2-2
教室を出ると、二人で並んで歩く。私と益子さんの間には結構スペースが空いていて、このぎこちない距離感がそのまま今の私達の関係を表しているみたいで、ちょっとだけ気まずかった。廊下は部活に向かう生徒や、これから帰ろうとしている生徒で賑わっていて、すれ違う生徒がたまに私達の間をすり抜けていく。
「どこ行くの?」
不意に話しかけられて益子さんを見ると、彼女は珍しく少し動揺しているように見えた。そこではたと気付く。もしかしたら私、いま結構怖い顔してたかも。
「教室じゃ外野がうるさいからさ。人がいないところ」
「ふぅん」
自分で聞いてきたくせに、益子さんはどうでもよさそうにそう呟いた。私達は渡り廊下を歩いて階段を目指す。渡り廊下を歩いた先には生徒達の教室は無く、視聴覚室や音楽室といった特定の授業に使う教室がかたまっている。要するに、そこを通り過ぎるとすれ違う生徒達はぐっと減る。
急に人口密度が下がった廊下を歩いて階段を下りると、右に曲がる。第一理科室と第二理科室が向かい合っているこの廊下は、滅多に人が来ない穴場スポットだ。うちの高校にも一応化学部があるらしいけど、活動しているところはほとんど見たことがない。
早めに教室を離脱したおかげで先客は居ない。内緒話に最適なここは、暗黙の了解で先着順になっているから、誰も居ないことに私は人知れず安堵した。まぁ、後輩達がいた場合は、大体遠慮して譲ってくれるんだけど。
私達は廊下の突き当たり、非常階段の扉があるところまでやってくると、やっと互いに向き合った。こうして落ち着いて向き合ったのは初めてだけど、益子さんって私と同じくらいの身長なんだ。なんとなく、もうちょっと背が高いと思ってた。全体のバランスが整っていて、スタイルがいいからそう見えてただけなのかもしれない。
立ち止まるや否や、益子さんはダルそうに「……で、何?」と私に要件を催促した。私だってこれから益子さんと仲良しこよしでお話できるとは思っていなかったけど、あんまりぶっきらぼうに言われるとたじろいでしまう。
「えっと……」
「私、これから予定あるんだけど」
「ごめん、すぐ終わるから!」
革のバッグを肩に担いで真っ直ぐに私を見つめる視線には一切の容赦がない。彼女の長くて綺麗な髪は、窓から差し込んだ光の呼び掛けに応えるようにキラキラと輝いていた。
「あのね。私、益子さんと仲良くしたくないわけじゃないっていうか」
「……は?」
「あれは言葉のあやっていうか……」
私がこんなところまで連れてきた理由をやっと理解したらしい益子さんは拍子抜けしたように笑って短く息を吐き出した。
「……いいって、別に」
彼女の言葉が孕んでいる意味を理解できないほど、私は鈍感じゃない。誤解が解けたわけではなく、彼女は「私と仲良くしたい奴なんているわけないんだから気にするな」と言っているのだ。スクールバッグのナイロンの取っ手をぎゅっと握ると、私は押し出すように呟いた。
「本当なの」
「何ムキになってんの?」
何をムキになっているんだろう、彼女の言う通りだ。だけど、私が彼女に対してつまらないとか、仲良くすると自分も巻き込まれるとか、そういった類の悪い感情を抱いているわけではないことを分かって欲しかった。
「だって!」
「だからなに」
でも、それ自体が私の自己満足なのかもしれない。どんな理由であれ、私は深く関わりたいとは思っていないと口にして、彼女はそれを直接耳にしたのだ。そんなつもりはなかったなんて、言い訳に過ぎないことに気付いてしまうと、今にも暴発しそうだった感情がすーっと引いていくのが分かった。
急に押し黙る私を見て、益子さんは少なからず困っているようだった。いきなり呼び出して、言い訳を始めたり途中で止めたり。彼女から見た私は、多分相当変な奴だと思う。
「え? ちょっと?」
「……ごめん、事情を説明しようと言葉を探したんだけど、言い訳しようとしてるみたいだなって気付いて冷めちゃった」
「はは、なにそれ」
初めて見た益子さんの笑顔は想像よりもずっと子供っぽくて、普段の大人びた表情とのギャップがまた素敵だと思った。もっと笑えばいいのになんて考えてから、また勝手なことを思っていると反省する。そんな小さな葛藤があったことなんて、きっと益子さんは気付いていない。彼女は笑った顔のまま、私の頭にぽんと手を乗せて言った。
「ま、事情があったのは分かった。でも、教室じゃバカに合わせておいた方がいいよ」
くしゃくしゃと撫でられて、犬じゃないんだけどと言いそうになる。だけど、今は目の前の会話に集中しよう。益子さん、やっぱりクラスメートのいじりを馬鹿げたものだと思ってたんだ。っていうかクラスメートそのものをバカって言ってるけど。
その意見には私も賛成だ。あんなの真に受けて傷付く必要なんてこれっぽっちもないんだから。あの子達が増長しているのは益子さんのリアクションも関係していると思うけど。こんな間柄じゃ、何も言えない。
私が黙って益子さんを見ていると、彼女はぱっと手を離して、ポケットに突っ込んで言った。
「私は平気。美人はやっかまれることに慣れてるからね」
「……そっか」
益子さんはあれを美人に対するやっかみだと思っているのか。それならあの反応も分からなくはない。私はてっきり、あの子達が初めに声を掛けた理由は、益子さんと仲良くしたかったからだと思っていたから、目からうろこだ。
なるほどと頷いていると、「つっこめよ」と言われてしまった。見ると、益子さんは鞄を担ぎ直して、少し居心地悪そうにしていた。
「えっ。ごめん、冗談だと思わなかった」
「……アンタもバカじゃん」
呆れた声だったけど、嫌われた訳ではないらしい。益子さんはスマホを取り出して時間を確認すると、「じゃ」と言って来た道を戻っていった。用事があると言っていたし、きっと時間がないのだろう。
誰かと一緒にいるところを見られると都合が悪いかもしれないと思い、廊下を走っている運動部をしばらく眺めてから、私も家路についた。
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