ!」


 何が恋だ。信楽の質の悪い冗談を一喝するのとほぼ同時に、注文していたパンケーキが運ばれてきた。私は早速ナイフとフォークを持つ。

 益子さんが居た席を片付けている店員さんをなんとなしに見ながら、切り分けたパンケーキを口に運んでいると異変に気付いた。店員さんが椅子から何かを拾い上げている。


「益子さんが居た席のとこ。忘れものかな?」

「……ホントだ」


 振り返った信楽が、後ろを見ながら呟いた。店員さんと目が合ったらしく、彼女は軽い調子でアルバイトの子に話しかけた。


「ポーチ、かな? この子、同じクラスなんで、明日渡しておきましょうか?」

「へ!? いや、ここの人と顔見知りだったみたいだし。わざわざ私が出しゃばらなくても」

「お客さんの忘れ物預かるってお店側は気を遣うもんだよ。いいじゃん、それくらい」

「で、でも」


 何故か勝手に話をまとめようとする信楽を制止しつつ、店員さんに会釈する。益子さんと同じ制服を着ていた私を見ると、彼女はほっとした表情でポーチを差し出してきた。


「お友達なんですね。良かった。お願いしていいですか?」

「え、えと……わ、わかりました」


 そうして私は益子さんの忘れ物を預かることになってしまった。ニヤニヤしてる信楽がムカついたので、ついでにパフェも注文しておいた。


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