3-1

 家に着くと、リビングに居るであろうお母さんにただいまと声を掛けて、二階に上がった。自室に戻ってから、そういえばお母さんは町内会の集まりとかで今日は遅かったと思い出す。部屋に一人きり。兄弟もいない私は、部屋どころかこの家に現在一人きりだ。


 時間を持て余すのが嫌で、普段はやらないくせに鞄から教科書を取り出して机に並べてみる。筆箱も取り出して、机の上に既に転がっていたシャーペンを見ると、バカみたいな気持ちになった。

 筆箱まで出す必要ないじゃん。学校に行く時に筆箱を忘れると面倒だからと、自宅用に筆記用具一式揃えたのは他でもない私だ。家で勉強しなさすぎてすっかり忘れていた。たったそれだけのことで気力も失せてしまって、椅子に腰かけた私は白状するように独りごちた。


「……許されるなら仲良くしたいって、言いたかったよ。でもさ、その真逆の発言を聞かれてるのに、そんなこと言えるわけないじゃん。狂ったのかって思われそう」


 信楽に言った言葉に嘘偽りはない。だけど、私は益子さんが私の頭を撫でてくれたときに、気付いたのだ。仲良くしたくないというのは、一人で居たがっているように見える彼女の意思を尊重した自分が出した、拙い結論だったのだと。


「はあ……信楽に会いたい。そう、信楽に。あの喫茶店に行かなきゃ」


 私はスマホを取り出すと、信楽にメッセージを送る。昨日の喫茶店で待ってる、と。短くて素っ気ない文面だけど、私と信楽はいつもこんな感じなので問題ない。昨日会ったときは、信楽からの呼び出しだった。お互い新生活、新学期にも慣れて時間も出来ただろうし、久々に話さないかと誘ってくれたのだ。

 重たい教科書を全部取り出して、バッグには財布とポーチくらいしか入っていない。ほとんど空っぽになった鞄が、今の私の頭みたいだなんて気付いて、にやけながら部屋を出た。信楽は、別に来なくてもいいや。


***


 私と信楽の通う学校の中間地点である喫茶店は、家からは結構遠かった。お母さんが居たら確実に何時に帰ってくるのと連絡が来るような時間だ。結論から言うと、信楽は来た。というか、呼び出したはずの私よりも早く昨日と同じ席に座って、私を待っていた。多分、まだ大学にいたんだと思う。


「どうしたの、急に」

「昨日食べたパンケーキ美味しかったからさ」

「それで呼び付けたの!? そのために!?」


 信楽は顔全体で驚きを表現しましたって感じの顔をして、口をあんぐりと開けている。家にいるのも落ち着かなくて、じゃあどこに行きたいんだって自問自答したらこの場所が思い浮かんだんだけど、そのなんとも言えない気持ちの揺れみたいなものを説明するのがめんどくさくなった私は、今日の出来事を全てパンケーキのせいにした。


「別にいいでしょ、奢らせようとしてるわけじゃないんだし」

「あ、自分で出すの?」

「当然」


 当たり前のことなのに、私は少し自慢げにそう宣言した。言わなかったけど、漫画なら吹き出しの横に『えっへん』って書かれてると思う。信楽は周囲を見渡すと、少し声のトーンを落とした。


「……で、ホントは何かあるんじゃないの」

「いや、ホントにない」

「何も?」

「何も」


 信楽の「ウッソだぁ」という声が少し響いて、私が何かを言う前に、彼女は反省するように口元を抑えた。恥ずかしそうにするその所作を見て、信楽は綺麗になったとまた思う。

 淡い色のレースのブラウスに、丈の長いゆったりとしたスカートを身に纏う信楽はどこぞのお嬢様みたいで、だけどそれが嫌味に感じないくらい自然に似合っている。私が同じ格好をしたら、きっとどこかから盗んできたいみたいになる。色づいた唇も、いつか誰かのものになってしまうんだろうな。そう思うと、なんだか少し寂しかった。

 店員さんが注文を取りに来てくれたので、私はパンケーキセットをお願いする。セットのドリンクはコーヒーを。だけど、彼女にはそれよりも伝えなきゃいけないことがった。


「あ、あの」

「はい?」

「昨日の忘れもの、ちゃんと渡しておきましたよ」

「あぁ! ありがとうございます」


 店員さんはほっとした様子でそう言うと、ぱたぱたと奥へと引っ込んでいった。多分、気になってたけど、自分からは聞き出しにくかったんだと思う。このことを彼女に伝えられただけで、今日ここに来た甲斐があったと思うことにした。

 信楽は今の会話で昨日のことを思い出したようで、さっきと同じように内緒話をするような声色で口を開いた。


「……そういえば、どうだった?」

「最悪だった」

「え?」

「だって、聞かれてたんだもん」


 昨日、ここで何があったのか彼女は忘れてしまったのだろうか。そんな疑問が頭を過る。そうして私は、あまり思い出したくないことを振り返るように言った。


「あれ。仲良くしたいわけじゃないってやつ」

「げー……」

「なんとか誤解は解いたけど」

「印象最悪だったろうに、よくそこまで持っていけたね。ガッツあるよ」

「そんな。大したことしてないよ」


 信楽は私を労うと、苦笑いした。多分、自分だったらどうしてただろうなんて考えていたんだと思う。そして信楽だったらあの状態からの挽回はおそらく無理だ。引っ込み思案で結構な怖がりだから。すごく綺麗で、大人っぽくなった信楽だけど、そういう根っこのところは変わってないと思う。というか、そこが変わっちゃったら、それってもう信楽じゃない。


「……ねぇ信楽」

「何?」

「信楽は自分が益子さんの立場だったとして、私みたいな人のこと、どう感じる?」

「んー……」


 信楽は腕を組んで考えるようなポーズを取る。目の前にあったコーヒーカップに視線を落としたかと思うと、窓の外に目をやって、それから天井まで見上げて、やっと声を発した。


「ごめんね、さっぱり分かんないや」

「散々待たせておいてそれ? ムカつくなー」

「呼び出されて更にムカつかれるって悲しいんだけど」


 抗議する信楽を無視して、店員さんが持ってきてくれたトレイに目を向ける。コーヒーからは湯気が立っていて、普段コーヒーなんて注文しない私は信楽の方を見てから、慌てて自分の前に置いてもらうよう控えめに手を挙げた。

 パンケーキはもう少し時間が掛かると言われた私は、ちょっと気取った感じでおかまいなくと伝えて店員さんの背中を見送ってから会話を再開した。

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