2-1
翌日、私は普通に登校して授業を受けていた。昨日あんなことがあったにも関わらず、日常は普通に流れていく。例え私が失恋したって、学校を休んだって、それは変わらない。だというのに、それがやけに奇妙なことのように思えた。
担任が教卓の前に立って、明日の連絡事項なんかを話している。日本史の先生が急病とかで、化学の授業になるらしい。教科書を間違えないようにしないと。そんなことを考えながらも、頭の片隅ではずっと益子さんのことを考えていた。
早くポーチを返さなくちゃ。そうは思うけど、信楽との話を聞かれていたらと考えると、なかなか勇気が出ない。だけど今日中に渡さないと、これじゃ私が盗んだみたいになる。店員さんとなし崩し的にしちゃった約束も破ることになるし。ニコニコと笑う信楽の小憎たらしい顔を思い浮かべると、少し八つ当たりしたい気持ちになった。
起立して挨拶を交わす。たったそれだけで教室の空気ががらりと変わった。それぞれが鞄を持って立ち上がったり、座り直して「今日どうする?」なんて話し合ったり。
忘れ物を渡すだけ、忘れ物を渡すだけ。私は心の中で何度もそう唱えて、益子さんがどこかへ立ち去る前に、彼女の元へと歩いた。と言ってもたった数歩だけど。益子さんはちょうど教室の真ん中くらいの席で、私はそこから斜め後ろ。少しだけ私の方が窓際に近い席に座っている。彼女の名前を呼ぶ私の声は、ほんの少しだけ掠れていた。
「あ、あの。益子さん」
益子さんが声を発することは無かったけど、確かにこちらに目を向けた。大した話じゃないんだ。早く終わらせよう。私は、上手く出てこない言葉の代わりにポーチを差し出した。
「これ」
「……あぁ。越前さんが持ってたんだ」
越前さんと呼ばれたことに少し驚きながらも、私はそういう玩具みたいにこくこくと頷いた。口下手ってわけでもないのに、どうも益子さんが相手だと上手に喋れない。
「あ、っていうか! 持ってたって、違うよ!? これは、その」
言わなきゃ。私が盗んだなんて勘違いをされる前に。だけど、次に言葉を発したのは私じゃなくて益子さんだった。益子さんは切れ長な目を歪ませて、少し楽しそうに言った。
「でも良かったの?」
「え?」
「私とあんまり話さない方がいいんじゃない?」
「……いや、何言って」
「自分で言ってたんじゃん。仲良くしたいワケじゃないって」
思いっきり聞かれてたじゃん。
やっば。
私は硬直しながらも、必死で言葉を探した。当然、そんなものは出てこない。悪意が無かったとはいえ、私の発言はある意味で本音だったんだから。
「それは」
「別にいいって。ありがとね。じゃ」
これで私に課せられた役目は終えたはずだった。でも、気付けば私は立ち上がろうとしていた益子さんの前に回り込んでいる。
「あの、ちょっといい?」
そのとき、事情を知らないクラスメートが「越前、あんまやりすぎちゃだめだよー?」なんてバカみたいな茶々を入れる。甲高い笑い声が正直ちょっと耳障りだった。彼女達にはなんの反応も示さず、私は益子さんとの対話のみに集中する。無視をしたのは、私のほんの小さな抵抗だ。
「……来て」
鞄を持って益子さんを誘うと、彼女は小さくため息をついて、しょうがないという顔をしてかなり嫌々私に付いてきてくれた。彼女の反応に心が軋む。失礼なことを言った私に絡まれるのも面倒なんだろうけど、何より誰かと対話することを億劫に思っているように見えた。
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