7-1
信楽と会った日から二週間くらいが経った。
私も信楽のことを笑っていられない。三年生になってから初めてのテストが近付いてきているんだから。あれから、たまに益子さんに話し掛けるようにはなったけど、私達の関係に大きな変化はない。
たまに茶化されたり馬鹿にされているのを見かけてはいるけど、本人から「ほっといていいから」と言われているので、何もしていない。下手に私が割り込んでめんどくさくするのも悪いし、私はそういう時にうまく立ち回れるような人間ではないから。
有田くらいあけすけで物怖じしない性格なら、とっくに私と益子さんの関係は変わっていたかも。必ずしもいい方に転ぶとは思えないけど。本気で激怒させそうだし。だけど、有田のそういう考えなしなところが、たまに羨ましくも思える。重症だな、私。心のどこかじゃそんな風に思ってるくせに、また別のところでは私が私だから関係を悪化させるという最悪の事態は招かずに済んでいるなんて考えてる。
要するに、結局は自分の弱さや臆病さを都合よく解釈して、このままでいいって思おうとしているんだ。
「帰るのダルいな」
それは自然と口を突いて出た言葉だった。だって本当にダルいし。なんなら呼吸すらもダルい。何もかもが億劫だ。それを拾ったのは、すぐ近くにいた、ある種羨ましいアホだった。
「おいおいー。こんなに天気がいいのに、何がダルいんだよ」
「そうだけど。有田はちゃんと部活行きなよ」
「今日は無い日だっつの。カラオケでもいくか?」
「帰るのがダルいのにカラオケなんて行くわけないじゃん」
喋ることが既に面倒なのに、どうして歌なんて歌えるんだ。私はどうにもならないことを有田にぶつけてため息をつく。さすがに怒られるかと思ったけど、有田は眉をハの字にして、私の顔を心配そうにの覗き込むだけだった。
「……香、最近、変だぞ。ものすごく」
「……嘘でしょ」
「何がだよ」
「有田にまで察せられるレベルって、相当じゃん……」
「それすっげー失礼なこと言ってるからな」
有田は腕を組んで私を睨み付けているけど、有田の睨んだ顔よりも益子さんの平常時の表情の方がまだ怖いくらいだ。元の顔が可愛らしすぎて、全然威厳と言うか迫力が無い。そして本人もそういう表情を作るのが苦手なんだろう。
すぐにぱっと表情を戻すと、人差し指で私を指して、また面倒なことを言い出した。
「んー。じゃああたしが当ててやる」
「いいよ、心当たりなんてないし」
「嘘つくなよ」
「……はい?」
「あたしにまで見抜かれる嘘ついちゃったって、どんな気持ち?」
「控えめに言ってドン底かな」
「わはは!」
大きな笑い声が教室に響く。放課後になってからしばらく経っているというのに、今日はクラスに残っている生徒が多い。数人が有田の大きな笑い声に驚いて視線を寄越したけど、笑ったのは有田一人だから私のことは見ないでほしい。
「冗談はさておき、当てようとするのはやめるわ」
「はぁ……? 有田ってほんと、ワケ分かんない」
「そんな顔で心当たり無いなんて言われたらな。どんな話か大体分かった」
有田は「香にもやっと春が来たか」とかなんとか言って、一人で頷いている。今、結構本気で死にたいかもしれない。スカート履くのを忘れて登校しちゃったのと同じくらい恥ずかしい。そんな失態犯した経験ないけど。それくらいってこと。
早く話題を逸らしたかったけど、絶賛無気力中の私にそんなものは思い付かない。結果、あえなく玩具になるのであった。
「にしても意外だな。どこの高校のヤツ?」
「うるさい。帰る」
「ダルいんじゃなかったのかよ」
「有田の方がダルい」
「うっわ、傷付く」
この話題から逃れるには有田から離れるしなかない、つまり帰るしかない。しかし、私が立ち上がるのよりも早く、教室の入口から誰かが有田を呼んだ。本当に、友達が多い奴だと思う。「おー?」なんて間の抜けた声を上げて、有田は声のした方に顔を向けた。
「カラオケ行こー!」
「おっ! 香は……来ないよな。いま行くー!」
何も話したくないという私を慮ってか、有田は私を置いて教室を出て行った。有田を呼んでた子、私は全く面識ない子だった。知らない子とカラオケに行けるほど、私は社交的でもないし、カラオケも好きじゃない。というか歌が得意ではないんだ。
有田が居なくなっても帰る気になれなくて、なんとなしに支度だけ済ませて窓の外を眺めた。校門を潜る生徒達を見やってため息をつく。
あ。あれ、有田だ。有田は遠目にも分かるくらい派手な鞄を持っている。というか元はただのスクールバッグなんだけど、バッジやらストラップやらでデコレーションして、何やらとんでもないものを持ち歩いてる女になっている。分かりやすい。そして有田らしいと思った。
いつも持ち物検査の時だけ「めんどくせー」とか文句を言いながら全部外しているけど、そんなにめんどくさいならそもそも付けなきゃいいのに。だけど有田は毎度、検査が終わったと、逆再生みたいに装飾品を取り付けながら、まためんどくせーとぼやくのだ。
そうして窓の外を見やっていると、今度は随分見慣れた後ろ姿が視界に入った。長い髪をなびかせた少女は校門の前で立ち止まる。そしてほどなくして、白いセダンの鼻先が見えた。益子さんは振り返ることなく助手席に乗り込んで、それから車は颯爽と走り出す。
「……見えなくなるまでずっと見てるじゃん、私」
誰にも聞こえないようにそう呟くと、面白がっている有田の笑顔が脳裏に過って、なんていうか嫌になった。
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